【名馬列伝】史上もっとも破天荒な三冠馬、単なる”駿馬”ではなかったオルフェーヴルの魅力

【名馬列伝】史上もっとも破天荒な三冠馬、単なる”駿馬”ではなかったオルフェーヴルの魅力

ラストランの2013年有馬記念では、2着に8馬身差をつける圧勝劇で花道を飾った。写真:産経新聞社

日本競馬史上、もっとも破天荒な三冠馬。そして、もっとも世界の最高峰に近付いた歴代最強馬。それがフランス語で「金細工師」の意味を持つ名をいただいたオルフェーヴルである。

【関連動画】8馬身差の圧勝劇!最後まで強さを見せつけた暴君オルフェ―ヴルのラストランをプレイバック

 オルフェーヴルはデビュー戦から持ち前のやんちゃぶりを発揮した。
 2010年8月の新潟で迎えた新馬戦(芝1600m)。中団から伸びて初戦を勝利で飾ったのは良かったが、最後の直線ではどんどん内ラチまで斜行し、ゴール後には鞍上の池添謙一騎手を振り落として馬場を駆けまわった。そのため、勝ち馬の記念撮影が中止されるという珍事まで招いて話題になったほどだ。

 その後、重賞初挑戦となる京王杯2歳ステークス(GⅡ、東京・芝1400m)では、ゲートのなかで嘶いて大きく出遅れ、単勝1番人気の支持を裏切って10着に大敗した。
  一説には、サラブレッドの遺伝に関しての言い伝えで、「能力よりも気性が伝わる」というものがある。それが事実ならば、オルフェーヴルのやんちゃな気性は、祖父と父から受け継いだものだと言えるだろう。

「日本競馬を変えた」とまで言われる大種牡馬で、オルフェーヴルの祖父(父の父)にあたるサンデーサイレンスは現役時代、普段の調教では決まった攻め馬手しか乗せようとせず、レース中には競り合う馬の首元を噛みつきに行ったために勝利を逃したことがあるほどの気性の荒さで知られた。

 その仔で、オルフェーヴルの父であるステイゴールドも”癖(くせ)馬”だった(オルフェーヴル=金細工師の名は、父の名の一部、”ゴールド”にちなんで付けられたものである)。

 デビュー前の牧場で何度も騎乗者を振り落としたことですでに”要注意”とのレッテルを貼られていたステイゴールドは、ポテンシャルの高さは認められていたものの、なかなかその能力を発揮できず、初勝利まで6戦を要した。その後は成績が安定してきたものの、なかなか重賞勝ちまでは届かず、ファンに強烈な印象を残したのは、10番人気で臨んだ5歳時のGⅠ、天皇賞(春)で2着に食い込んだことだった。
  その後も宝塚記念、天皇賞(秋)などで2着するなど好走を続けたものの、レースの勝負どころで気を抜く癖などもあり、なかなか勝利には結びつかず、”シルバーコレクター””ブロンズコレクター”という不名誉なニックネームまで付けられた。

 そうかと思うと、初の海外遠征となった2001年のドバイシーマクラシック(GⅡ、メイダン・芝2400m)で、のちにワールドチャンピオンとなるファンタスティックライトを降して勝利を挙げる意外性を発揮。そして引退レースとなる同年の香港ヴァーズ(シャティン・芝2400m)では、とても届かないと思われる位置から爆発的な追い込みを見せて差し切って勝利し、ラストランで初のGⅠタイトルを手にするという劇的な幕引きをしたことでも知られている(ちなみに、このとき手綱をとった武豊騎手は「(直線は)飛んでいるようだった」とコメントしたが、のちにディープインパクトの走りを形容する際によく用いられた「飛ぶ」というフレーズを武騎手が初めて使ったのはこのときだと記憶している)。
  さて、3歳になって厩舎スタッフや池添騎手の苦心の調整が実り、レースでの走りに安定感を身に着けたオルフェーヴルは、スプリングステークス(GⅡ、中山・芝1800m)を快勝すると、その後は圧倒的な強さで三冠制覇を達成。6連勝で年末の有馬記念(GⅠ、中山・芝2500m)も制して、文句なく”現役最強”の座に就いた。

 ところが明け4歳となったオルフェーヴルは、初戦の阪神大賞典(GⅡ、阪神・芝3000m)で再び悪癖を出し、ファンの間では伝説ともなった珍レースを見せる。

 レース前から入れ込んでいたオルフェーヴルは道中の超スローペースに耐え切れず鞍上の制止も聞かずに先頭まで突っ走ると、2週目の第3コーナーでは突如として逸走し、レースを止めようとする。

 だが、そこからオルフェーヴルは単なる”駿馬”ではないことを証明する驚愕の走りを見せる。鞍上に促されて猛ダッシュで馬群を追い掛けると、10頭近くを交わしてぐいぐいと先頭に迫り、勝ち切ることこそできなかったものの、僅差の2着にまで追い込んだのだ。
  オルフェーヴルは4歳時と5歳時、二度にわたってフランスへ遠征。2年ともに前哨戦のフォワ賞(GⅡ、ロンシャン・芝2400m)に勝ち、日本のホースマンの悲願である凱旋門賞(GⅠ、ロンシャン・芝2400m)で2着に入っている。とりわけ惜しかったのは4歳時、2012年の凱旋門賞だ。

 この遠征では鞍上をフランスの名手、クリストフ・スミヨン騎手に依頼。フォワ賞で素直な走りで勝利を挙げたオルフェーヴルは、ますます調子を上げて凱旋門賞に臨んだ。

 凱旋門賞でも首尾は上々。好位置からラストスパートに入り、力強い末脚を繰り出して先頭に踊り出て、「すわ、日本馬の初勝利か!」と誰もが思ったその瞬間だった。急に内へと斜行すると、ラチに接触して減速。その間にフランスのソレミアにクビ差交わされ、掴みかけた特大の金星はするりと手から滑り落ちてしまったのだ。

 この敗戦の原因には諸説あるが、オルフェーヴルのやんちゃな性格を理解していなかったスミヨン騎手の油断や、陣営の指示の不徹底を指摘する声も少なくなかった。しかし、元はといえば馬自身の癖に起因する敗戦であり、同時に彼が世界の最高峰に立つだけの能力を持つ、日本の”史上最強馬”であるのを証明することにもなったのである。
  翌2013年の凱旋門賞でも2着したオルフェーヴルは帰国後、ラストランとなる有馬記念で2着を8馬身もぶっちぎる圧勝で有終の美を飾り、三冠を含むGⅠレース6勝という成績を持って種牡馬入りした。

 種牡馬としてもラッキーライラック(エリザベス女王杯2回、阪神ジュベナイルフィリーズ)、エポカドーロ(皐月賞)というGⅠ勝ち馬を出している。

 それと同時に、現役時代と同様の”ムラっ気”は健在で、昨年、米国のブリーダーズカップ・ディスタフ(GⅠ、デルマー・ダート9ハロン)で、産駒のマルシュロレーヌが超人気薄の世評を覆して快勝。ダート競馬のメッカである米国での日本馬として初のダートGⅠ勝利というこの快挙は、けっして大袈裟でなく、世界中のホースマンが驚愕する大事件となった。

 次はどうやってファンを驚かせてくれるのか。現役を引退し、種牡馬生活に入っても気にせずにはいられない、愛すべき”やんちゃ坊主”。それがオルフェーヴルなのである。

文●三好達彦

【名馬列伝】ナリタブライアンはどれだけ”強かった”のか?「シャドーロールの怪物」が歩んだ”かなり異質”な三冠への道のり

【名馬列伝】競馬の枠を超えたディープインパクトの衝撃。その「成功」はまさに唯一無二

【名馬列伝】『みじかくも美しく燃え』たサイレンススズカ。“伝説“から“悲劇“へと急転した、鮮烈すぎる2年弱の競争馬生

関連記事(外部サイト)

  • 記事にコメントを書いてみませんか?