シャック、シモンズ、マラビッチ…ルイジアナ州大の最強メンバーを選定!<DUNKSHOOT>

シャック、シモンズ、マラビッチ…ルイジアナ州大の最強メンバーを選定!<DUNKSHOOT>

シャック(左)やシモンズ(右)など個性的なスター選手を輩出してきたルイジアナ州大の歴代最強メンバーとは。(C)Getty Images

1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)は、プロを目指す若手選手たちにとってNBA入りの“王道ルート”であり、時代を問わず何人ものスーパースターをNBAに送り出してきた。

 では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。

 今回はルイジアナ州大編をお届け。現役では2016年ドラフト1位のベン・シモンズが有名だが、過去にはピート・マラビッチやシャキール・オニールといったNBA史に残るレジェンドも輩出している。はたしてどのような布陣が出来上がったのだろうか。
 【ポイントガード】
ベン・シモンズ
1996年7月20日生。211cm・109kg
カレッジ成績:33試合、平均19.2点、11.8リバウンド、4.8アシスト
NBA成績:275試合、平均15.9点、8.1リバウンド、7.7アシスト

 ルイジアナ州大(LSU)出身者には異色のスキルを持つ選手が少なくないが、シモンズも「身長211cmのポイントガード」という相当の変わり種だ。父のデーブがプロ選手としてプレーしていたオーストラリアに生まれ、LSUに入学した2015−16シーズンは平均得点・リバウンド・アシスト・スティールですべてカンファレンス5位以内。同年のドラフトでは、シャキール・オニール以来LSUでは24年ぶりの1位指名で、フィラデルフィア・セブンティシクサーズに入団した。

 1年目は足の故障で全休したものの、復帰した17−18シーズンは新人王を受賞。翌19年から3年連続でオールスターに選ばれ、19−20シーズンの平均2.09スティールはリーグ1位だった。しかしながらロングジャンパーという最大の弱点は一向に改善されず、3ポイントはキャリア4年間で成功5本のみ。フリースロー成功率も通算60%に届かないとあって、20・21年に2年連続でオールディフェンシブ1stチーム入りした守備力をもってしても、批判をかわせずにいる。
 【シューティングガード】
ピート・マラビッチ
1947年6月22日生。196cm・89kg
カレッジ成績:83試合、平均44.2点、6.5リバウンド
NBA成績:658試合、平均24.2点、4.2リバウンド、5.4アシスト

 大学バスケット史上最高の選手としてしばしば名前が挙げられる、真の天才にして芸術家。元プロ選手だった父から英才教育を施され、LSUでの2年目(当時1年生は公式戦に出られなかった)となる1967−68シーズンに驚異の平均43.8点。大学バスケットの年間得点記録トップ3を独占しており、最多の69得点を筆頭に1試合50点以上を28回も記録した。

 腕とボールが一体化したかのようなドリブルスキル、曲芸のようにどこからでもゴールに放り込むシュート力を兼ね備えたショーマンは、1970年ドラフト3位でアトランタ・ホークスに入団。大学時代を過ごしたニューオリンズ(現ユタ)・ジャズ移籍後の76−77シーズンに平均31.1点で得点王、2月25日のニューヨーク・ニックス戦では68得点を叩き出した。

 79年には5度目のオールスターに出場したが、翌80年を最後に32歳で引退。88年に40歳の若さで亡くなったが、生まれつき心臓に疾患を抱えながらプレーしていたことが判明し、関係者を驚かせた。
 【スモールフォワード】
ジョン・ウィリアムズ
1966年10月26日生。203cm・107kg
カレッジ成績:66試合、平均15.8点、7.6リバウンド、3.1アシスト
NBA成績:435試合、平均10.1点、5.1リバウンド、2.9アシスト

 SFは極端な人材不足で、SGやPFの選手を回そうとしてもなお適任者がいない。NBA通算出場試合数だと、現役のギャレット・テンプル(シカゴ・ブルズ)がLSU出身者で5位の632試合だが、キャリア平均6.5点ではいかにも物足りない。そこで435試合しか出ていないけれども10.1点をあげたウィリアムズを選出した。

 ニックネームは“ホット・プレート”。同時代に活躍した同姓同名の選手が“ホット・ロッド”と呼ばれていたのをもじって、食い意地の張った太り気味の体型を揶揄したものだった。86年ドラフト12位でワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)に入団し、PGからセンターまで守れる器用さでポイントフォワードとしても活躍。ダイエットに成功した89−90シーズンは平均18.2点と快調だったが、前十字靱帯断裂の重傷を負い、以後は成長に歯止めがかかってしまった。91−92シーズンに1年間出場停止になった理由も体重超過によるもの。28歳でNBAから姿を消した後はスペインで長くプレーした。
 【パワーフォワード】
ボブ・ペティット
1932年12月22日生。206cm・93kg
カレッジ成績:69試合、平均27.4点、14.6リバウンド
NBA成績:792試合、平均26.4点、16.2リバウンド、3.0アシスト

 長い間、LSU出身で最高のNBA選手の称号は“ミスター・クリーン”ことペティットのものだった。大学では平均27.4点、54年ドラフト2位でミルウォーキー(現アトランタ)・ホークスに入団すると「細身過ぎてプロでは通用しない」との声を跳ね返し新人王に選ばれる。翌年は1849点をあげて得点王(当時は総得点で決定)、59年も2105点で2度目のタイトルを獲得。並外れたハードワーカーとして知られ、現役11年間ですべて平均20点&12リバウンド以上、リーグ初の通算2万点も達成した。

 オールスターにも毎年出場しMVP3回、レギュラーシーズンMVPも56、59年の2回受賞。ベストシーズンは4年目の58年で、ファイナルでは前年3勝4敗で敗れたボストン・セルティックスと再戦。平均29.3点、17.0リバウンド、最終第7戦では決勝シュートを含む50得点の大暴れを見せ、1点差での勝利&球団史上唯一の優勝をたぐり寄せた。従兄弟のフランク・ブライアンもLSU出身で、オールスターに2度選ばれた好選手だった。
 【センター】
シャキール・オニール
1972年3月6日生。216cm・147kg
カレッジ成績:90試合、平均21.6点、13.5リバウンド、1.7アシスト
NBA成績:1207試合、平均23.7点、10.9リバウンド、2.5アシスト

 全盛期の支配力にかけてはリーグ史上最高クラスといっても過言ではない。13歳にして身長2m、本物の陸軍兵士と間違われたエピソードがあるほどの巨体で、LSUでも他の学生を圧倒。92年バルセロナ五輪のドリームチーム入りこそならなかったが、大学最高の選手との評価は盤石で、同年のドラフト1位でオーランド・マジックに入団し、新人王に輝いた。

 バックボードを何度も粉砕した“シャック・アタック”の破壊力はすさまじく、94−95シーズンは平均29.3点で得点王。意外にも個人タイトルはこの年と、ロサンゼルス・レイカーズ移籍後の2000年の得点王のみで、レギュラーシーズンMVPも一度(2000年)しかないが、ファイナルMVPは00〜02年に3年連続で受賞した。

 ラッパーとしてもヒット曲を出すなど多方面にわたって活躍した反面、これだけの実績を残しながら、バスケットボールに集中していればもっと凄い選手になれたはず……と多くの人が信じている。
 【シックスマン】
モックムード・アブドゥル・ラウーフ
1969年3月9日生。185cm・73kg
カレッジ成績:64試合、平均29.0点、3.0リバウンド、3.6アシスト
NBA成績:586試合、平均14.6点、1.9リバウンド、3.5アシスト

 本名はクリス・ジャクソン。身長185cmと小柄ながらも、大学時代は全米屈指のスコアラーとして名を馳せる。88−89シーズンは1年生ながら平均30.2点、翌年も27.8点をあげ、90年のドラフトでは3位でデンバー・ナゲッツに指名された。
  プロでもMIPを受賞した3年目に平均19.2点と得点力を発揮。抜群の敏捷性とクロスオーバードリブルでディフェンスを翻弄しただけでなく、フリースローの正確性が際立っていて、93−94シーズンは229本打って外したのは10本だけ。シーズン成功率95.6%は現在でも史上3位にランクされ、96年も93.0%で2度目のリーグ1位、81本連続で決めたこともあった。

 トゥレット症候群の持病を抱えながらの活躍は多くの人に勇気を与えたが、93年にイスラム教に改宗・改名して以降、周囲との軋轢が目に見えて増えていく。ついには試合前の国歌斉唱時に起立を拒否する騒動を起こし、その後は扱いづらいトラブルメーカーの烙印を押されるようになって、第一線から姿を消した。晩年は日本の京都ハンナリーズでもプレーしている。

文●出野哲也

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