F1最強の名将F・ウィリアムズが79歳で逝去…ハミルトンは「最後までファイターであり続けた」と敬意を表し、角田裕毅も哀悼

F1最強の名将F・ウィリアムズが79歳で逝去…ハミルトンは「最後までファイターであり続けた」と敬意を表し、角田裕毅も哀悼

ウィリアムズ卿は、90年代前半にはマンセル(左)らを擁して黄金時代を謳歌した。(C)Getty Images

F1の名門ウィリアムズ・チームの創設者で、代表として1980年代から90年代にかけて多くのタイトルを勝ち取ったフランク・ウィリアムズ卿が、11月26日に79歳で亡くなったことが、以下の通り、チームの公式サイトから発表された。

「ウィリアムズ・レーシングチームは、創設者ウィリアムズ卿の死去を本当に悲しんでいる。彼は我々のスポーツの伝説であり、アイコンだった。その死は、我々のチームとF1のひとつの時代の終わりを示している。彼は、他に類を見ない真のパイオニアだった。その人生にはかなりの逆境があったが、彼はチームを16回(コンストラクター9回、ドライバー7回)のタイトル獲得に導き、スポーツの歴史の中で最も成功したチームのひとつにした――」

 1942年4月16日にイングランドのサウス・シールズに生まれたウィリアムズは、ドライバー、メカニックとしてのキャリアを経て、24歳の時に「フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ」を設立してF2、F3に参戦(日本の生沢徹も所属)、1969年には中古のブラバムのマシンを購入してF1でも出走させている。
  70年にドライバーのピアース・カレッジが事故死、以降は借金がかさんで76年にカナダの実業家ウォルター・ウルフにチームの株式60%を売却し、翌年には自らチームを離脱。すぐにオックスフォードシャー州のディトコットにあった古いカーペット工場を本拠に「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」を設立。名参謀パトリック・ヘッドとの二人三脚でF1の舞台に戻ると、サウジアラビア航空のサポートを受けたチームは、79年にクレイ・レガッツォーニのドライビングで初優勝を飾った。

 80年にアラン・ジョーンズの活躍で初のコンストラクターズ・タイトルを獲得し、翌年はケケ・ロズベルグによって連覇を飾るなど強豪チームに昇り詰め、毎年、チャンピオンシップを争うまでになったが、86年3月にフランスのポール・リカール・サーキットから空港に向かう途中に自らが運転する車が横転して脊椎損傷の重傷を負い、以降は下半身麻痺によって車椅子での生活を余儀なくされる。チームはネルソン・ピケを擁して86年から再び連覇を果たすが、87年にホンダエンジンを失って厳しい時期を過ごした。
  しかし、89年にルノーエンジンを手に入れて戦闘力を上げ、さらに90年代に入って名デザイナーのエイドリアン・ニューウェイを迎え入れ、アクティブサスペンション、トラクションコントロールなどのハイテクデバイスで他チームを先行すると、「誰が乗っても勝てる」と言われるほどの強力なマシンを作り上げ、92年にはナイジェル・マンセル、93年にはアラン・プロストを要してドライバー&コンストラクターのダブルタイトルを獲得。94年にはアイルトン・セナの死という悲劇に見舞われながらも、チームタイトルは死守した。

 96年にデイモン・ヒル、97年はジャック・ヴィルヌーブによって2年連続で二冠を達成して黄金時代を謳歌したが、これがフランク率いるチームにとっての最後の栄光となった。2000年に入ってBMWとの提携で強さを取り戻して2001年と03年に4勝ずつを挙げたが、以降は勝利から遠ざかり、2012年スペイン・グランプリのパストール・マルドナードがチームにとっての最後の勝者となっている。

 2012年にチームの取締役を退き、昨年に売却とともにチーム代表の座を降りた名伯楽。彼の長女で、13年からチーム副代表を務めたクレアは、偉大な父について「父はパドックの誰よりも、ずっと長くF1にいた。彼はこのスポーツに、信じられないほどのレガシーを残した。私たちは常にそれを記憶に止めるとともに、常に誇りに思う」と語った。
  F1に最も長く関わったといわれるレジェンドの死に際しては、多くの関係者が哀悼の意を評しており、現役ドライバーでは同胞のルイス・ハミルトン(メルセデス)が「この競技で出会うことができた最も親切な人物のひとり。彼が達成したことは本当に特別なものだ。最後までレーサーであり、ファイターであり続けた」、ウィリアムズのジョージ・ラッセルは「彼は単なる上司ではなく、メンターであり、友人でもあった。その信じられないほどのレガシーは、チームの心と魂の中で永遠に生き続ける」と、それぞれ声明を発している。

 また、フランク卿の下で世界の頂点に立ったOBの中では、D・ヒルが「彼は私の人生に大きな影響を与えた人物であり、世話になりっぱなしだった。F1に対する貢献度は計り知れないほど大きい」「彼と比較できるのは、エンツォ・フェラーリだけだ。彼はF1を愛し、レースを愛した。チームを運営する者は皆、フランクの足跡を辿りたいと思うだろう」と語った他、自身のSNSでは「決意と忍耐強さで形成された人物だった」と綴った。

 現在はFIAの会長を務め、90年代から2000年代にかけてはフェラーリの監督としてフランク卿と戦ったジャン・トッドは、「彼はパイオニアであり、並外れた性格であり、模範的な人物だった」とコメント。また、F1公式サイトも「フランク・ウィリアムズ卿の死去により、我々は最も悲惨で深い悲しみに満ちている。彼の人生は、モータースポーツへの情熱に駆り立てられ続けたものだった。その遺産は計り知れないものであり、永遠にF1の一部であり続けるだろう」と、計114勝を挙げた「車椅子の闘将」に敬意を表している。

 また、スクーデリア・アルファタウリの角田裕毅もSNS(インスタストーリー)でフランク卿の写真とともに「RIP(安らかに眠れ)」の文字を添え、冥福を祈った。

構成●THE DIGEST編集部

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