「この街のイメージに、自分はピッタリ」東京五輪中にニックスと契約したフランス代表戦士。加入の“決め手”となったのは?<DUNKSHOOT>

「この街のイメージに、自分はピッタリ」東京五輪中にニックスと契約したフランス代表戦士。加入の“決め手”となったのは?<DUNKSHOOT>

フォーニエ(左)は新天地デビュー戦で、ニックス史上最多となる32得点を奪取。ランドル(右)とともに勝利の立役者となった。(C)Getty Images

今オフ、ニューヨーク・ニックスに入団したフランス人スコアラーのエバン・フォーニエは、新天地デビュー戦でいきなりチーム記録を作る大活躍を披露した。

 開幕戦の相手は、彼が昨季途中に加入し、16試合プレーした古巣(平均13点、3.1アシスト、3.3リバウンド)ボストン・セルティックス。あのレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)が「なんてワイルドなゲームだ! ガーデンは超すごかった! あの試合を見に行った奴は完全に燃焼しきって翌朝はベッドから出られないだろうな」とツイートしたほどの試合は、2度のオーバータイムにもつれ込む大接戦となった。

 この熱戦でフォーニエは、1度目のオーバータイムで3ポイントを3連続で沈め、9得点を積み上げて逆転に成功。2回目のオーバータイムでは、残り1分を切って133−134と1点を追う山場で、デリック・ローズのパスから3ポイントを決め、ニックスを再度リードに導き、138-134の勝利に大きく貢献した。

「あの一発は良かった。記憶に残るシュートになる」と振り返ったフォーニエは、3ポイント6本を含むキャリアハイタイの32得点。ニックスでのデビュー戦で30点超えを記録した史上初のプレーヤーとなった。
 「エバンは、3ポイントを得意とし、スコアができ、コート上でやるべきことをすべてやってのける。それが彼という選手だ。キャリアを通じて、彼はすでに自分がそのようなプレーヤーであることを証明してきている」とトム・シボドー・ヘッドコーチ(HC)もパフォーマンスを評価。

 1度目の延長における連続3ポイントは、いずれもジュリアス・ランドルからのアシスト。この試合、チームハイの35得点、9アシスト、3ブロックを記録したエースも「エバンは、非常に高いゲームインテリジェンスを持つプレーヤーだ」と語っていた。

 フォーニエはニックス入団後、このインサイドの覇者との相性を探ることに力を尽くしていた。開幕前に「自分たちはすでにかなりお互いを理解し合えるようになっている」と語っていたフォーニエだが、それが実践で生かされたことに、2人とも手応えを得たことだろう。

 また、2年目のオビ・トッピンは2回目の延長、フォーニエがシュートを2本ミスしたあとで、山場のタイミングであえてスリーを選んだことについて、「彼は直前のプレーを引きずらずにあの3ポイントを決めてみせた。相当な精神的な力を持っている」と称賛している。

 フォーニエのニックス入りは、今夏の東京オリンピック期間中に決まった。フランス代表はグループリーグ初戦でアメリカを下し(83−76)、決勝戦でも彼らと競り合い(82-87)銀メダルを獲得。28歳のスウィングマンは、大会を通じてチームトップの平均18.7点をあげる活躍を見せた。
  ただ、「100%、大会だけに集中しようとはしていた。普段は、朝起きたら試合のことを考え、勝つために自分がやるべきことをビジュアル化する。しかし今回は、自分はどこに行くことになるのだろうかと、電話のメッセージを見ることから1日が始まった」と、厳しい精神状態で臨んでいたことを明かしている。

 ちなみに夏の時点で、第一希望はセルティックスとの契約延長だった。最終的にニックスとの話がまとまったわけだが、加入の決め手となったのは、シボドーHCの存在だったという。

「彼のようなタイプの指導者が好きだ。選手から最高のものを求めるが、その彼の求めに関して、自分はまったく違和感がない。厳しいが、理に適っている。彼自身のやり方があり、実際それは機能している」

 昨季、シボドーは就任初年度にしてニックスをカンファレンス4位に引き上げ、2013年以来のプレーオフ進出を実現した。

 チームは上昇気流にあり、熱狂的で知られるファンの期待も高まっているが、フォーニエは「そういうプレッシャーが好きなんだ。プレーヤーであれば、何か大きなことに参加したい、プレッシャーのかかる大きな試合を経験したいと思うものだ。これは自分にとって大きなチャンスだ」と、新たな挑戦を歓迎している。
  ニックスとのリンクは数年前から囁かれていたが、このタイミングでフリーエージェントになって入団することになったのは運が良かったとフォーニエは感じている。

 その戦闘意識は、欧州チャンピオンになるなど、やはり高いレベルでプレーしていたアスリートの両親から受け継いだものだ。ただし両親がプレーしていたのはバスケではなく、柔道。

 フォーニエはそんな両親のおかげで、子どものころから常に「競技」というものが身近にある環境で育った。そして両親も、息子の教育にスポーツは重要だと考え、柔道はもちろん、体操や水球など、さまざまな競技に取り組ませた。その中でエバン少年が「一目惚れ」したのがバスケだった。

 初めてプレーした日からこの競技の虜になると、エバン少年は、どこへ行く時もバスケットボールを手放さないほど夢中になった。

 毎朝早起きして、学校に行く前にシュート練習をし、学校へ行く道すがらも、シュートフォームを真似しながら歩くような少年時代だった。
  15歳になる年に、トニー・パーカーらを育てた国立エリート養成所INSEPのテストに合格。同校はエバンにとって縁のある場だ。彼の両親は、INSEPの道場で知り合い、結婚した。

 父は現役引退後もそこでテクニカルスタッフとして勤務していたから、エバンは子どもの頃から出入りしては、後に代表でチームメイトとなるパーカーやボリス・ディーアウの姿も間近で見ていた。

 練習の鬼だった彼は、こっそり体育館の鍵を手に入れては夜中の2時に1人で練習していることもあったが、その姿を見てコーチは「この子は絶対に開花する」と確信したという。

 そしてフォーニエは、通常は3年間のINSEPのコースを1年早めて卒業し、2部リーグに所属するナンテールに入団するという、同校のバスケ部創立以来、過去に一人しか前例がない掟破りをやってのけた。ちなみにその過去の一人は、パーカーだ。
  フォーニエは、10歳の時に両親に「自分は将来NBAでプレーする」と宣言し、「それまでに、INSEPで2年、ProB(フランスのプロリーグ2部)で1年、ProA(同トップリーグ)で2年経験を積む」という計画を立てていた。そしてそれを有言実行すると、2012年のドラフトでデンバー・ナゲッツから晴れて1巡目20位で指名を受け、目標通りNBAへと足を踏み入れたのだった。

 その時に初めて訪れたニューヨーク、そしてマディソン・スクエアガーデンに、彼は9年後、ニックスのプレーヤーとして戻ってきた。

「野心的で、タフで、責任を背負うことを恐れない、というこの街のイメージに、自分はピッタリだと思う」と彼は言う。

「ここでは、駄目なプレーをしたら終わりだ。でもそのプレッシャーを感じたい。自分は負けず嫌いなんでね」

 10月29日に29歳を迎えるフランス代表戦士は、ニックス再生の旗手の一人となれるか。

文●小川由紀子
 

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