シアトル・スーパーソニックス移転の真実。フランチャイズ契約時の虚偽の約束が明らかに【NBA秘話|前編】<DUNKSHOOT>

シアトル・スーパーソニックス移転の真実。フランチャイズ契約時の虚偽の約束が明らかに【NBA秘話|前編】<DUNKSHOOT>

ソニックスが最後のドラフトで2位指名したのがケビン・デュラントだった。(C)Getty Images

2008年、シアトル・スーパーソニックスはオクラホマシティ・サンダーへと生まれ変わった。多くのNBAファンにとって、これは単なるオーナー交代に伴うフランチャイズ移転だろう。だが、事実は違う。新オーナーはシアトル残留を約束しながら、買収からわずか2年でそれを反故にしたのだ。今回のNBA秘話は、ソニックス移転にまつわる真実と、それに抵抗した男たちを取り上げる。

■地元ファンに愛されながらシアトルを去ったソニックス

『SONICSGATE(ソニックスゲート)』という2時間の長編ドキュメンタリーが『YouTube』にアップされている。2009年に制作されたそのドキュメンタリーのタイトルは、第37代アメリカ合衆国大統領のリチャード・ニクソンが1972年に引き起こした、米国史上最大の政治スキャンダル『ウォーターゲート事件』をもじった造語だ。その予告編で、こんな一文が引用されている。

“ソニックスはシアトルから盗まれた。文字通り、盗まれたんだ。”(ビル・シモンズ/ESPN)

 2008年、シアトル・スーパーソニックスはオクラホマシティに移転し、サンダーというチームに生まれ変わった。その際、シモンズをはじめ、他の複数の関係者やジャーナリストたちの言葉を借りるなら、“チームが計画的に盗まれる”という、驚くべき事件が発生したのだという。

 だが、様々な理由により、アメリカ全体のメディアやNBAファンを巻き込むレベルの騒動には至らなかった。シアトルという辺境の地に居を構え、さらには数シーズンに渡り不振にあえぐチームに対し、人々の関心も薄かったのだろう(2007−08シーズンはウエスト最下位の20勝62敗)。当然、日本でもほとんど話題になっていない。
  ともかく、2008年8月、スーパーソニックスという地元ファンにこよなく愛されていたプロバスケットボールチームが、シアトルの街から姿を消した。それら一連の出来事を徹底的に追及し、真実を白日の下にさらしたドキュメンタリーが『SONICSGATE』であり、その制作スタッフに痛快な男たちがいる。ソニックスが好きすぎるあまり、ゾンビの格好をしてサンダーの試合を観戦しているのだ。

 他にも、世界に30人分しか椅子のない、チーム専属アナウンサーという得難い職業を、自分の信念に基づいて自ら手放した男もいた。

 チームの移転によって、人生を左右されたソニックスファンやシアトライト(シアトル人)は数多くいるだろうが、今回はその中から2組のいかした連中を紹介したい。彼らこそ、男の中の男である。
 ■1990年代は人気・実力とも絶頂だが、2001年からの混迷の時代に…

 シアトルはアメリカ西海岸の最北に位置するワシントン州の中心都市。2008年夏、ソニックスはそこから遠く離れたアメリカ南中部オクラホマ州のオクラホマシティに移転し、チーム名は“オクラホマシティ・サンダー”へと変更された。それから13年が経ち、ソニックスを知らないNBAファンの数もだいぶ増えたことだろう。そこで本題に入る前に、ソニックスの歴史やチームについて説明を少々。

 1966年、ビジネスマンのサム・シュルマンがシアトルにスーパーソニックスを創設、翌1967年からエクスパンションチームとしてNBAへ参戦する。シアトルに初めて誕生した4大プロスポーツのチームだった。チーム名は、シアトルを代表する企業のひとつ、ボーイング社が、政府主導による“スーパーソニック(超音速)”のプロジェクトに当時参加していたことから、シュルマンによって名付けられた。

 チーム創成期には、選手兼HCとしてレニー・ウィルケンズが活躍。最初に在籍したスター選手は、1960年代終盤から1970年代前半にかけて一世を風靡し、初めてABAからNBAに移籍した先駆者、スペンサー・ヘイウッド。1970年代にはビル・ラッセルが指揮を執った。1979年、再びHCに就任していたウィルケンズが初優勝をもたらす。1983年、地元メディア界の大立者、バリー・アクリーにチームを売却。そして1989年にショーン・ケンプが、1990年にゲイリー・ペイトンがドラフトで入団する。
  1990年代初頭からNBAを観始めた日本の多くの古参ファンにとって、ソニックスはある種特別な存在だったのではないだろうか。現地のアメリカ人にとっても同様であり、前出のシモンズは以前こんなツイートを残している。

“ソニックスはNBAの中で最も象徴的なフランチャイズだった……、2008年にOKCへ締め出されるまでは。”

 自然と文化がバランスよく調和した、全米でもトップクラスの人気都市シアトルにフランチャイズを持ち、ノリの良さと勢いがあって、若手とベテラン選手が見事に融合した理想的なチーム。ケンプとペイトンという、リーグを代表するスーパーデュオが披露する桁外れにエキサイティングなプレーの数々は、一瞬にして観る者を虜にし、そこにデトレフ・シュレンプ、サム・パーキンス、そしてハーシー・ホーキンスといった魅力的なサポーティングキャストが彩りを添えた。
  1990年代に強豪チームの仲間入りを果たすと、1995−96シーズンにはファイナルへ駒を進め、ジョーダンズ・ブルズと激闘を繰り広げた。敗れはしたものの、彼らの時代はすぐそこまで迫っていた。だが、チームの急成長とは裏腹に、この頃から経営サイドは負のスパイラルに突入していく。

 1980年代後半、シアトルを拠点に急速な店舗数拡大で成功を収めていたコーヒーショップチェーン、スターバックスのハワード・シュルツCEO兼社長が、2001年にソニックスを買収。これが混迷の始まりだった。ホームのキー・アリーナは市の所有物で、竣工から40年近く経った建物は老朽化が進み、座席数も多くない。新アリーナ建設への税金投入も議会で否決され、赤字は膨らむ一方だった。その結果、シュルツは2006年にチームをとっとと売却してしまう。

 だが、売った相手が最悪だった。オクラホマシティのビジネスマン、クレイ・ベネット率いる投資家グループである。買収にあたりベネットは、フランチャイズの移転はしない、想定外の事態に陥っても1年間は絶対にシアトルから動かないと約束したが、それらはすべて虚偽だった。はなからシアトルに居続けるつもりはなく、オクラホマシティに移転する気満々だったことが、後にEメール等の文書から発覚する。
  また、ベネットとNBAコミッショナーのデイビッド・スターンは懇意の間柄にあり、スターンも最初から移転容認派で、ベネットらの移転計画を陰で強く後押ししたのだった。2005年、ハリケーン・カトリーナの襲来によりニューオリンズが壊滅的な被害に見舞われた際、ホーネッツ(現ペリカンズ/2012−13シーズンまでニューオリンズ・ホーネッツ)のためにオクラホマシティのアリーナを利益度外視で提供したのがベネットだった。その時彼はスターンに貸しを作り、そしてそれは、いつの日かオクラホマシティへNBAチームを誘致するための布石でもあった。

 シアトル残留のための条件は新アリーナの建設だったが、計画は二転三転し、税金の投入も否決され、ベネットらの思惑通り実現には至らなかった。

 2008年4月、NBA30チーム全オーナーによる移転賛否の投票が行なわれたが、反対票を投じたのはブレイザーズのポール・アレンとマーベリックスのマーク・キューバンのみ。独裁者スターンに対し、ファンの代弁者として毅然たる態度を貫いたオーナーは、わずか2人しかいなかった。こうして、2007−08シーズンを最後に、シアトルからNBAのチームが消滅することが確定したのである。(後編に続く)

文●大井成義

※『ダンクシュート』2020年10月号掲載原稿に加筆・修正

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