“史上最低のドラ1チーム”を識者が選定。ベネット、クワミ・ブラウンら“ある意味有名な選手”が勢揃い<DUNKSHOOT>

“史上最低のドラ1チーム”を識者が選定。ベネット、クワミ・ブラウンら“ある意味有名な選手”が勢揃い<DUNKSHOOT>

ドラ1として指名されたものの、ブラウン(右)やベネット(左)は期待を大きく裏切ってしまった。(C)Getty Images

1946年に創設されたNBAは、翌47年からドラフト制度を開始させ、時代によってルールを変えながら現在に至っている。

 昨年7月までに計75回のドラフトが行なわれてきたが、年代関係なく指名順位に限定してチームを結成した場合、その顔ぶれはどうなるのか。今回は過去5回にわたってお送りした「ドラフト●位指名」の最強チームの番外編として、「ワーストドラ1チーム」を、アメリカンスポーツに精通する識者に選んでもらった。

【ポイントガード】
ジョン・ルーカス
1953年10月31日生。191cm・79kg
1976年ドラフト1位
キャリアスタッツ:928試合、平均10.7点、2.3リバウンド、7.0アシスト

 2021年のケイド・カニンガム(デトロイト・ピストンズ)のように、近年ではPG(ポイントガード)が1位指名されることが多くなっている。しかしその昔は、1位は大抵センター/PF(パワーフォワード)であった。

 そのような時代にあって、1976年にヒューストン・ロケッツはPGのルーカスを1位指名。メリーランド大では2年連続オール・アメリカンに選ばれ、プロ入り後も1978、79年は2年続けて平均アシスト2位と、ここまでは順調なキャリアを歩んでいた。

 しかし当時のNBAで蔓延していたドラッグに嵌って成績は急落。そのままフェードアウトするかに思われたが、サンアントニオ・スパーズに加わった1983−84シーズンに平均10.7アシスト(4位)と復活した。

 間違いなく実力はあったけれども、薬物禍がなければもっと活躍できたはずで、オールスター出場経験もなし。1位指名のPGとしては一番の期待外れに選ばざるを得ない。引退後は自身の経験も踏まえて人情派のコーチとなり、スパーズHC(ヘッドコーチ)時代は変人デニス・ロッドマンを巧みに操縦した。
 【シューティングガード】
マーケル・フルツ
1998年5月29日生。193cm・95kg
2017年ドラフト1位
キャリアスタッツ:131試合、平均10.9点、3.2リバウンド、4.8アシスト

 好選手の居並ぶ近年の1位指名PGで、唯一の“外れ”がフルツ。プロ入り当初はSG(シューティングガード)でプレーすることも多く、1位指名選手そのものが少ないこのポジションで選出した。

 ワシントン大1年生時に平均23.2点、5.7リバウンド、5.9アシストの好成績を残し、2017年の1位指名でフィラデルフィア・セブンティシクサーズに入団。前年のドラ1でベン・シモンズ(現ブルックリン・ネッツ)が入団していたこともあり、PGではなくSGで起用されたが、開幕早々に肩を負傷して長期欠場する。2年間で33試合に出ただけでオーランド・マジックへトレードされると、新天地1年目は平均12.1点をマークし、3年5000万ドルの延長契約を結んだ。

 ところが翌年は前十字靭帯を断裂して出場8試合のみ、今季もプレーしたのは18試合だけ。5年間で20試合以上出たのは1シーズンのみと、故障続きで実力を発揮する機会がほとんどないままだ。2017年のドラフトは多数のガードが上位で指名されたが、当たり外れが大きく、シクサーズは結果的に外れを引いた格好になった。
 【スモールフォワード】
アンソニー・ベネット
1993年3月14日生。203cm・107kg
2013年ドラフト1位
キャリアスタッツ:151試合、平均4.4点、3.1リバウンド、0.5アシスト

 ドラフト史上最悪の1位指名だろう。2013年のトップ指名権を持つクリーブランド・キャバリアーズは、ナーレンズ・ノエル(ケンタッキー大/現ニューヨーク・ニックス)を選ぶというのが大方の予想だったが、3〜5位あたりの候補だったベネット(UNLV)の名前が呼ばれ、会場は大きくどよめいた。

 この指名にベネット本人も驚いたらしいが、1年目は平均4.2点、FG(フィールドゴール)成功率35.6%とまったくの不発。ケビン・ラブ獲得のためのトレード要員としてミネソタ・ティンバーウルブズへ放出され、ここでも伸び悩むとあっさり戦力外、わずか4年でNBA生活を終えてしまった。

 他球団の関係者は「我々の指名リストでは9番目だったから、1位は衝撃だった。でももっと衝撃的だったのは、こんなに早くリーグから消えてしまったこと。悪くてもシックスマンくらいにはなれると評価していた」と回想している。その後は海外を転々とし、現在は中国のCBAに在籍。NBAでは主にPFでプレーしたが、これといった該当者のいないSF(スモールフォワード)で選んだ。
 【パワーフォワード】
クワミ・ブラウン
1982年3月10日生。211cm・132kg
2001年ドラフト1位
キャリアスタッツ:607試合、平均6.6点、5.5リバウンド、0.9アシスト

 1990年代半ばからケビン・ガーネット(元ウルブズほか)やコビー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)が活躍し始め、大学に進んでいない高卒選手がNBAで通用する道を開いた。しかしそうした成功例の陰で、無残な失敗例も多く生まれている。

 2001年、ワシントン・ウィザーズは高卒選手で初となる1位指名でブラウン(グリン・アカデミー高校)を獲得。3年目には平均10.9点、7.4リバウンドを記録するまでに成長したが、結局これがキャリアハイ。大半は控えのまま7球団を渡り歩き、通算607試合で平均6.6点、5.5リバウンドにとどまった。

 NBAで12年プレーしたのだから大失敗とまでは言えなくとも、下位指名であればともかく、1位としては最低級の成績であるのは事実。インディアナ・ペイサーズなどでブラウンと対戦したアル・ハリントンは「ウィザーズの球団社長だったマイケル・ジョーダンはすぐに結果を求める人なのに、高校生を指名したのが失敗。ブラウンは必要なサポートも得られず、自信をつけられなかった」と同情している。
 【センター】
ラルー・マーティン
1950年3月30日生。211cm・94kg
1972年ドラフト1位
キャリアスタッツ:271試合、平均5.3点、4.6リバウンド、0.7アシスト

 ベネット以前、ドラフト史上最大の失敗と言えばこの選手だった。ロヨラ・シカゴ大から1972年1位指名でポートランド・トレイルブレイザーズに入団。大学では3年間で平均18.2リバウンドを奪っていたが、個人賞やオール・カンファレンスなどの選出経験はなし。UCLAと対戦した際、当時大学最高のセンターだったビル・ウォルトン(2年後ブレイザーズに1位で入団する)と互角に渡り合った点を評価されての1位指名だった。
  だが、当時のヘッドコーチが求めるプレーをこなせず、あろうことか3巡目指名の同期生ロイド・ニールに先発センターの座を奪われてしまう。ブレイザーズでは平均5.3点、4.6リバウンドにとどまり、6年契約の4年目で放出。その後いくつかの球団に所属したが、1試合も出ることはなかった。

 なお、当時のチーフスカウトだったスチュ・インマンは、12年後のドラフトではGM(ゼネラルマネージャー)としてサム・ブーイを2位指名し、マイケル・ジョーダンを獲得し損なう大失敗を再び犯している。

文●出野哲也

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