【NBA背番号外伝】ジャバー、バード、ピッペンが着用し人気が爆発!バスケ選手の憧れのナンバー「33」の歴史<DUNKSHOOT>

【NBA背番号外伝】ジャバー、バード、ピッペンが着用し人気が爆発!バスケ選手の憧れのナンバー「33」の歴史<DUNKSHOOT>

ジャバー(右)が価値を高め、その後バード(左上)やピッペン(左下)も着用したことで、33番はバスケ選手にとって憧れの背番号となった。(C)Getty Images

NBAに興味を持った時期によって、背番号33と聞いて思い浮かべる選手は違うだろう。オールドファンにとってはカリーム・アブドゥル・ジャバー、それより少しあとの時代だとラリー・バードやパトリック・ユーイング、そして1990年代のシカゴ・ブルズに夢中になった人たちにとっては、スコッティ・ピッペンのイメージが強いはずだ。

 ジャバーが33番を選んだのは、まだ本名のルー・アルシンダーだった高校生の時。贔屓の選手だったNFLニューヨーク・ジャイアンツのメル・トリプレットの番号であり、また宇宙数霊術に凝っていた彼の母親が、良い数字と占ったからでもあった。数霊術のおかげかどうかはともかく、UCLAからミルウォーキー・バックス、そしてロサンゼルス・レイカーズに至るまで、ジャバーは一貫して背番号33をつけ、すべてのチームで永久欠番となった。

 史上最多6回のMVPに輝き、さらにNBA通算得点記録も樹立したスーパースターがつけていた33番は、多くのバスケットボール選手の憧れの番号となった。ジャバーと同じビッグマンならなおさらで、ユーイングやその後輩のアロンゾ・モーニング、オーティス・ソープ、アントニオ・デイビスらはいずれも望んでこの数字を背負った。

 ただ現役では、現レイカーズのマルク・ガソルがメンフィス・グリズリーズ、トロント・ラプターズ時代に使っていたのと、マイルズ・ターナー(インディアナ・ペイサーズ)くらいしか有力選手はいない。かつての33番=センターのイメージは薄れつつあり、ジェームス・ワイズマン(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)に期待したい。
  バードも時代的にはジャバーの影響を受けているはずだが、33番にしたのは兄と同じ番号というのが理由らしい。インディアナ州大時代の79年に、NCAAトーナメント決勝で敗れるまで“33連勝”したのも無関係ではないかもしれない。

 ボストン・セルティックスに入団したバードは、84〜86年にジャバーもなし得なかった3年連続のMVPを受賞。ファイナルMVPにも2度輝き、史上最高のSFの1人と目されている。80年代後半以降は、33番はジャバーよりバードのイメージの方が強くなり、それにつれて彼と同タイプのオールラウンドプレーヤーがつける番号になっていった。

 ピッペンはその典型的な例だろう。ジャバーやバードの番号だったとの理由で背番号33を選び、マイケル・ジョーダンの最高の相棒として6度の優勝、そして初代ドリームチームを含む2個のオリンピック金メダルを獲得。

「9歳の時にブルズの試合に観に行って、客席からピッペンの手に触れたんだ。それ以来ずっと彼のファンだった」と語るダニー・グランジャー(元ペイサーズほか)をはじめ、アントワン・ジェイミソン(ウォリアーズ時代ほか)、現役のロバート・コビントン(フィラデルフィア・セブンティシクサーズ時代など。現在はポートランド・トレイルブレイザーズで23番)ら、ピッペンに憧れて33番をつけた選手は多い。
  グラント・ヒルもバードやピッペンと同じオールラウンダーだったが、もともとはマジック・ジョンソンに憧れて高校までは32番だった。しかしデューク大に進むと、先輩のクリスチャン・レイトナーが32番をつけていたため、マジックの大学時代の番号である33に変更した。

 2008年にフェニックス・サンズへの移籍が決まった際は、アルバン・アダムズの番号として永久欠番になっていたので、父カルビンがNFLのスター選手時代につけていた35番に変えようかと考えた。だがアダムスが「33は私個人ではなく、サンズというチームの番号」と、ヒルが使用することを承諾。結果、引退するまでNBAでは33以外の背番号を使わなかった。

 そのアダムズも、センターでありながらパスが上手でアシストの多かった器用な選手。彼の前にサンズの33番だったチャーリー・スコットも、ABA時代と合わせて5度のオールスターに出場した好選手だった。

 スコットと同じくABA出身のデビッド・トンプソンは、ジョーダンが少年時代に憧れた70年代のスーパースターの一人。デンバー・ナゲッツの永久欠番となったのは引退から8年後の92年で、その間に同球団ではカルビン・ナットも33番で活躍した。
  シャキール・オニールは32番(オーランド・マジック時代)や34番(レイカーズ時代)の印象が強いが、クリーブランド・キャバリアーズに在籍した1年だけ背番号33だったことがある。ユーイングのファンだった彼は高校・大学を通じて33番。NBAでも33番を希望し、マジックもドラフト指名時に彼の名前が入ったユニフォームをプレゼントしたのだが、当時マジックの33番だったテリー・キャトリッジが譲ることを拒み、32番になった。

 コビー・ブライアントも高校では33番で、これはジャバーやバードとは関係なく、父ジョーの高校時代の番号に因んだもの。プロでもこの数字にするつもりだったが、レイカーズでは欠番だったので実現しなかった。アマチュアで33番だったのちのスター選手には、マーケット大時代のジミー・バトラー(現在マイアミ・ヒートで背番号22)らもいる。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2013年6月号掲載原稿に加筆・修正
 

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