【NBA背番号外伝】最も有名なのは“奇才”ロッドマン! 名PGが愛用した「10番」を振り返る<DUNKSHOOT>

【NBA背番号外伝】最も有名なのは“奇才”ロッドマン! 名PGが愛用した「10番」を振り返る<DUNKSHOOT>

10番着用者で最も有名なのがロッドマン(右)。フレイジャー(左上)、ハーダウェイ(左下)ら名PGが多いのも特徴だ。(C)Getty Images

サッカーではエースナンバーとして知られる10番は、NBAでも多くの名手たちが背負ってきた番号だ。ポジションはPGが多く、職人肌から個性派まで多士済々。マイク・コンリー(ユタ・ジャズ)ら昨季は18人が着用し、永久欠番は9人を数える。

 そのなかで、最も有名な10番は、デニス・ロッドマンだろう。派手な髪形やタトゥーでも注目を集めたリーグ史に残る奇才は、デトロイト・ピストンズでの7年間とサンアントニオ・スパーズでの2年間でこの番号を背負った。

 92年から7年連続でリバウンド王となった名手は、95年に移籍したシカゴ・ブルズではボブ・ラブの欠番だったため91番に変えたが、それも9+1で10になるからだった。2011年にピストンズの欠番になった際には、同球団で10番を使っていたグレッグ・モンローは「お前がつけたいなら変える必要はない」とロッドマンから言われ、15年まで着用を続けた。

 現在TV解説者を務めるウォルト・フレイジャーは、卓越した得点力と守備力を兼ね備え、70、73年にニューヨーク・ニックスの優勝に大きく貢献。モード誌の表紙を飾るなど、ファッションセンスも抜群だった。
  アール・モンローもボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)時代にこの番号を選択。華やかなプレーで人気を博し、名前をもじった“パール”や、神業とも思えるプレーの数々からついた“ブラック・ジーザス”などのニックネームで親しまれた。

 71-72シーズン途中にニックスへ移籍した際にはフレイジャーがいたために33番に変更。その後は引退まで15番だった。同時代で欠番になったPGとしては76年のファイナルMVP、ジョ・ジョ・ホワイト(ボストン・セルティックス)もいる。

 ジョン・ストックトンに抜かれるまで通算スティール1位だったモーリス・チークス(フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)、守備職人のネイト・マクミラン(シアトル・スーパーソニックス=現オクラホマシティ・サンダー)も欠番だが、いずれも若いファンにとっては選手としてより、コーチとしての印象が強いだろう。名選手ではないが、16年にクリーブランド・キャバリアーズが優勝したときのHCタロン・ルー(現ロサンゼルス・クリッパーズHC)は、現役時代に7球団で10番以外つけなかった。

 ティム・ハーダウェイは“キラークロスオーバー”と呼ばれる切れ味鋭いドリブルと思い切りの良いシュートで相手を翻弄。アロンゾ・モーニングとともに90年代のマイアミ・ヒートを常勝軍団に押し上げ、チーム史上3人目の欠番となった。息子のティム・ハーダウェイJr.も現在はダラス・マーベリックスで11番だが、アトランタ・ホークス在籍時に10番を使っていた。
  背番号10のPGはほかにも、73年に得点王とアシスト王の2冠に輝いたネイト・アーチボルドをはじめ、ケビン・ポーター、ノーム・ニクソン、ムーキー・ブレイロック、BJ・アームストロング、サム・キャセール、マイク・ビビーといった顔ぶれが揃う。ビビーは父ヘンリーも一時期10番だったが、その所以は10セント硬貨の別名であるダイムという単語に、アシストという意味があるからだった。

 ルイ・ダンピアーはABA時代に7度オールスターに出場。プロ入りから13番を愛用してきたスティーブ・ナッシュは、フェニックス・サンズからロサンゼルス・レイカーズに移籍した12年から10番に変更。彼の好きなサッカーに10番の名選手が多いことが理由だった。

 NBA創成期では、まずジョー・ファルクスの名前が挙がる。“ジャンピン・ジョー”と称された跳躍力を武器に得点を重ね、47年に初代得点王に。翌年そのタイトルを獲得したマックス・ザスロフスキーも背番号10だったが、当時は総得点でスタッツリーダーを決めており、平均1位はファルクスだった。

 50~60年代にシラキューズ・ナショナルズ(現シクサーズ)で活躍したジョニー・“レッド”カーは、844試合連続出場のリーグ記録(当時)を樹立し、引退後はブルズ戦の解説者に転身、75年から08年まで務めた。殿堂入りしているジャック・トワイマンは、ロチェスター・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)での最初の2年が10番。チームがシンシナティに本拠地を移したあとの58年に背番号27に変更し、この番号で欠番になっている。
  シューターではドン・オール、エイドリアン・スミス、ボブ・ダンドリッジ、オーティス・バードソングも印象深い。83年に3ポイント成功率でリーグトップとなったマイク・ダンリービー・シニア、さらに息子のジュニアもプロ1年目は10番だった。

 現役のエリック・ゴードン(ヒューストン・ロケッツ)、エバン・フォーニエもこの系統。オーランド・マジック時代に10番で活躍したフォーニエは、来季はニックスで13番を着ける。トロント・ラプターズとスパーズでずっと10番だったデマー・デローザンも、ブルズへ移籍したので11番に変更した。

 ガードに有能な人材が揃う一方で、フォワード/センターでは大物が少なく、ロッドマン以外には前述のラブくらい。ブルズ時代に6年連続平均20点以上、3年連続オールスターに選ばれ、ジェリー・スローン、マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペンとともに、同球団で4人しかいない欠番の1人になっている。

 スーダン出身で、NBA史上最も背の高いマヌート・ボル(231センチ)は、ブレッツをはじめ3球団で10番を背負い、86、89年にブロック王に輝いた。NBAで10年間プレーしたが、2010年に47歳で死去。葬儀が午前10時に行なわれるなど、最後まで10という数字に縁があった。息子のボル・ボルも現在デンバー・ナゲッツで背番号10を受け継いでいる。

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2015年4月号掲載原稿に加筆・修正

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