【生島淳が見た東京五輪】箱根駅伝から世界への道筋が見えた!三浦龍司、大迫傑らが入賞で示した可能性
2021年08月10日 16時03分THE DIGEST

順天堂大2年の三浦が大舞台で日本人初の7位入賞を飾った。(C)Getty Images
私が『駅伝がマラソンをダメにした』という本を上梓したのは2005年のことで、当時は大学から世界への道筋が断絶していた状況を嘆いた本だった。
それから16年が経ち、迎えた東京オリンピック。時代は変わった。箱根駅伝を走った選手たちは、大学での強化がオリンピックに結びつくことをしっかりと証明してくれた。
なんといっても「出世魚」は3000m障害で日本人としてはじめて7位に入賞した三浦龍司(順天堂大)だ。
2年前の日本選手権では、まだ丸刈りの高校生が3000m障害の決勝に進んだことが新鮮だったが、8分40秒30で5位。昨年、コロナ禍のなかで順天堂大に入学したが、校内での練習はままならず、郷里である島根の実家で距離走に取り組めたのが良かったという。
「わりと自分ひとりでも走れるタイプなんですよ。さすがにスピード練習は難しかったですけど、じっくりとロードを走れたのがスタミナ強化につながったのかと思います。そのときは、走っているだけで見てくる人がいたりして大変でしたけど(笑)」
環境に動じず、淡々としたところが三浦の魅力だと思う。
この時期の土台作りが功を奏したか、10月の箱根駅伝予選会では日本人トップ、11月の全日本大学駅伝の1区では区間賞と快進撃。この月の下旬にハードリングの練習でケガをして12月の日本選手権の出場はかなわなかったが、1月2日の箱根駅伝では1区を担当した(区間10位)。
振り返ってみれば、箱根に至るまでハーフマラソンの距離にも適応したことで、3000m障害には十分なスタミナを醸成することが出来たと思われる。
興味深かったのは、東京オリンピックに向けての春シーズンの過ごし方である。5月に行なわれた関東インカレで、三浦は1500mにエントリーしていた。
「これは来たな」とうれしくなった。スピードを磨く最終ステージに入ったことが分かったからだ。
圧巻だったのは、中距離専門の選手をスピードで置き去りにして優勝したことだった。タイムは3分48秒57。三浦の研ぎ澄まされたスピードは6月の日本選手権へとつながり、水濠で転倒しながらも8分15秒99の日本新記録をマーク、オリンピック参加標準記録を突破した。
駅伝シーズンにスタミナを養って大きな基礎を作り、春から夏にかけてスピードを研ぎ澄ましたような印象を受けた。そしてその武器が、オリンピックでもさらにパワーアップするとは!
予選での三浦の走りは、頼もしかった。私はこれまで世界選手権を現場で見るたび、大学時代のスター選手たちがアフリカ勢に周回遅れにされ、しかも腰の位置が下がってスピードが失われていくのを見て、世界との差が開きすぎたことを感じていた。
ところが三浦は、先頭集団で好位置をキープし、「勝負」に行っていた。しかもラストのホームストレートでは、着順での決勝進出が明白で、余裕さえあるではないか!
タイムは8分09秒92。日本新記録。
決勝も勝負にはなった。最後まで緊張感をもって勝負できたことは大きな財産になることだろう。
大学生活はまだ2年半残っている。さらに飛躍するためには、クリエイティビティが必要になるだろう。
オリンピックが終わり、これからはロードのシーズンを迎えるが、さて、2021年から2022年にかけて、三浦はどんな強化プランを立てるだろうか。来年はオレゴン、再来年はブダペストでの世界選手権が待つ。
「3000m障害は、自分を表現できる種目です」
という三浦の言葉はなんとも清々しい。
●土台としての意味合い
三浦ともう一人、マラソンでは大迫傑が6位入賞を果たしたが、大迫は日本の枠組みから飛び出し、自らの可能性を切り拓いた「トレイルブレイザー」、開拓者だ。
大迫については、これまでの実績よりも、これから日本の長距離界を変えていける可能性の方が大きな意味を持つかもしれない。
振り返ってみると、大迫がオレゴンとのつながりが出来たのは、大迫が早稲田大学に在学中、競走部とナイキの関係性があったからだ。
このように大学はその後の競技人生の「土台」や「きっかけ」を与える場であればいいと思っている。
マラソンでは中村匠吾、服部勇馬ともに厳しいレースとなったが、ふたりとも大学時代からマラソンへの適性を監督に見込まれて準備を重ねてきた。
服部の場合、2016年の東京マラソンにエントリーし、終盤までトップを走ったが、最後に失速した。当時から、東洋大の酒井俊幸監督は大学から社会人へのスムーズな連携を主張していた。
「勇馬の場合、2016年の東京マラソンに向けては、じっくり足を作りたい時期に箱根駅伝があったのはたしかです。箱根を考えると、ハーフでのスピードを重視したトレーニングとなり、ベタっとしたスタミナ系の練習が出来ない。最後のスタミナが足りなかったのはそのせいです。それでも、大学生のうちに課題が見つかるのは大きな収穫で、きっと社会人になってから大きく育ってくれるでしょう」
服部も、中村もオリンピアンへと成長したが、今回の結果は、改めてオリンピックというひとつのレースに焦点を合わせることの難しさをも実感させる。
今回、5000mでは坂東悠汰、10000mでは相澤晃と伊藤達彦と、箱根駅伝のエースたちがトラックで活躍できたのも、ここ数年、大学での競争がハイレベルで推移したことの表れだと思う。
そしていま、三浦龍司の出現によって、大学界は新たな次元に突入したように思える。
今年のロードシーズンが楽しみだ。
取材・文●生島淳
【著者プロフィール】
いくしま・じゅん/1967年気仙沼生まれ。海外ではNBAやMLB、国内ではラグビー、駅伝、野球等、幅広くスポーツを追うジャーナリスト。駅伝関係の著書には『監督と大学駅伝』(日刊スポーツ出版社)、『箱根駅伝』『箱根駅伝 新ブランド校の時代』(ともに幻冬舎新書)、『箱根駅伝 勝利の方程式』『箱根駅伝 勝利の名言』 (ともに講談社+α文庫)など多数ある。
それから16年が経ち、迎えた東京オリンピック。時代は変わった。箱根駅伝を走った選手たちは、大学での強化がオリンピックに結びつくことをしっかりと証明してくれた。
なんといっても「出世魚」は3000m障害で日本人としてはじめて7位に入賞した三浦龍司(順天堂大)だ。
2年前の日本選手権では、まだ丸刈りの高校生が3000m障害の決勝に進んだことが新鮮だったが、8分40秒30で5位。昨年、コロナ禍のなかで順天堂大に入学したが、校内での練習はままならず、郷里である島根の実家で距離走に取り組めたのが良かったという。
「わりと自分ひとりでも走れるタイプなんですよ。さすがにスピード練習は難しかったですけど、じっくりとロードを走れたのがスタミナ強化につながったのかと思います。そのときは、走っているだけで見てくる人がいたりして大変でしたけど(笑)」
環境に動じず、淡々としたところが三浦の魅力だと思う。
この時期の土台作りが功を奏したか、10月の箱根駅伝予選会では日本人トップ、11月の全日本大学駅伝の1区では区間賞と快進撃。この月の下旬にハードリングの練習でケガをして12月の日本選手権の出場はかなわなかったが、1月2日の箱根駅伝では1区を担当した(区間10位)。
振り返ってみれば、箱根に至るまでハーフマラソンの距離にも適応したことで、3000m障害には十分なスタミナを醸成することが出来たと思われる。
興味深かったのは、東京オリンピックに向けての春シーズンの過ごし方である。5月に行なわれた関東インカレで、三浦は1500mにエントリーしていた。
「これは来たな」とうれしくなった。スピードを磨く最終ステージに入ったことが分かったからだ。
圧巻だったのは、中距離専門の選手をスピードで置き去りにして優勝したことだった。タイムは3分48秒57。三浦の研ぎ澄まされたスピードは6月の日本選手権へとつながり、水濠で転倒しながらも8分15秒99の日本新記録をマーク、オリンピック参加標準記録を突破した。
駅伝シーズンにスタミナを養って大きな基礎を作り、春から夏にかけてスピードを研ぎ澄ましたような印象を受けた。そしてその武器が、オリンピックでもさらにパワーアップするとは!
予選での三浦の走りは、頼もしかった。私はこれまで世界選手権を現場で見るたび、大学時代のスター選手たちがアフリカ勢に周回遅れにされ、しかも腰の位置が下がってスピードが失われていくのを見て、世界との差が開きすぎたことを感じていた。
ところが三浦は、先頭集団で好位置をキープし、「勝負」に行っていた。しかもラストのホームストレートでは、着順での決勝進出が明白で、余裕さえあるではないか!
タイムは8分09秒92。日本新記録。
決勝も勝負にはなった。最後まで緊張感をもって勝負できたことは大きな財産になることだろう。
大学生活はまだ2年半残っている。さらに飛躍するためには、クリエイティビティが必要になるだろう。
オリンピックが終わり、これからはロードのシーズンを迎えるが、さて、2021年から2022年にかけて、三浦はどんな強化プランを立てるだろうか。来年はオレゴン、再来年はブダペストでの世界選手権が待つ。
「3000m障害は、自分を表現できる種目です」
という三浦の言葉はなんとも清々しい。
●土台としての意味合い
三浦ともう一人、マラソンでは大迫傑が6位入賞を果たしたが、大迫は日本の枠組みから飛び出し、自らの可能性を切り拓いた「トレイルブレイザー」、開拓者だ。
大迫については、これまでの実績よりも、これから日本の長距離界を変えていける可能性の方が大きな意味を持つかもしれない。
振り返ってみると、大迫がオレゴンとのつながりが出来たのは、大迫が早稲田大学に在学中、競走部とナイキの関係性があったからだ。
このように大学はその後の競技人生の「土台」や「きっかけ」を与える場であればいいと思っている。
マラソンでは中村匠吾、服部勇馬ともに厳しいレースとなったが、ふたりとも大学時代からマラソンへの適性を監督に見込まれて準備を重ねてきた。
服部の場合、2016年の東京マラソンにエントリーし、終盤までトップを走ったが、最後に失速した。当時から、東洋大の酒井俊幸監督は大学から社会人へのスムーズな連携を主張していた。
「勇馬の場合、2016年の東京マラソンに向けては、じっくり足を作りたい時期に箱根駅伝があったのはたしかです。箱根を考えると、ハーフでのスピードを重視したトレーニングとなり、ベタっとしたスタミナ系の練習が出来ない。最後のスタミナが足りなかったのはそのせいです。それでも、大学生のうちに課題が見つかるのは大きな収穫で、きっと社会人になってから大きく育ってくれるでしょう」
服部も、中村もオリンピアンへと成長したが、今回の結果は、改めてオリンピックというひとつのレースに焦点を合わせることの難しさをも実感させる。
今回、5000mでは坂東悠汰、10000mでは相澤晃と伊藤達彦と、箱根駅伝のエースたちがトラックで活躍できたのも、ここ数年、大学での競争がハイレベルで推移したことの表れだと思う。
そしていま、三浦龍司の出現によって、大学界は新たな次元に突入したように思える。
今年のロードシーズンが楽しみだ。
取材・文●生島淳
【著者プロフィール】
いくしま・じゅん/1967年気仙沼生まれ。海外ではNBAやMLB、国内ではラグビー、駅伝、野球等、幅広くスポーツを追うジャーナリスト。駅伝関係の著書には『監督と大学駅伝』(日刊スポーツ出版社)、『箱根駅伝』『箱根駅伝 新ブランド校の時代』(ともに幻冬舎新書)、『箱根駅伝 勝利の方程式』『箱根駅伝 勝利の名言』 (ともに講談社+α文庫)など多数ある。
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