「成功するには練習あるのみ」偉大な父の教えを胸に、NBAで成長を続けるドマンタス・サボニス<DUNKSHOOT>

「成功するには練習あるのみ」偉大な父の教えを胸に、NBAで成長を続けるドマンタス・サボニス<DUNKSHOOT>

アルビダス(右)はNBAで7年間プレーし、2011年に殿堂入り。息子のドマンタス(左)は偉大な父を超える存在になれるか。(C)Getty Images

インディアナ・ペイサーズのビッグマン、ドマンタス・サボニスが、現地1月8日に行なわれたユタ・ジャズ戦でキャリアハイの42得点をマーク。125-113で勝利したペイサーズは連敗を6で止め、約2週間ぶりに勝ち星をあげた。

 22本中18本(成功率81.8%)のフィールドゴールを成功させたサボニスは試合後の会見で、「今夜は僕の日だった。よりオープンにプレーできるようなディフェンスだったから、それを利用させてもらった。明日はまた違う展開になるだろうけどね」と控えめに喜びを表した。

 これでサボニスは、元デンバー・ナゲッツのフォワード、リーナス・クレイザの41得点(2008年1月のジャズ戦で記録)を抜き、1試合で最も多くの得点を奪ったリトアニア人プレーヤーとなった。

 この試合、ガードのランス・スティーブンソンが同じくキャリアハイの14アシストを残したが、このうち10本がサボニスへのパスだった。

「ドマス(ドマンタスの愛称)のキャリアハイには、ランスの存在が大きい。彼らは相性がいいみたいだ」とペイサーズのリック・カーライル・ヘッドコーチもコメントしている。

 1月1日にペイサーズと10日間契約を結んだスティーブンソンは、今回が3度目のチーム在籍。2度目の2017-18シーズンにも、当時オクラホマシティ・サンダーからトレードで加入したばかりのサボニスと共闘している。
 「彼は素晴らしいよ。僕にとって最高の相手だ。彼とのピック&ロールには特別なケミストリーを感じる」とサボニスが言えば、31歳のベテランも、「年齢を重ねるごとにどんどん成長している。前回プレーした時よりも格段にね。彼は見るたびに良くなっていて、この成長具合は素晴らしいよ」と若き後輩を賞賛した。

 そんなドマンタスだが、少し前から、この冬のトレード要員として名前が挙がっている。チーム再建のため、生え抜きビッグマンのマイルズ・ターナーや27歳の中堅ガード、キャリス・ルバート、そして5年目のサボニスといった主力を放出する噂や、「さらなる成長のため、サボニス自身がトレードを希望している」という報道もあった。

 しかし11月のミネソタ・ティンバーウルブズ戦では25リバウンドと、こちらもキャリアハイを更新するなど、スティーブンソンの言葉通り着々と成長を遂げているサボニスは、ペイサーズでチームの大黒柱として充実した日々を送っている。

 ドマンタスが生まれたのは1996年、父アルビダス・サボニスがプレーしていたポートランドの地だ。父はリトアニアではもちろん、NBAファンからも尊敬されるレジェンド、母はミス・リトアニアの元モデルで女優だった。厳しいが常に公平で威厳のある父、料理上手で愛情深い母という地に足の着いた両親の教育のおかげで、 4、5歳離れた年子の兄と1歳年下の妹の4人の兄弟姉妹はみな謙虚に育った。
  両親はリトアニアのリゾート地パランガでホテルを経営しているが、そこに滞在している時も、オーナー家族といった振る舞いは一切せずに、飲み物は自分で取りに行ったりなど、自分のことは自分でやるのがサボニス家のルールだ。

 父は3人の息子にバスケットボールを勧めたことはなく、3人とも自分の意志でプレーを始めたようだが、その中で「この頑固さと左利き、選手になるとしたらこの子だろう」と父が予測していたのが三男坊のドマンタスだった。

 次男のトートビアスとドマンタスは、父が現役引退後に一家で移住したスペインのマラガのプロクラブ、ウニカハのユースアカデミーでプレーを始めた。

 17歳で当時スペインリーグ出場最年少選手となり、ユーロリーグの試合にも出ていたドマンタスには高額のプロ契約がオファーされたが、それを蹴ってアメリカのゴンザガ大への進学を選択。ちなみに、2歳違いの八村塁とはちょうど入れ違いだった。

 大学時代の彼は「休みを取ることの方が苦痛」というほど練習の虫で、「ドマスは体育館に住んでいる」といったジョークもあった。夜中にもこっそり忍び込んで個人練習をしていたため、体育館を施錠することになったエピソードもある。
  コートビジョンやゲームの流れを読むことに関しては、少年時代から「図抜けていた」と歴代のコーチやチームメイトたちは異口同音に証言している。ガード級のパススキルを誇った父のプレーを見て育ったのだから、幼少時から自然に養われた才でもあったのだろう。

 一方で、アメリカ人選手たちと比べてパワーや俊敏性、スピードが劣ることを自覚していたドマンタスが懸命に取り組んだのが、スクリーンでの壁の作り方や、ゴール下でのポジショニング、シューティング、そして、左利きの彼をブロックにくる敵を欺くための右でのプレーだった。アスレティック能力を向上させるため、ホットヨガや食事療法を取り入れた肉体改造にも励んだ。
 
 16年のドラフト参加を表明したときには、「アスレティック能力と爆発力の欠如」を理由にNBAで通用する能力を疑問視したスカウトも少なくなかった。1巡目11位でオーランド・マジックから指名されるも、デビューしたサンダーではわずか1年でトレードに出され、「将来性がないと判断された」とネガティブな声も挙がった。

 実際、「サンダーからトレードされたあとはものすごく苦労していた」と、リトアニア代表とマラガで共闘し、ニューヨーク・ニックスでもプレー経験のあるミンダウガス・クズミンスカスは、当時の彼の苦悩を明かした。だが「でもあれがあったから、彼の真の才能を開花させるチャンスを得ることができたんだ」と続けた。
  その言葉通り、ペイサーズに入団してからの4シーズンで、ドマンタスは着実にステップアップしている。昨季は自己ベストの平均20.3点に加え、12.0リバウンド、6.7アシスト、リーグ5位の9回のトリプルダブルを記録。今季は第8週のイースタン・カンファレンス週間MVPにも選出された。

“パスもできるビッグマン”それこそドマンタスが理想とするプレーヤーだ。まさに、父アルビダスがそうだったように。

 父と対談する企画があると、ドマンタスはしっかり目を合わせることができず、少し照れくさそうに伏し目がちなのだが、しかし全身から偉大な父への尊敬が滲み出ているのがなんとも微笑ましい。

 その息子に父は「いいか、とにかく練習、練習、練習あるのみ。成功するには、それしかないんだぞ!」と激励の言葉を送るのだ。
  サボニス家は家族仲が良いことでも有名で、20年にドマンタスが初めてオールスターに出場した際も、親戚揃って開催地のシカゴに駆けつけた。サボニス邸の敷地内には『SABO CAVE』(サボの洞窟)と名付けたプレールームがあり、時々、父は友人を呼んで巨大テレビでスポーツ観戦をしているそうだが、もちろんドマンタスの試合もチェックしている。

『SABONIS』という苗字とともに、父がポートランド・トレイルブレイザーズで着用していた背番号『11』を背負っているのが、ドマンタスの誇りだ。

 しかし同時に「この名前だからではなく、自分自身の活躍で認められること」も目標に掲げている。

 素朴で謙虚で、誰からも好かれるスーパースターの二世プレーヤーは、まだ25歳。ペイサーズのDNAを継承する選手となるのか、新天地での新たな挑戦に向かうのか。どちらにしても、彼は確実に、自分のパフォーマンスで、NBAでの道を切り開いている。

文●小川由紀子
 

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