【名馬列伝】競馬の枠を超えたディープインパクトの衝撃。その「成功」はまさに唯一無二

【名馬列伝】競馬の枠を超えたディープインパクトの衝撃。その「成功」はまさに唯一無二

ディープインパクトは現役時代の活躍はもちろん、引退後も種牡馬として極めて優秀な仔を生みだした。写真:産経新聞社

日本の競馬史上において、競馬ファンの枠を越え、国民的な知名度を獲得した競走馬は3頭いると考えている。

 1頭目は、地方の大井競馬でデビューし、中央移籍後も連戦連勝で話題が沸騰し、少年マンガ誌の表紙、グラビアを飾るまでになったハイセイコー(1970年生)。

 2頭目は、これも地方競馬の笠松から中央へ転入して連勝を重ね、のちにはラストランの有馬記念で伝説的な復活劇を見せたオグリキャップ(1985年生)。

 そして3頭目は、史上2頭目となる無敗でのクラシック三冠制覇を達成し、名手・武豊をして「飛んでいるような走り」と言わしめたディープインパクト(2002年生)である。

 偶然にも十数年の間隔をおいて出現したこの名馬たちだが、その人気の上昇ぶりにはかなりの違いがある。

 ハイセイコーが高度経済成長期を、またオグリキャップがバブル景気に影響を受けた”競馬ブーム”を背景としたものに対して、ディープインパクトが現役生活を送った2004〜2006年にはバブルはすでに弾け飛んだ後のことだった。

 また、ハイセイコーとオグリキャップが幾度もの敗戦がファン心理を加熱させるジャンピングボードになったのに対し、ディープインパクトは国内での敗戦は3歳時の有馬記念(2着)の一度のみという圧倒的な戦績を残している。
  では、なぜディープインパクトが国民的な注目を浴びたのか。

 それはひたすらに、彼の驚異的な「強さ」と「速さ」、また「走りの美しさ」によるものだったと断じて疑いない。

 この点が、ディープインパクトが博した人気の特異さであり、同時に凄さである。

 日本競馬の血統地図を塗り替えた大種牡馬サンデーサイレンス。その産駒は世界中の競馬関係者から声がかかるほどの人気を博し、セリ市に出てきた牡馬ならば”ミリオン・ホース”(落札額が1億円を超える馬)になるのが当たり前であった。

 当歳(0歳)の7月、日本最大のセリ市であるセレクトセールに上場された「ウインドインハーヘアの2002」、のちのディープインパクトは、サンデーサイレンスの仔でありながら、馬体の小ささもあってか億には遠く届かず、7000万円(税別)で金子真人氏(現・金子真人ホールディングス株式会社)によって落札された。
  調教師などに任せるオーナーがほとんどだが、金子氏は自身の目で確かめ、見初めた馬しか所有しないことで知られる。氏の一番の判断基準は「目の輝き」だというが、ディープインパクトの目は「吸い込まれるような輝きだった」と述懐している。馬体の見栄えの良さに左右されない金子オーナーの感性の豊かさが、ディープインパクトの稀なる才能を見出したわけだ。

 2004年12月のデビュー戦を楽勝したディープインパクトが、「これは明らかに普通の馬ではない」と決定的に印象付けたのは、3戦初戦として臨んだ若駒ステークス(オープン、京都・芝2000m)だった。

 7頭立てとなったこのレース。ディープインパクトはゆったりと最後方を進み、直線へ向いた時にはまだ先頭と10馬身ほどの差があったが、鞍上の武豊からゴーサインを出されると、恐るべき瞬発力を繰り出して瞬時に先頭に躍り出て、ノーステッキで2着に5馬身差をつけて悠々とゴール。この衝撃の圧勝劇によって、マスメディアが「三冠は確実」と報じるようになった。

 あとはご存じのとおり。スタートで躓いて大きく体勢を崩した皐月賞、1周目のスタンド前でエンジンがかかってヒヤリとさせた菊花賞という、通常の馬であれば”ピンチ”と映るシーンもラクラクとクリアして、難なく無敗のクラシック三冠制覇を成し遂げた。無人の野を行く、ならず、無馬のターフを行くとでもいうべき、そのすべてがまさに敵なしの勝ちっぷりだった。
  しかし、その次に臨んだ有馬記念では「今日は飛ぶような走りではなかった」(武豊)ディープインパクトが、当時はまだフランスを主戦場としていたクリストフ・ルメールが手綱をとって予想外の先行策に出たハーツクライに半馬身届かず、半馬身差の2着に敗退。結局、引退まで国内で敗れた日本馬はハーツクライただ1頭となる。

 4歳になり、天皇賞(春)、宝塚記念とGTも事も無げに連勝したディープインパクトは、いよいよ競馬ファンならずとも期待を寄せていたフランスの凱旋門賞(GT、ロンシャン・芝2400m)に挑戦する。

 日本からは100人以上に及ぶマスメディア以外に、数百人ともいわれるファン”ディープ応援団”が大挙して押し寄せ、欧州にはない習慣である”応援馬券”として、また土産として彼の単勝馬券を大量に買い込んだため、競馬場内でのディープインパクトの単勝オッズが1.1倍を示した瞬間もあり、パリの競馬ファンや関係者を驚かせたという。

 日本で見守るファンに向けてはJRAや映画館がパブリックビューイングを開くほか、CSの専門チャンネル以外に、地上波でNHKとフジテレビ系列が生中継するという、何もかもが異例の事態を引き起こす人気ぶりだった。

 しかし、結果は残念なものとなった。
  直線でいったんは先頭に立ったものの、ロンシャンのタフな馬場に脚をとられたからか「飛ぶような走り」は見られず、2頭に交わされて3位で入線。またその後、現地で咳止めのために使った薬剤が、レース後に取った検体(尿)に残っていたことから失格の裁定が下されるという憂き目に遭う。

 そして、それまでの盛り上がりから一転して、マスメディアが中心となって一大スキャンダルになってしまった。

 年内での引退が決まっていたディープインパクトに残されたレースは2戦。ジャパンカップと有馬記念だ。陣営は彼が凱旋門賞で受けた汚名を何としてもすすぐ必要があった。

 そしてディープインパクトは、そのタスクを背に「飛んだ」。

 ジャパンカップを2馬身差で快勝すると、ラストランの有馬記念には直線だけで10頭をごぼう抜きにして、汚名を見事にすすいで有終の美を飾ったのである。

 レース後には、闇に包まれた中山競馬場の本馬場で眩いばかりのライトを浴びながら引退式を済ませた桁違いの名馬は、ファンに別れを告げて北海道へと旅立っていった。
  総額51億円(8500万円×60口)という破格の種牡馬シンジケートが組まれたディープインパクトは、父親としてもケタ違いの成功を収めた。

 2012年から昨年まで9年連続でリーディングサイアー(種牡馬の産駒獲得賞金ランキング1位)に輝き続けており、三冠馬のコントレイル、ジェンティルドンナをはじめ、GT勝ち馬を53頭も送り出し(海外を含む)、今年も海外で英オークス(GT、エプソム・芝12ハロン6ヤード/約2420m)で2着に16馬身差、続く愛オークス(GT、カラ・芝12ハロン)でも2着に8馬身半という、ともにレース史上最大着差をつけて圧勝したスノーフォール(Snowfall、生産は日本のノーザンファーム)が活躍中である。

 1200万円からスタートした種付料は、2018年には4000万円まで高騰。もちろん、日本の生産史において比肩するものがない、ダントツのでナンバーワンであった。

 2019年3月、頚椎骨折のために17歳で急死した彼の名前は、自身が勝ったレースである『弥生賞ディープインパクト記念』という名前にも残された。

 最後に私的な思い出を少しだけ書かせてもらいたい。

 3歳の夏、休養先の札幌競馬場で取材した際のこと。「オンとオフの切り替えがはっきりしている」とは聞いていたが、調教とクーリングダウンを終えて厩舎前で体を洗ってもらっていたところへうかがうと、ディープインパクトはすでにうつらうつらと船を漕いでいたのには驚いた。

 周囲の厩舎スタッフが気を使ったり、ちょくちょく取材記者が訪れるのもまったくお構いなし。担当だった市川明彦厩務員や池江敏行調教助手にもぴりぴりした様子はなく、「これが本当に日本競馬の至宝なのか?」と拍子抜けするほどだった。

 筆者が正気に戻ったのは、池江さんに「よかったら顔でも撫でてみたら?」と勧められた時だった。大人しい馬だとは分かっていても、「万が一、何かあったら……」とビビッて手が出せなかったことを、仕事であったとはいえ、今はとても後悔している。

文●三好達彦

【関連動画】「これが最後のディープインパクト!」2006年有馬記念のJRA公式レース動画

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