東京五輪が最後の舞台に。アルゼンチンの生ける伝説ルイス・スコラが示した“ベテランの美しき去り際”と“セカンドキャリア”<DUNKSHOOT>

東京五輪が最後の舞台に。アルゼンチンの生ける伝説ルイス・スコラが示した“ベテランの美しき去り際”と“セカンドキャリア”<DUNKSHOOT>

現役引退を発表したスコラ。41歳のレジェンドにとって、東京五輪が最後の舞台となった。(C)Getty Images

8月3日、さいたまスーパーアリーナで行なわれた東京オリンピックの男子バスケットボール、アルゼンチン対オーストラリアの準々決勝でのワンシーンは、大会史に残る感動的な場面のひとつとなった。

 オーストラリアが92−56と大きくリードし、準決勝進出を確実にした第4クォーター残り51.4秒、ルイス・スコラの交代がコールされた。それは、長年アルゼンチン代表を牽引した偉大なキャプテンの、最後の舞台が終わったことを告げるものだった。

 コートから歩み出て、ベンチへと向かう41歳のパワーフォワード。するとその彼に向かって、会場からスタンディング・オベーションが沸き起こった。

 アルゼンチンの選手、スタッフ、コーチ陣だけでなく、オーストラリアの選手やコーチたち、さらにはレフェリーまでもが、時計を止め、バスケットボール界の英雄へ心からの敬意を込めた拍手を贈った。

 ベンチに座ってその感動をじっと噛み締めていたスコラの瞳は潤み、シャツを顔まで引き上げると、汗と一緒に涙を拭った。
 「自分は静かに去るよ」と試合後に語ったスコラは、「対戦相手からのオベーションは、これ以上ない最高の賛辞だった」と感謝を述べた。

 今大会、41歳の彼がアルゼンチン代表のロースターに名を連ねたことは、バスケファンならば予想できたことだった。だが、バスケに馴染みのない人たちにとっては、「41歳でスターター?」といささかの驚きもあっただろう。

 各国の中継でも、「41歳のスコラが…」と、彼の名前を呼ぶ際には常に年齢が強調されていたが、そうした「41歳のベテラン選手」というフィルターを通して見たならばいっそう、コート上での彼の熱いプレーに圧倒されたに違いない。

 速攻のチャンスがあれば先陣を切って走り、カウンターの場面ではいち早く戻り、ルーズボールもあきらめずに果敢に追う。これまでと変わらぬ彼の姿が、そこにはあった。
  40歳で迎えるはずだった東京オリンピックを、彼は節目と考えていたように思う。

 忘れられないシーンがある。2019年に中国で行なわれたワールドカップの、決勝戦の後のことだ。

 この大会の期間中、メディアの間ではスコラの引退時期についてたびたび話題に上がり、決勝でアルゼンチンがスペインに敗れると、ひょっとしたらこれが最後か、という声も出ていた。試合後、英語圏のメディアがおそらく軽い気持ちで、「この試合を機に引退する、という噂がありますが?」という質問をスコラに向けた。

 複数の記者が多方向から質問を投げかけて混沌としていたその場では、その質問自体、誰もが聞き取れるようなものではなかった。しかし、スコラは瞬時にキャッチすると、喧騒を遮るように「誰が言った?」と真剣な眼差しで記者を見つめ返した。

 いつにない食い入るような様子にその場が静止すると、さらにスコラは「そんなことは、私は絶対に言っていない!私は一度も言っていない!」と繰り返したのだった。
  アスリートの誰もがいずれ向き合うことになる「引退」という選択。平均的な引退年齢よりも長くキャリアを続けてきた彼にとって、それはいっそう重みのあるものになっていたに違いない。噂レベルで軽々しく話題に出せるものではないのだ、という彼の覚悟を、その時の態度に見た気がした。

 東京五輪が1年延期になった時には、「この年齢のアスリートにとっての1年は長い」とだけ語り、彼は出場を明言はしなかった。

 しかし、シーズン終了の翌日から次のシーズンへ向けてのトレーニングキャンプに入るほど、絶えず鍛錬を重ねていたスコラなら、必ず東京の舞台に立つとファンは信じていた。アテネ五輪でともに金メダルを勝ち取った盟友マヌ・ジノビリも、「彼の五輪行きを止めるには頭を撃ち抜くしかない。彼自身に多くの喜びを与え、そして彼自身が多くの喜びを与えたあのジャージーでプレーすることで、彼は(キャリアを)終えるに値する」とメッセージを寄せている。

 そしてスコラは、約束の地に立った。初戦のスロベニア戦でいきなりチーム最多の23得点をマークすると、日本戦でもゲームハイの23得点と、まさに大黒柱としての働きで準々決勝進出に導いたのだった。
  国際大会ではキャプテンとして会見に臨む機会が多かったスコラだが、自身への称賛を語ることはなかった。母国のメディアだけでなく各国の記者陣からも絶大な尊敬を勝ち得ていた彼には、肉体を鍛える日々の姿勢やその取り組み方について常に質問が投げられたが、そんな時はいつも、「自分は特別なことをしているわけじゃない。プロのバスケットボール選手として、自分に必要なものを整えているだけ」と、過剰な賛辞をやんわり退けた。

 コート上でも、自分が主役になるよりも身体を張って周囲の優秀なタレントたちを輝かせるタイプのプレーヤーだった。

 それでも、アルゼンチンを世界のバスケ大国の一角に押し上げたことに、彼が多大な貢献をしたことは揺るぎない事実だ。

 16歳で出場した1996年の南米ジュニア選手権での金メダルを皮切りに、アメリカ大陸選手権で9個のメダル(金2、銀4、銅3)、オリンピックで金(04年アテネ)と銅(08年北京)、ワールドカップでは2度の準優勝(02年、19年)。アルゼンチン代表としての173試合出場、2857得点は、同国のオールタイムレコードだ。

 クラブでも、18歳で初めて本国を離れて欧州に挑戦したスペインのタウ・セラミカ(現バスコニア)で、黄金期を築く一員となった。2002年のNBAドラフトでサンアントニオ・スパーズから全体56位で指名を受けると、契約が足枷となってすぐに渡米とはならなかったが、07年にヒューストン・ロケッツに入団。オールルーキー1stチームに選出され、以降NBAで10年間の充実したキャリアを送った。
  東京五輪後の9月20日、スコラは現役を引退し、昨シーズン在籍したイタリアのクラブ、ヴァレーゼのCEO(最高経営責任者)に就任したことが発表された。

 70年代はユーロリーグ常連で、これまで10度の国内リーグ制覇を誇るヴァレーゼだが、98−99シーズンの優勝を最後にトロフィーからは遠ざかっている。今季のロースターの中心は、2014年のNBAドラフトでミネソタ・ティンバーウルブズから53位で指名を受けたイタリア人フォワードのアレッサンドロ・ジェンティーレや、Gリーグ出身のアメリカ人選手たちだ。

 ミラノ近郊にあるヴァレーゼは、セレブのバカンス先としても名高いコモ湖に近い、風光明媚な美しい街だが、ヴァレーゼ湖を望む美しい丘も、スコラにとってはきっと日々のトレーニングコースになっていることだろう。

 それにしても、ルイス・スコラは『4番』が似合う選手だった。生ける伝説と呼ばれる彼は、この中堅クラブに今度は運営側からエネルギーを注入してくれるはずだ。ヴァレーゼをユーロリーグで見る日も、遠くないかもしれない。

文●小川由紀子

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