英雄セナの悲劇の影に隠れ…28年前にイモラで散った悲運のラッツェンバーガーに海外メディアが再注目!「F1は彼を忘れない」

英雄セナの悲劇の影に隠れ…28年前にイモラで散った悲運のラッツェンバーガーに海外メディアが再注目!「F1は彼を忘れない」

94年のサンマリノGPでの事故によって急逝したアイルトン・セナ(左)とローランド・ラッツェンバーガー(右)。(C) Getty Images

F1で5月1日といえば、28年前の1994年、欧州ラウンド初戦の第3戦サンマリノ・グランプリで、3度のワールドチャンピオンに輝いたウィリアムズのアイルトン・セナが非業の死を遂げた日として、人々の記憶に留められている。

 当時は高速サーキットだったイモラでのレース、スタートのアクシデントでセーフティーカーが導入され、レース再開から2周目(全体7周目)、34歳のブラジル人ドライバーはタンブレロコーナーでコースアウトし、コンクリートウォールに激突。吹き飛んだ右フロントホイールとサスペンションによって頭部に致命的な傷を負った彼に対し、懸命な治療が行なわれたものの、F1の歴史における最大の悲劇は避けられなかった。
  世界中がセナの死を悲しみ、母国では国葬が執り行なわれたが、それ以降は毎年、5月1日になると人々は彼のことを思い出し、追悼イベントが各地で行なわれる他、メディアでは今なお新しいエピソードが紹介されるなど、天才ドライバーの記憶が色褪せることはない。現在の現役F1ドライバーでも、ルイス・ハミルトンにとってセナは最大のアイドルであり、1996年生まれのピエール・ガスリーもセナのファンであることを公言している。

 その一方で、この悲劇の前日に起きたもうひとつの死亡事故については、スポットライトが当たることが少なくなっている。シムテックのマシンで予選2日目に臨み、フロントウイングの破損でコントロールを失い、300キロ超の速度でヴィルヌーブ・カーブを直進してウォールに激突したローランド・ラッツェンバーガーのアクシデントだ。

 33歳の若さで命を散らしたオーストリア人ドライバーは、全日本F3000や全日本ツーリングカー選手権にも参戦したことで、日本のレースファンには馴染み深い存在であり、その気さくで優しい性格から人気もあるドライバーだった。94年に5戦のみの契約でF1デビューを飾り、岡山で開催された第2戦パシフィックGPで初の予選通過&決勝11位という結果を残して、欧州ラウンドで勢いに乗ろうとした矢先の事故で、モノコックから身体が露出した状態だった彼は、ほぼ即死の状態だったという。

 本来であれば、この事故によってグランプリは中止となるべきだったが、翌日の決勝は強行され、結果、F1は英雄でありリーダーでもあったセナを失うことになり、これによってラッツェンバーガーの悲劇がかき消されてしまうことに……。ジャック・ヴィルヌーブらラッツェンバーガーと仲の良かったドライバーらは後にこれに不満を示し、「セナだけでなく、ローランドのことも忘れないでほしい」と訴えたものである。
【関連記事】「正直、パンクさせるべきだったかも」伝説の92年モナコGPをマンセルが回想! 年間王者決定後のセナとの会話も告白 ちなみにセナ自身は、ラッツェンバーガーの死に大きな悲しみを抱き、翌日のレースでは彼にオーストリア国旗を振りながら勝利を捧げることを望んでいたということで、セナ自身が事故を起こした後、大破したウィリアムズのコクピットからは、畳まれたオーストリア国旗が見つかっている。

 もちろん、この悲運のオーストリア人ドライバーを各国メディアが忘れ去ってしまったわけではなく、悲劇から28年後の今年4月30日も、多くのサイトではその思い出とともに、彼が後のF1に残したものに言及している。
【関連記事】F1第4戦・7位入賞の角田裕毅、顕著な進化に海外メディアも注目!「冷静さを失いがちなドライバー」の評価から「成長の好例」へ オランダのF1専門サイト『GPBLOG』は、米放送局『CNN』が「セナの葬式に参列しようと推定300万もの人々がサンパウロに詰めかけたのに対し、ラッツェンバーガーの場合はザルツブルクにやって来たのは約250人だった」と報じたことを紹介し、「このようにローランドの死は影に隠れてしまっているが、F1の世界で彼が忘れられることはない」と綴った。

 そしてF1専門ラジオ『GRAND PRIX RADIO』は「1994年のイモラでの週末以降、F1は安全性に関して多くの対策を講じてきた。頭部と胴体の安全のために、コクピットのエッジを高くし、クラッシュテストも基準が厳しくなった。2003年からは頭部と首をサポートするHANSシステムが導入。こうした現在では必須の装備の導入は、ラッツェンバーガーのアクシデントに端を発した」と指摘。セナの死が、直接的な安全改革の要因なのは間違いないだろうが、ラッツェンバーガーの貢献も強調した。

 一方、イタリアの全国紙『il Resto del Carlino』は、5月1日に2つの悲劇の舞台となった「アウトドモーロ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ」で今年も追悼イベントが開催されたと報じ、事故現場であるタンブレロとヴィルヌーブ・カーブで献花が行なわれたという。ここでは、セナ、ラッツェンバーガーは“平等”に扱われたことは言うまでもない。

 1982年のリカルド・パレッティの死亡事故から12年後に悪夢の週末が訪れ、さらにその20年後に鈴鹿でジュール・ビアンキが撤去作業中のクレーン車に突っ込んで後に死亡するなど、そのスパンは長くなりながらも、F1から悲劇はまだ失われておらず、同時に安全への追求は日々続いている。

構成●THE DIGEST編集部

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