ピッペン、ロッドマン、デュマース…“無名大学出身のベストメンバー”はオールスター級の豪華布陣に<DUNKSHOOT>

ピッペン、ロッドマン、デュマース…“無名大学出身のベストメンバー”はオールスター級の豪華布陣に<DUNKSHOOT>

ヒル(右下)はやや格が落ちるものの、ピッペンやロッドマン(左)、デュマース(右上)など、無名校出身者限定でもオールスター級の布陣が完成した。(C)Getty Images

1910年に創設され、NBA(1946年)より古い歴史を持つNCAA(全米大学体育協会)は、プロを目指す若手選手たちにとって、NBA入りの“王道ルート”であり、時代を問わず何人ものスーパースターを送り出してきた。

 では、カレッジとNBAで実績を残した選手を対象に、大学別に最強メンバーを選出した場合、どんな顔ぶれになるのか。『THE DIGEST』では、双方に精通する識者に依頼し、各大学のベストメンバーを選んでもらった。

 今回は番外編として、“無名校出身のベストメンバー”をお届けする。バスケットボールがあまり盛んではない大学から、突然変異のように現われた屈指の実力者たち。他の名門大学のベストメンバーと比べても決して引けを取らない、オールスター級の布陣が完成した。
 【ポイントガード】
ジョージ・ヒル(IUPUI)
1986年5月4日生。193センチ・85キロ
カレッジ成績:95試合、平均17.0点、5.8リバウンド、3.3アシスト
NBA成績:815試合、平均11.0点、3.1リバウンド、3.2アシスト

 無名校の定義を、ここでは“NCAAトーナメント(以下トーナメントと省略)出場回数が少ない”、“NBA選手になったOBも数人程度”とする。例えばステフィン・カリー(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)の母校デイビッドソン大は、有名とは言い難いけれどもトーナメントに14回(カリー入学前に8回)も出ているので、無名とも言えない。

 その点、IUPUIことインディアナ・パデュー大インディアナ校(インディアナ、パデュー両大学が共同で設立)は、トーナメント出場が2003年の一度だけでしかも初戦敗退。NBAに進んだ選手もヒルのみで、“無名度”は断然上だ。

 地元インディアナポリス出身のヒルは、2008年にIUPUI初のドラフト指名選手(26位)としてサンアントニオ・スパーズに入団。シュート、プレーメーキング、ディフェンスのすべてにおいて、派手さはないが信頼度の高い選手として地位を築き、ミルウォーキー・バックス在籍時の2019-20シーズンには、3ポイント成功率でリーグ1位(46.0%)となっている。
 【シューティングガード】
ジョー・デュマ―ス(マクニース州大)
1963年5月24日生。191センチ・88キロ
カレッジ成績:116試合、平均22.5点、4.2リバウンド、2.8アシスト
NBA成績:1018試合、平均16.1点、2.2リバウンド、4.5アシスト

 ルイジアナ州にあるマクニース州大は、トーナメント出場がわずか2回のみ、それもデュマ―スが卒業してからのこと。NBA選手も今に至るまで6人、しかもデュマース以外の5人の合計出場試合数は205にしかならない。

 そんな無名校に通ったデュマ―スは、1985年のドラフト1巡目18位指名でデトロイト・ピストンズに入団。堅実無比なプレーぶりで主にディフェンス面で活躍し、その守備力はマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)が「最もタフなディフェンダーの1人だった」と認めたほど。実際にオールディフェンシブチームには5回選ばれている。

 攻撃面では勝負強さに定評があり、1989年のファイナルでは平均27.3点をあげMVPに輝いた。“バッド・ボーイズ”と呼ばれた荒くれ者集団だった当時のピストンズにあって、唯一の優等生として敬意を集めた人格者でもあり、1996年は新たに創設されたスポーツマンシップ賞を受賞。同賞はその後『ジョー・デュマース賞』と改称されている。その才覚はエグゼクティブとしても発揮され、2004年に球団社長としてピストンズを優勝に導いた。
 【スモールフォワード】
スコッティ・ピッペン(セントラルアーカンソー大)
1965年9月25日生。203センチ・103キロ
カレッジ成績:93試合、平均17.2点、8.1リバウンド、2.7アシスト
NBA成績:1178試合、平均16.1点、6.4リバウンド、5.2アシスト

 ラリー・バード(元ボストン・セルティックス)の出身校インディアナ州大も小さな学校だが、それでもピッペンの母校とは比べものにならない。ディビジョン1に昇格したのは2006年で、トーナメント出場経験なし、輩出したNBA選手もピッペンただ1人。そのような弱小校ですら、彼は高校のコーチの伝手を頼って入学し、マネージャー兼任で入部した程度の存在だった。

 しかしながら、入学後は急激に実力をつけていき、1987年のドラフト1巡目5位でシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)に指名されると、直後のトレードでブルズへ加入。ジョーダンの最高の相棒としてオールディフェンシブチームに10回、うち1stチームに8回選出され、ブルズの6度の優勝に大きく貢献した。

 1994-95シーズンには、得点・リバウンド・アシスト・スティール・ブロックの全部門でチームトップという、史上4人しか達成していない快挙を達成。また1992年のバルセロナ五輪、1996年のアトランタ五輪と、オリンピックの舞台でも2度金メダルを獲得した。
 【パワーフォワード】
デニス・ロッドマン(サウスイースタンオクラホマ州大)
1961年5月13日生。201センチ・95キロ
カレッジ成績:96試合、平均25.7点、15.7リバウンド、0.6アシスト
NBA成績:911試合、平均7.3点、13.1リバウンド、1.8アシスト

 高校ではバスケットボールをプレーしておらず、学校を出てからも職を転々としていたロッドマンは、突然身長が伸び始めたことでジュニアカレッジに入学。その後サウスイースタンオクラホマ州大に転校したが、この学校もNCAAディビジョンIに所属したことのない無名校だった。

 それでも卓越したリバウンドの能力は大学時代から際立っていて、1985、86年に2年続けてNAIA(NCAAとは別の組織)でリバウンド王を獲得すると、1986年のドラフト2巡目27位指名を受けピストンズに入団。史上最高級のリバウンダーとしてだけでなく、総合的な守備力の高さ、そして勝利のためならどんなダーティーなプレーも実行し、チームの2度の優勝に大きく貢献した。

 スパーズを経て1996年からはブルズに加入すると、さらに3個のチャンピオンリングを追加。1992~98年に7シーズン連続でリバウンド王、1990、91年は最優秀守備選手賞にも輝いた。またコートの外でも、他に類を見ない風貌や行動が大衆の関心を集め、1990年代を代表するポップアイコンの1人にもなっている。
 【センター】
ロバート・パリッシュ(センテナリー大)
1953年8月30日生。216センチ・111キロ
カレッジ成績:108試合、平均21.6点、16.9リバウンド、1.5アシスト
NBA成績:1611試合、平均14.5点、9.1リバウンド、1.4アシスト

 ルイジアナ州にあるセンテナリー大は、1度もトーナメントに出ることのないまま、2011年を最後にディビジョン1から3へ転落。文字通りの弱小校で、NBA選手もパリッシュ以前に1人(ほかにABA選手が1人)、その後も1人いるだけだ。

 パリッシュは在学時に2度リバウンドで全米1位相当の数字(1976年は平均18.0本)を残したものの、学業成績が規定を満たさなかったことから正式なタイトルと認定されず。1973年にABAのユタ・スターズからドラフト8位で指名されたのち、1976年に今度はウォリアーズから8位指名を受けプロ入りを果たした。

 全盛期は1980-81シーズンから加入したセルティックス時代で、1988-89シーズンの12.5本を頂点に、平均10リバウンド以上を10度も記録。攻撃では高い打点からのジャンプショットが有名で、オールスターに9度選出、そして3度の優勝を味わった。大きなケガに見舞われることなく43歳まで現役を続けた結果、通算出場試合数1611は今でもリーグ史上最多記録となっている。
 【シックスマン】
サム・ジョーンズ(ノースカロライナセントラル大)
1933年6月24日生。193センチ・90キロ
カレッジ成績:100試合、平均17.7点、9.1リバウンド
NBA成績:871試合、平均17.7点、4.9リバウンド、2.5アシスト

 バスケットボールが盛んなノースカロライナ州では、ノースカロライナ大、デューク大、ウェイクフォレスト大など強豪校がひしめいている。そのなかにあって、もともと黒人の通う学校だったノースカロライナセントラル大は、トーナメント初出場が2014年、ディビジョン1に復帰したのが2007年という、ほとんど知られていない学校だった。
  輩出したNBA選手も3人しかいないが、ジョーンズは正真正銘の名選手だ。1957年のドラフト8位でセルティックスに指名された際は、通用する自信がなく教師になろうとしたくらいだったが、正確なバンクショットで常勝球団の先発に定着。1964-65シーズンから4年続けて平均20点以上、5度オールスターに選ばれ、重要な場面でシュートを託されることも多かった。それでもなお「自分はただのロールプレーヤー」とチームプレーに徹し、10度の優勝を経験している。

 また、現役ではCJ・マッカラム(ポートランド・トレイルブレイザーズ)の出身校リーハイ大も無名大で、NBA選手は彼ただ1人である。

文●出野哲也

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