コビーが「初代ドリームチームに勝てる」と豪語。数々の新記録を樹立したロンドン五輪アメリカ代表の軌跡【五輪史探訪】<DUNKSHOOT>

コビーが「初代ドリームチームに勝てる」と豪語。数々の新記録を樹立したロンドン五輪アメリカ代表の軌跡【五輪史探訪】<DUNKSHOOT>

カーメロ(左から2番目)の1試合37得点を筆頭に、数々のアメリカ代表記録が更新されたロンドン五輪。コビーが「俺たちなら初代ドリームチームに勝てる」と豪語したほどの強さだった。(C)Getty Images

2004年のアテネ五輪で惨敗し、失墜したアメリカのプライドを取り戻したのが“リディームチーム”だった。2008年の北京五輪で頂点に返り咲くと、2012年のロンドン五輪にもアメリカはオールスターキャストで参戦。コビー・ブライアント曰く「ドリームチームに勝てる」ほどの豪華メンバーが世界の舞台で躍動し、栄光を確固たるものにしてみせた。

■栄光を確固たるものとすべく、今大会も豪華キャストで参戦

 2008年の北京五輪に参加した通称“リディームチーム”の活躍により、世界の覇権を奪回したアメリカ男子バスケットボールチーム。しかしそこに気の緩みは一切なく、取り戻した栄光を確固たるものとするべく、4年後のロンドン五輪にも引き続きオールスターキャストを送り込んだ。
  北京に続く連続出場となったのは、コビー・ブライアント(当時ロサンゼルス・レイカーズ)、レブロン・ジェームズ(当時マイアミ・ヒート)、カーメロ・アンソニー(当時ニューヨーク・ニックス)、クリス・ポール(当時ロサンゼルス・クリッパーズ)、デロン・ウィリアムズ(当時ニュージャージー/現ブルックリン・ネッツ)の5名。

 ここに2010年に行なわれた世界選手権(現ワールドカップ)の優勝メンバーであるケビン・デュラント、ラッセル・ウエストブルック(ともに当時オクラホマシティ・サンダー)、ケビン・ラブ(当時ミネソタ・ティンバーウルブズ)、アンドレ・イグダーラ(当時フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)、タイソン・チャンドラー(当時ニックス)が加わった。

 最後の2枠はジェームズ・ハーデン(当時サンダー)とブレイク・グリフィン(当時クリッパーズ)に決まったが、グリフィンは故障により辞退。代わって、6月のドラフトでニューオリンズ・ホーネッツ(現ペリカンズ)から1位指名を受けたばかりのアンソニー・デイビスがメンバーに名を連ねた。

 直前のシーズンのオールNBA1stチームから4名(コビー、レブロン、デュラント、ポール)、2nd(ウエストブルック、ラブ)と3rd(カーメロ、チャンドラー)チームから2名ずつ、さらにハーデンとチャンドラー、デイビスを除く9名は同年のオールスター出場者。33歳のコビー、そしてアメリカ代表史上最年少となった19歳のデイビス以外は全員20代と、若さと経験を兼ね備えた実力者が揃い、ビッグマンの層が薄いという弱点はあっても、優勝の大本命だった。
 ■数々の新記録を樹立し、2大会連続で金メダルに輝く

 7月29日の初戦では、トニー・パーカー(当時サンアントニオ・スパーズ)ら5人の現役NBA選手が名を連ね、3大会ぶりにオリンピックの舞台に帰ってきた強敵フランスに27点差をつけて快勝。アフリカ勢との連戦となった続く2試合では、まずチュニジアに47点差で大勝を収めると、ナイジェリアには前半だけで78点、最終的には156点と大会新記録を樹立する。83点差もまたアメリカ代表のニューレコードで、個人でもカーメロが10本の3ポイントを沈め、ステフォン・マーブリー(元ニックスほか)が2004年のアテネ五輪でマークした31得点を上回る、37得点を叩き出した。

 しかしながら、次戦のリトアニアは過去に何度も苦しめられた難敵であり、今回もまた楽な戦いにはならなかった。

 サイズで上回るリトアニアはリバウンドでアドバンテージを握り、オフェンスでも25得点を奪ったリーナス・クレイザ(当時トロント・ラプターズ)を筆頭に、正確なピック&ロールで着実に加点していく。対するアメリカは3ポイントが決まらず、残り5分50秒の時点では82−84と、2点のビハインドを背負っていた。
  それでも17本のスティールを奪うなどディフェンスが効き、99−94でなんとか逆転勝利を収める。続くアルゼンチン戦はデュラントが第3クォーターだけで17得点と爆発し、29点差で大勝。5戦全勝で決勝ラウンドに駒を進めた。

 準々決勝のオーストラリア戦では、オリンピック史上2人目のトリプルダブル達成者となったレブロン(11得点、14リバウンド、12アシスト)の大活躍もあり快勝。アルゼンチンとの再戦となった準決勝も、前の試合のリプレーのようにデュラントが第3クォーターに大量点を稼ぎ出し、問題なく退けた。

 一方でリトアニアは準々決勝でロシアに敗北し、そのロシアも準決勝でスペインに逆転負け。決勝は戦前の予想通り、北京五輪と同じくアメリカ対スペインの顔合わせとなった。
  パウ(当時レイカーズ)とマルク(当時メンフィス・グリズリーズ)のガソル兄弟に加え、ルディ・フェルナンデス(当時デンバー・ナゲッツ)にファン・カルロス・ナバーロ(元グリズリーズ)、さらには帰化選手のサージ・イバカ(当時サンダー)まで加わっていたスペインは、やはり簡単には勝てない相手だった。

 第3クォーター終了時でアメリカのリードはたったの1点。だが、残り3分20秒からレブロンがダンクと3ポイント、1分を切ってポールがレイアップを決め、点差を2桁へ広げた時点で勝負は決する。最終スコアは107−100。デュラントの30得点は、決勝戦におけるアメリカ代表の最多得点になった。

 3位決定戦はアンドレイ・キリレンコ(当時ウルブズ)を擁するロシアがアルゼンチンを下し、金メダルに輝いた旧ソビエト連邦時代の1988 年ソウル大会以来、実に24年ぶりとなるメダルを獲得。開催国のイギリスは64年前のロンドン大会以来の出場で、同年のNBAオールスターにも出場したシカゴ・ブルズのルオル・デンも参戦。結果は1勝4敗、中国に勝利したのみの9位に終わったが、スペイン戦では1点差の好勝負を演じ喝采を浴びた。
 ■大会前、チームへの誇りと愛着から「ドリームチームに勝てる」と宣言したコビー

 大会MVPを選ぶなら、平均19.5点をあげオフェンスを牽引したデュラントだろう。レブロンのオールラウンドな働きも、目を見張るものがあった。だが、チーム最年長であるコビーの存在感も計り知れないほど大きかった。

 実は大会直前、コビーは記者会見の席で「このメンバーなら(1992年の)ドリームチームに勝てる」と宣言。「タフな戦いにはなるだろう。でも俺たちが絶対に倒せない相手ではないはずさ」とレブロンも同調したが、マイケル・ジョーダン(元ブルズほか)やチャールズ・バークレー(元フェニックス・サンズほか)、ラリー・バード(元ボストン・セルティックス)ら、初代ドリームチーマーからは猛反発に遭った。

 さらには当時のバラク・オバマ大統領まで「私はブルズのファンだから、初代ドリームチームの肩を持つ」と参戦したほど、この論争はバスケファン、そしてスポーツファンの間で大きな話題になった。
  リトアニアやスペインに苦戦したように、今回のアメリカ代表は初代ドリームチームほど対戦国を圧倒したわけではない。しかし、20年前とは比べ物にならないくらい、世界のバスケットボールのレベルは上がっていた。

 その状況でこれほどの強さを発揮したのだから、やはりコビーが主張するほどの実力はあったのかもしれない。何よりもこの発言は、彼がこのチームに対するプライドと、メンバーへの愛着を感じていた証でもあった。

「今回の金メダルは、キャリアのなかでトップに入る出来事だった。それくらい大きな達成感がある」と話したコビーは、この大会を最後に「あとはほかの選手たちが引っ張ってくれる」と代表引退を表明。2016年に現役生活にも終止符を打ったが、その後もオリンピックとの関わりは続いており、2028年のロサンゼルス五輪招致活動でも、LAスポーツ界の大物として重要な役割を演じていた。7年後の大会に何らかの形で――もしかしたら、次女ジアナが女子バスケットボールの代表メンバーとして――参加していたかもしれないが、それは叶わぬ望みとなった。
  2020年1月26 日に起きたコビーの事故死を受け、IOCのトマス・バッハ会長をはじめ、オリンピック関係者が続々と哀悼の意を表明。7年後の平和の祭典にコビーの姿はない。だが、バスケットボールの会場となるステイプルズ・センターに足を踏み入れた選手たちは例外なく、そこの“主”であった男のことを思い出すだろう。

文●出野哲也(フリーライター)

※『ダンクシュート』2020年4月号原稿に加筆、修正。

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