“常識を超える”チェンバレンの豪快伝説――高校在学時に偽名を使い、プロ相手に平均54点【NBA秘話|前編】<DUNKSHOOT>

“常識を超える”チェンバレンの豪快伝説――高校在学時に偽名を使い、プロ相手に平均54点【NBA秘話|前編】<DUNKSHOOT>

高校時代、チェンバレンは偽名を使ってプロリーグでプレーしていたという。(C)Getty Images

2021年1月号の『ダンクシュート』誌で、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)とレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)を徹底比較する企画を掲載した。しかし、ほんの10年ほど前までは、“史上最強”を巡る論争でジョーダンと比較される対象は別の人物だった。

 ウィルト・チェンバレン――。7年連続得点王、通算3万得点など数々の史上初の快挙を成し遂げたレジェンドだ。スケールの大きさや怪物度で言えば、誰も敵わぬ伝説の巨人。今回は、チェンバレンが残した超絶秘話を2本紹介する。
 ■“怪物度”では、レブロンやジョーダンよりはるかに優る

『ダンクシュート』2021年1月号において、“史上最高の選手はどっちだ?!”と題し、マイケル・ジョーダンとレブロン・ジェームズの比較検証を行なった。もしこれに3人目の比較対象者を加えるとするなら、いったい誰になるだろうか。パッと思い浮かぶ何人かのレジェンドのなかから、個人的にはウィルト・チェンバレンを選びたい。アメリカのバスケットボール専門誌『SLAM』が2011年に発表し、話題となったランキング“歴代の偉大なNBA選手トップ500”でも、チェンバレンはジョーダンに次いで2位に選ばれている。

 1月号の特集テーマが、“史上最高の選手”ではなく、“史上最も規格外の選手は誰だ?!”“最も桁外れな選手は?”“最大のモンスターは?”だったとしたら、チェンバレンがトップに選ばれていたに違いない。人間離れしたフィジカルやバスケットボールの能力のみならず、永遠に破られることがないとされる怪記録の数々――例えば、1961-62シーズンにマークした平均出場時間48.5分(1試合は48分)――を保持するなど、そのバケモノっぷりは抜きん出ている。

 また、“現役中に2万人の女性と関係を持った”や、“夜にアリゾナの荒野を車で走っていた際、用を足そうと車を降りたらピューマに襲われるも、素手で殺した”など、コート外における超絶エピソードも素晴らしい。
  今回のNBA秘話では、チェンバレンにまつわる興味深いネタをふたつ採り上げたいと思う。特に1本目は他の選手では考えられない、いかにも“ザ・チェンバレン”的な唯一無二の事象だ。史上最も規格外なNBA選手、チェンバレンの常識を超えた珠玉のエピソードをご堪能いただきたい。

■プロ相手に平均54点を記録した驚異の高校生ジョージ・マーカス

 1950年代の中頃、アメリカ東部のプロリーグに1人の怪物が彗星の如く現われた。ジョージ・マーカス、弱冠16歳。すでに7フッターへと成長を遂げていた高校2年の少年が、2シーズンに渡り、屈強な大人の選手たちに混じって対等に渡り合うどころか、圧倒してみせたのだった。
  1年目はペンシルバニア州のピッツバーグ・レイダーズ(旧名パイレーツ。NBAの前身、NBL創設メンバーのひとつ)で、翌年にはビッグ・ナイン・カンファレンスに所属するクエーカータウン・フェイというチームでプレー。2シーズン目、17歳の頃のスタッツを当時の新聞記事から拾い出し、集計した人物がいるのだが、その数字が尋常ではない。

・レギュラーシーズン9試合の平均得点/40.5点
・プレーオフ6試合の平均得点/74点
・シーズン平均得点/53.9点(計15試合)
・リーグMVPを受賞

 繰り返しになるが、まだ17歳の少年が、地域リーグとはいえプロの大人たちを相手に叩き出した数字である。この埋もれていた驚異のストーリーを3年前に発掘したのが、これまた驚くことに一般人。“dantheman9758”と名乗る人物が、貴重な情報と当時の新聞記事の切り抜きや写真を、アメリカ最大の掲示板『reddit』に“初出し”として投稿したのだった。同氏は、ツイッターでは“@WiltCArchive”というアカウント名で活動している。

 もうお気づきになったことだろう。このジョージ・マーカスという少年、実はチェンバレンが偽名を使ってプレーしていたのだ。現代なら絶対にできっこない芸当だが、当時は、地元から少々離れさえすれば、別人に化けることが可能だったのだろう。
  チェンバレンが住むフィラデルフィアからピッツバーグまで、直線距離にして約400km(東京―大阪間と同距離)、クエーカータウンまでは60km(東京―熊谷)。第二次大戦後10年ほどしか経っていない古い時代、東京の高校や地域リーグにとてつもない選手がいたところで、大阪や熊谷にまでその存在が知れ渡っていたとは思えず、アメリカでも同様だったに違いない。

 それでも、当時の地方紙には、画質が粗いとはいえチェンバレン本人の顔写真やプレー写真が掲載され、なかには見出しにチェンバレンの本名が載っている紙面もある。どうやら、完璧に他人に成りすまそうとしていたわけではなさそうだ。地元から離れたよその地で、偽名を使い、プロのチームでプレーしているという情報が、何らかのルートで自分の地元や他の地域に伝播する可能性はゼロではなかったと思うのだが、子どもの頃から豪胆なチェンバレンは意に介さなかったのだろうか。それ以前に、なぜ一介の高校生がプロリーグでプレーできたのか。

『fansided.com』というサイトで、このエピソードを後追いで紹介しているジョシュア・サドロック氏は、次のような見解を示している。
  “チェンバレンはフィラデルフィアの学生であり、ペンシルバニア・アスレティック・ユニオン(ピッツバーグを管轄)の配下ではなかったため、高校生であってもプロでプレーすることができた。また1950年代は、地域によっては高校生もプロでプレーすることができるという曖昧なルールがあった。”

 1955年にチェンバレンがカンザス大に入学した際、アマチュア資格を保有しているのか、NCAAの関係者が調査に訪れたという。彼らは、チェンバレンがプロとして出場した試合のボックススコアの存在を知っており、そこにチェンバレンの本名が載っているにも関わらず、最終的に見て見ぬ振りをして不問に付したそうだ。

 また『THE SPORTS COLUMN』というサイトには、チェンバレンがカンザス大でプレーしている時、AAU(アマチュア運動連合)の関係者がチェンバレンのプロ経験の有無を調査するため、大学にやってきたと書いてある。AAUが、マーカスとチェンバレンが同一人物であるという情報をどこかで掴んだのだろう。
  ところがチェンバレンは、自分とジョージ・マーカスは別人であるとして、プロでのプレーをきっぱりと否定。AAU関係者は黙って帰るほかなかった。

 いろんな意味でゆるい時代だったのだろうが、それにしてもチェンバレンは危ない橋を渡ったものだ。単に勧誘されたから興味本位で参加したのか、高いレベルでのプレーにチャレンジしたかったのか、それとも小遣い稼ぎが目的だったのか。いずれにしろ、さすが“史上最も規格外のバスケットボール選手”と謳われるだけの、破天荒な行動である。
  高校時代、偽名を使いプロに混じってプレーし、プレーオフで平均74点を記録。あまりに凄すぎて笑えてくる。アメリカ広しとはいえ、また長いバスケットボールの歴史をたどっても、そんな突拍子もない逸話を持つ選手は、チェンバレン以外存在しないだろう。(後編に続く)

文●大井成義

※『ダンクシュート』2021年2月号掲載原稿に加筆・修正。

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