ミラー&ジャクソンが演じた“最高に魅力的な悪役”。ファンの間で永遠に語り継がれる2人のドラマ【NBAデュオ列伝|後編】<DUNKSHOOT>

ミラー&ジャクソンが演じた“最高に魅力的な悪役”。ファンの間で永遠に語り継がれる2人のドラマ【NBAデュオ列伝|後編】<DUNKSHOOT>

ミラー(右)とジャクソン(左)が“最高に魅力的なヒール役”を演じたからこそ、1990年代のリーグが一層盛り上がったと言える。(C)Getty Images

■小憎らしい強烈な“ヒール・コンビ”が完成

 続く1994-95シーズン、PG(ポイントガード)のグレードアップを図ったブラウンは、古巣のクリッパーズからジャクソンを引っ張ってきた。非常に高い水準を求めるブラウンに認められたことこそ、ジャクソンが優れた司令塔である証だった。

「レジーのような選手と一緒にブレーできると考えただけで、とても楽しみだったね。それにチームに合流したその日から、レジーはとても親しく接してくれた。人間的にも素晴らしいということはすぐにわかったよ」

 ミラーとジャクソンにはいくつもの共通点があり、親友となるのに時間はかからなかった。同い年であり、ともに信仰心が篤い。ミラーがシュートを決めた後、相手ベンチに深々と敬礼して皮肉れば、ジャクソンは得点するたびに肩を震わす“ジャクソン・ジグル”を見せ、対戦相手を愚弄するようなパフォーマンスを得意としていた点も似通っていた。
  そして2人には誰よりも強い、ニックスへの対抗心があった。「俺よりニックスを嫌いなヤツがいるとしたらマークだね」とミラーが認めるほど、かつて自分を捨てたチームへのジャクソンの恨みは強かった。

 レギュラーシーズンを順当に勝ち進んだペイサーズは、プレーオフのカンファレンス準決勝でニックスとぶつかった。そしてその初戦、ミラーは再び奇跡を起こす。残り時間わずかの場面で連続して3ポイントを決め、たった8.9秒の間に8得点を入れて逆転勝ちを収めたのだ。この試合をきっかけに優位に戦いを進めたペイサーズは、4勝3敗で見事にニックスを下したのだった。

 翌1996年はミラーをケガで欠き、プレーオフ1回戦で敗退。シーズン終了後、ジャクソンはジェイレン・ローズとの交換でデンバー・ナゲッツへトレードされた。しかしナゲッツで平均12.3アシストの大活躍を見せると、シーズン半ばで再びペイサーズに帰還。最終的には平均11.4アシストをマークし、ストックトンの10年連続アシスト王を阻んで初タイトルに輝いた。 続く1997−98シーズン、ラリー・バードが新HCに就任したペイサーズは、球団新記録の58勝をマーク。プレーオフは準決勝でニックスを倒し、カンファレンス決勝でシカゴ・ブルズと対戦。第4戦ではまたしてもミラーが、試合終了間際に奇跡的な3ポイントを決めた。

 ブルズをあと一歩のところまで追いつめたペイサーズだったが、わずかに及ばず。3度目となるカンファレンス決勝での敗退を喫した。

 ジョーダンの引退で優勝へのチャンスが膨らんだ1999年も、カンファレンス決勝で敗退。しかもその相手は宿敵ニックスとあって、悔しさもひとしおだった。

 だが、ようやく彼らの努力が報われる日がやってきた。1999−2000シーズン、3度目となるニックスとのカンファレンス決勝を戦ったペイサーズは4勝2敗で雪辱を果たし、初のファイナルへの切符を手にしたのである。

「レジーと俺は毎年のように『今度こそ、今度こそ』と、夜中でも電話をしてお互いを励ましあってきた。そして今、やっとファイナルを戦える日がやってきたんだ」とジャクソンは涙を浮かべて喜んだ。

 だがロサンゼルス・レイカーズと対戦した待望のファイナルは、苦い結果に終わった。第1戦、ミラーはフィールドゴール16本中わずかに1本しか決められない惨憺たる出来。代わってジャクソンがチーム最多の18得点をあげたが、17点差で大敗した。

 ミラーは第3戦以降の4試合で平均29.5点と挽回したが、最初の2試合に敗れたのが響き、2勝4敗で敗退。これがミラーとジャクソンの2人が、ともにプレーした最後の年となった。FA(フリーエージェント)となったジャクソンに、ベイサーズは再契約をオファーしなかったのだ。
■リーグ史に残る実績を残し、賞賛されて終えたキャリア

「チームはマークの価値がわかっていない。彼ほど統率力があって、勝利に対する姿勢を示すことができる選手はいないのに」

 ミラーは何とか引き留めようと手を尽くしたが叶わず、ジャクソンはトロント・ラプターズへ移籍。そしてそのシーズン途中、トレードでニックスに9年ぶりの復帰を果たす。かつて彼にブーイングを浴びせ続けたニューヨークの街は、“息子”の帰還を温かく迎えた。

 しかしこの頃には、もはやジャクソンの衰えは隠しようがなくなっていた。最後に脚光を浴びたのは、ユタ・ジャズでプレーしていた2003年3月6日に、マジックの通算アシスト数を抜いた時だった。「ニューヨークのプレーグラウンドで、マジックの動きをすべて真似したものさ。史上最高のPGの記録を抜くことができたなんて、とても信じられない」

 最終的なアシストの総数は1万334本にまで達し、ストックトンに次いで2位(当時)となった。史上屈指のブレーメーカーとして、ジャクソンはその名をNBAの歴史に刻みつけたのだった。

 一方のミラーは、ジャクソンが去った後もペイサーズで奮闘を続けた。若い頃はその毒舌で疎まれたミラーだったが、年齢を重ねるごとにリーグでも最も敬意を払われる選手になっていった。

 元々彼は悪い人間ではなかった。仇敵ニックスのパトリック・ユーイングやスタークスも、決してミラーを嫌ってはいない。犬猿の仲と言われるジョーダンでさえ、個人的にミラーにアドバイスを送ったことがある。毒舌や偽悪的な振る舞いの根底にあるのが激しい闘争心であることは、対戦する選手たちにはわかっていたのだ。
 キャリアの最後までベイサーズ一筋を貫いたことも、彼の名声を高めた。彼は現代のNBAでは死語となりつつある“チームへの忠誠心”を決して失わなかった。通算出場試数1389試合は引退時点で6位だったが、単独チームで達成されたものとしては、ジャズのストックトンに次いで2位だった。

 卓越した技術も最後まで衰えなかった。2004−05シーズンはフリースロー成功率93.3%で自己記録を更新し、5回目のリーグ1位に。史上13人目の通算2万5000得点にも到達し、代名詞である3ポイント成功数は2560本。これは2位のデイル・エリス(元シアトル・スーパーソニックス/現オクラホマシティ・サンダーほか)に800本以上もの大差をつけての1位であった(現在でも4位)。数々の印象的なクラッチショットを沈めてきたミラーは、記憶にも記録にも残る選手だった。

 ブルズやニックスなどの人気チームのファンにとって、ミラーとジャクソンは何とも癇にさわる仇敵だった。だが、映画や小説などでも、悪役に魅力がなければ面白いドラマは生まれない。NBAでもまたしかり。最高に魅力的なヒール役を演じたミラーとジャクソン――彼らの勇姿はベイサーズ・ファンだけでなく、NBAを愛する人々の間で永遠に語り継がれていくだろう。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2006年1月号掲載原稿に加筆・修正。

【PHOTO】オラジュワン、ジョーダン、バークレー、ペニー……NBAの歴史を彩った偉大なレジェンド特集!

関連記事(外部サイト)