消えない傷を負ったモスクワ五輪の“幻のアメリカ代表”「スポーツと政治は無関係」の理念が踏みにじられる大会に【五輪史探訪】<DUNKSHOOT>

消えない傷を負ったモスクワ五輪の“幻のアメリカ代表”「スポーツと政治は無関係」の理念が踏みにじられる大会に【五輪史探訪】<DUNKSHOOT>

トーマス(左)、ブラックマン(右下)らが集結したモスクワ五輪のアメリカ代表だが、政治的理由で不参加に。アグワイア(右上)は「今もその傷は癒えていない」と語る。(C)Getty Images

新型コロナウイルスの蔓延で2020年に開催予定だった東京五輪は1年後に延期となったが、過去には政治的な問題で大会に出場できなかった悲運の選手たちもいた。1980年、モスクワ五輪の“幻のアメリカ代表”。メンバーの1人が「今も傷は癒えていない」と語ったように、彼らは他国同士の無関係な揉め事に巻き込まれ、国を背負って戦う一世一代のチャンスを奪われてしまったのだ。

■政治的な問題に巻き込まれ、アメリカは大会不参加に

 世界中に広がった新型コロナウイルスの影響により、2020年7月から開催される予定だった東京オリンピックは1年延期された。異例の事態ではあるものの、少なくとも中止という最悪の事態は回避。コロナ禍はいまだ完全な終息に至ってはいないが、どうにかここ日本で、アメリカ代表をはじめとする世界各国のバスケットボール選手たちのスーパープレーを目撃できる日が近づいている。
  しかしながら、過去には政治的ないざこざにより国家が大会をボイコットしたために、オリンピックを経験できなかった悲運の選手たちもいた。1979年、ソビエト連邦(ソ連)がアフガニスタンの親共産政権を支援する目的で同国へ軍隊を送り込んだことに、アメリカを筆頭とする西側諸国が反発。ジミー・カーター米大統領は、翌1980年にモスクワで開催予定だった五輪への不参加を各国に呼びかけた。

 ニューヨーク州レークプラシッドで行なわれた冬季オリンピック終了後の4月12日、アメリカは史上初の五輪ボイコットを正式決定する。カナダや西ドイツなどの親米国や、ソ連との関係が悪化していた中国、そして日本もその動きに追随。65もの国と地域が参加を見送ったことで、最終的な参加国は80にとどまり「スポーツと政治は無関係」との理念は踏みにじられた。

「ロシア(ソ連)とアフガニスタンの揉め事に、何で俺たちが巻き込まれなくちゃならないんだ。ロシアがアメリカに攻め込んできたなら話は別だけど。まったく理解できなかった」
  バスケットボール代表の1人に選ばれていたダニー・ブラネス(当時ユタ大/元シアトル・スーパーソニックス/現オクラホマシティ・サンダーほか)の嘆きは、アメリカ選手団の感情を的確に表現していたと言っていい。彼らはホワイトハウスに招かれ、カーターから慰めの言葉をかけられたが、なかには招待を拒む者も現われた。

 バスケットボール競技ではアメリカとカナダ、中国、アルゼンチンのほか、アメリカの自治領プエルトリコも、出場権を獲得していながら不参加。代わって出場した5か国のうち、インドとスウェーデンにとっては、今のところこれが最初で最後のオリンピック出場となっている。
 ■豪華メンバーだった“幻の代表”はエキシビションでNBA選抜を撃破

 幻となったアメリカ代表には、十分に金メダルを獲得できたはずのメンバーが揃っていた。インディアナ大の1年生アイザイア・トーマスをはじめ、彼の少年時代からの友人マーク・アグワイア(当時デポール大/元ダラス・マーベリックスほか)、バック・ウィリアムズ(当時メリーランド大/元ニュージャージー/現ブルックリン・ネッツほか)、ローランド・ブラックマン(当時カンザス州大/元マーベリックスほか)、そしてケンタッキー大のサム・ブーイ(元ポートランド・トレイルブレザーズほか)といった、のちにNBAで活躍したり、ドラフトで上位指名されたりする逸材がゴロゴロいたのである。

 モスクワへ向かう代わりに、彼らは“ゴールド・メダル・シリーズ”と銘打ったエキシビションゲームに参戦。NBAの選抜チームや1976年モントリオール五輪の代表メンバーと一戦を交えることになった。

 6月16日、当時のロサンゼルス・レイカーズの本拠地ザ・フォーラムで行なわれた初戦は、マイケル・ブルックス(当時ラサール大)が18得点をあげる活躍で、代表チームが97-84でNBA選抜を撃破。この6日前に行なわれたNBAドラフトで、サンディエゴ(現ロサンゼルス)・クリッパーズから9位指名されていたブルックスにとっては面目躍如だった。
  2日後のフェニックスでの試合にも97-66で勝利すると、シアトルで開催された3戦目は2点差で敗れたものの、ニューヨークでの第4戦は逆に2点差で接戦を制する。NBA選抜とのラストゲームとなったインディアナポリスでの試合、そしてモントリオール五輪メンバーとの最終戦にも勝ち、5勝1敗でシリーズは幕を閉じた。

 6試合で計79得点、平均13.2点を奪ったブルックスが“得点王”、最多アシストは37本を記録したトーマス。ブーイは41リバウンド、14ブロックとペイントエリアで実力を遺憾なく発揮した。

 この12年後、1992年のバルセロナ五輪から、バスケットボールもプロ選手の参加が解禁される。1984年のロサンゼルス五輪に大学生として参加していたマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)やパトリック・ユーイング(元ニューヨーク・ニックスほか)は“初代ドリームチーム”として2度目のオリンピックを経験した。

 だが、1980年の“幻の代表”たちは誰一人としてメンバー入りできなかった。デトロイト・ピストンズのスター選手になっていたトーマスにはチャンスがあったはずだが、ジョーダンと犬猿の仲だったことが理由で、選考から漏れている。
 ■機会を奪われた選手はいまだ嘆き「今もその傷は癒えていない」

 一方、7月20日に開幕したモスクワでの本大会。入場式のソ連選手団長は、4大会連続出場となる国民的バスケットボール選手のセルゲイ・ベロフが務めた。

 金メダルを争うのは、開催国のソ連と世界選手権優勝国のユーゴスラビアと見られていて、予選ラウンドは両国とも順当に3戦全勝で通過。しかし決勝ラウンド2日目、イタリアが87-85でソ連を破る波乱が起こる。

 この頃のイタリアのセリエAは、NBAのロースターに入れなかった選手たちが最初に目指す海外リーグとして、レベルが非常に高かった。クラブ単位でも何度もヨーロッパ選手権を制するなど、西欧の強豪国には違いなかったが、それでもソ連を倒したのは正真正銘の大金星と言っていい。
  ソ連は翌日のユーゴスラビア戦も大苦戦。終了間際に何とか同点に持ち込むも、延長で10点差をつけられて敗北を喫した。共産圏の国相手にオリンピックで負けたのはこれが初めてであり、アメリカのいない大会、しかも本国開催で銅メダルとあっては、面目丸つぶれもいいところだった。

 決勝戦はユーゴスラビアがイタリアに86-77で勝利。過去に2度決勝で敗れていたユーゴにとっては初の金メダルで、ヘッドコーチのランコ・ゼラビツァは「我々とアメリカが試合をして、どこが一番強いかはっきりさせたい」と意気軒昂だった。

 イタリアも初のメダル獲得となり、その栄誉を称えられ代表メンバーは全員ナイトの称号を贈られた。デイトン大出身でアメリカとイタリアの二重国籍を持ち、当時はセリエAのトッププレーヤーとして活躍していたマイク・シルベスターも出場選手の1人。彼はモスクワ五輪でメダルを手にした、唯一のアメリカ人である。
  他競技も含めた“幻の代表選手たち”は、アメリカ・オリンピック委員会から金メダルを贈呈された。けれども、言うまでもなくその輝きは本物とは比べものにならなかった。アグワイアは34年後、2014年のインタビューで次のように語っている。

「私たちは、皆オリンピックのためにすべてを捧げていた。金メダルをアメリカに持って帰るんだと燃えていたよ。でも、そのチャンスさえ与えられなかった。今もその傷は癒えてはいないんだ」

文●出野哲也(フリーライター)

※『ダンクシュート』2020年6月号原稿に加筆、修正。

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