酒好きで体調管理には無頓着。でも勝てた――。“20世紀最大の暴君”ピーター・アーツがK1の象徴と言われた所以とは【K-1名戦士列伝】

酒好きで体調管理には無頓着。でも勝てた――。“20世紀最大の暴君”ピーター・アーツがK1の象徴と言われた所以とは【K-1名戦士列伝】

3度のK-1GP制覇など一時代を築いたアーツ。全盛期の豪快なパフォーマンスは見る者を魅了した。(C)Getty Images

1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの“格闘技ブーム”があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。

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 歴代K-1ファイターの中で“最強”は誰か。ファンによって意見が分かれるところだろうが、ピーター・アーツを推す者は多いのではないか。全盛期に見せた爆発力は、まさに圧倒的だった。

 日本の格闘技ファンが彼の存在を知ったのは1992年のこと。「UWF」の東京ドーム大会に出場したことでも有名な、当時最強と目されていたモーリス・スミス(アメリカ)が敗れたというニュースだった。その相手がアーツだったのだ。

 新たな、そして未知の強豪をさっそく呼び寄せたのは、UWF系団体の「リングス」。キックルールでアダム・ワット(オーストラリア)をKOすると、『格闘技オリンピック』では佐竹雅昭と対戦(5回ドロー)している。

 翌93年に行なわれたスミスとの再戦でも勝利した。前回は判定決着だったが、今度は右ハイキックによるKOだった。この衝撃的なパフォーマンスにより、同年4月に初開催されたK-1 GPで、アーツは優勝候補の筆頭となった。

 ところが、アーツは1回戦でアーネスト・ホースト(オランダ)に判定負けを喫する。当時、日本では無名のホーストだったが、以前の対戦でも勝利した経験があった。なお、この大会で決勝に進出したホーストは、以後トップ戦線で活躍することになる。
 アーツの逆襲が始まったのは、その直後からだった。文字通りの連戦連勝で、K-1 GPでは94年、95年と連覇を果たした。とりわけ94年の1回戦、ロブ・ファン・エスドンク(オランダ)を倒した右ハイキックは衝撃的で、煽りVTRなどでも何度となくその映像が使用されている。

 若く、デカく、何よりカッコいいチャンピオン。無邪気な笑顔も印象的だった。才能のままに闘っていたという面もある。酒好きで体調管理には無頓着。それでも勝てた。

 だが、そんな怠惰な生活は長続きしない。96年にマイク・ベルナルド(南アフリカ)に敗れると、アーツには苦難の時期が訪れる。リマッチでも敗れてベルナルドに3連敗。97年のGPは準決勝でアンディ・フグにも黒星を喫した。

 そこからの復活もまたアーツらしかった。98年に3度目の優勝を飾るのだが、決勝トーナメント3試合すべてKOというド派手な勝ちっぷりを披露。しかも相手は佐竹、ベルナルド、アンディという因縁のある相手だった。 この“浮き沈み”のコントラストも彼のキャリアの特徴だ。手痛い敗北を何度も喫した。スネが割れて試合がストップされたこともある。それでもリングに上がり続けて、その時にできる最善を尽くした。

 最盛期には、あまりの強さから“20世紀最大の暴君”というキャッチフレーズがついた。彼とアンディ、ホースト、ベルナルドといったトップ選手たちはテレビ、CM出演などで一般的にも知名度が高かった。強豪揃いのK-1だから、常に勝ち続けるというわけにはいかない。ライバル同士しのぎを削り、勝ったり負けたりしながらドラマを紡いでいった。

 キャリアを重ねるにつれて、敗戦が多くなった。それでもアーツは腐らず闘い続けた。総合格闘技にも挑戦。旧体制のK-1が活動しなくなると、IGFにも参戦した。華やかさ、豪快な倒しっぷりだけでなく、その“不屈”ぶりも記憶に残る。
 2006年のK-1アムステルダム大会ではホーストとボブ・サップが対戦する予定だったが、サップが試合直前になって出場拒否。そのため中継の解説として会場に来ていたアーツが、急きょ代役を務めた。何の準備もなくとも、必要とされればリングに上がる。何のためかといえば、愛するK-1のため、長くライバルとして現役を盛り上げてきたホーストのため。それを象徴する出来事だった。

 残した結果、リングに上がり続けた貢献度、ファンからの愛され方。“暴君”はK-1に欠かせない存在、つまりK-1の象徴だった。勝つ喜びも負ける切なさも、すべて見せてくれたのだ。

文●橋本宗洋

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