ドラフト3位指名から“神”になったジョーダン、7位指名でNBAの頂点に立ったカリー…“ドラ1以外”のベストチームを選定!<DUNKSHOOT>

ドラフト3位指名から“神”になったジョーダン、7位指名でNBAの頂点に立ったカリー…“ドラ1以外”のベストチームを選定!<DUNKSHOOT>

ジョーダン(左下)は3位、バード(右上)は6位、カリー(左上)は7位、ノビツキー(右下)はドラフト8位指名からスーパースターに成長した。(C)Getty Images

1946年に創設されたNBAは、翌47年からドラフト制度を開始させ、時代によってルールを変えながら現在に至っている。

 昨年7月までに計75回のドラフトが行なわれ、その年の最高の選手が1番目に名前を呼ばれてきたが、下位指名でスーパースターに成長し、最終的に1位選手以上の成功を収めた選手も少なくない。今回は「ドラフト1位以外」の最強チームを、アメリカンスポーツに精通する識者に選んでもらった。

【ポイントガード】
ステフィン・カリー

1988年3月14日生。188cm・84kg
2009年1巡目7位
キャリアスタッツ:826試合、平均24.3点、4.6リバウンド、6.5アシスト

 ここで対象とするのは、ドラフトが現行方式となった1965年以降の指名選手。また今回は、1位とドラフト外を除く全選手と範囲が極めて広いため、「本来はPGでもSGで選出」といったことはせず、本職のポジションに絞って選んだ。

 史上最高のシューターとして、NBAの戦術を根本的に変えてしまったカリーは、デイビッドソン大から2009年7位でゴールデンステイト・ウォリアーズに入団(同年1位はブレイク・グリフィン)。その頃は、シュート力こそ卓越しているものの「サイズと身体能力が不足しているから、インサイドでは得点できそうもないし、PGのセンスにも欠けている」という辛辣な評価も聞かれた。

 実際、同年のドラフトではカリーの前に3人のPGが指名されていた。だが、結果的にその評価は短所を過大に、長所を過小に見積もりすぎていた。その他のPGではジョン・ストックトン(84年16位)、アイザイア・トーマス(80年2位)、そしてクリス・ポール(05年4位)は今もフェニックス・サンズで活躍を続けている。
 【シューティングガード】
マイケル・ジョーダン

1963年2月17日生。198cm・98kg
1984年1巡目3位
キャリアスタッツ:1072試合、平均30.1点、6.2リバウンド、5.3アシスト

 1984年のドラフトで、シカゴ・ブルズは3位指名権を持っていた。本命のアキーム・オラジュワン(ヒューストン大)はヒューストン・ロケッツの1位指名が決まっていたので、ロッド・ソーンGM(ゼネラルマネージャー)は次善の策としてノースカロライナ大のジョーダンに狙いを定める。

 フィラデルフィア・セブンティシクサーズやダラス・マーベリックスからも指名権のトレードを申し込まれ、特にマブズはシカゴ出身の好選手マーク・アグワイアを提示してきた。この魅力的な申し出にもかかわらず、ソーンは「ジョーダンには特別な何かを感じる」として拒否。その見立てはこれ以上ないほど正確だったわけだが、ロケッツが前年の新人王に選ばれたラルフ・サンプソンを駒としていたら(実際にそのような報道があった)、トレードに応じただろうとも言っている。

 ジョーダンに次ぐSGとしては、彼の正統後継者であったコビー・ブライアント(96年13位)、ドゥエイン・ウェイド(03年5位)がいる。
 【スモールフォワード】
ラリー・バード

1956年12月7日生。206cm・100kg
1978年1巡目6位
キャリアスタッツ:897試合、平均24.3点、10.0リバウンド、6.3アシスト

 バードは78年のドラフト6位(同年1位はマイカル・トンプソン)で指名された後も大学に残り、NCAAトーナメントで大活躍したという希有な経歴の持ち主である。なぜこんなことが起こったかというと、彼は最初に入学したインディアナ大に馴染めず退学。その後インディアナ州大に入り直したため、ドラフトで指名されるための当時の条件を、3年終了時にクリアしていたのだ(現在では不可)。

 セルティックスはバードが卒業するのを待つ、すなわちプロ入りが1年遅くなるのを覚悟で指名したわけで、それは正解だった。もしバードが指名後すぐプロ入りしていたら、79年のNCAAトーナメント決勝戦においてミシガン州大のマジック・ジョンソンとの対戦は実現せず、したがってNBA歴史上最も有名なライバル関係は、そのドラマ性が半減していた。

 ケビン・デュラント(07年2位)もバードに匹敵する実績を残しているほか、史上最高の2番手スコッティ・ピッペン(87年5位)の名前も挙げないわけにはいかない。
 【パワーフォワード】
ダーク・ノビツキー

1978年6月19日生。213cm・111kg
1998年1巡目9位
キャリアスタッツ:1522試合、平均20.7点、7.5リバウンド、2.4アシスト

 PFは、なぜか1位指名ではない選手が大成するケースがとても多い。チャールズ・バークレー(84年5位)、カール・マローン(85年13位)、ケビン・ガーネット(95年5位)、そしてヤニス・アデトクンボ(ミルウォーキー・バックス/13年15位)ら、名PFと呼ばれる選手の大半は1位以外だ。

 ドイツ生まれのノビツキーも98年9位でバックスに指名され、6位指名のロバート・トレイラーとの交換でダラス・マーベリックスへ移籍(1位はマイケル・オロウォカンディ)。マブズのアシスタントGMだったドニー・ネルソンはノビツキーに惚れ込んでいて、カンザス大のポール・ピアースが指名できたのに構うことなく獲得に動いた。

「悪くてもキース・ヴァンホーンくらいに、上手く行けばラリー・バードになる」とのネルソンの見通しは良い方向へ当たり、当初の線の細さを克服して、07年にヨーロッパ出身で最初のMVP受賞者となる。11年にはマブズを初優勝に導き、21年間ダラス一筋で史上6位の通算3万1560点を記録した。
 【センター】
ニコラ・ヨキッチ

1995年2月19日生。211cm・129kg
2014年2巡目41位
キャリアスタッツ:527試合、平均19.7点、10.4リバウンド、6.2アシスト

 多士済々のPFと比べ、センターは1位以外の選手の顔触れは意外なほど寂しい。カリーム・アブドゥル=ジャバーやアキーム・オラジュワン、シャキール・オニールら、学生時代から有名なセンターは1位で消えるからだ。1位以外で最高のセンターはモーゼス・マローンだろうが、こちらはドラフト外。74〜76年に3年連続得点王となったボブ・マッカドゥー(72年2位)の全盛期は短く、セルビアの俊才ヨキッチがすでに上と判断した。

 アンドリュー・ウィギンズがトップ指名、ジョエル・エンビードが3位で呼ばれた14年のドラフト2巡目、全体41位でデンバー・ナゲッツに指名され1年後に入団。同期で13位指名のユスフ・ヌルキッチ(現ポートランド・トレイルブレイザーズ)ほどの伸びしろはないと評されていたのが、ビッグマン離れしたシュート力とパスセンス、そしてバスケットボールIQの高さですぐに頭角を現す。

 19年からは4年続けてオールスター出場、そして21年に続き、トリプルダブルを19回も達成した今季もMVP。センターでは5人目の2年連続受賞となった。
 【シックスマン】
ケビン・マクヘイル

1960年12月19日生。208cm・95kg
1980年1巡目3位
キャリアスタッツ:971試合、平均17.9点、7.3リバウンド、1.7アシスト

 今回は本来のポジションを動かさずに選出したと冒頭で記したように、シックスマンも長くベンチ要員だった選手から選んだ。だからと言って先発メンバーに決して見劣りはせず、ボビー・ジョーンズ(74年5位=入団拒否)やマヌ・ジノビリ(99年57位)らの名選手もいる。

 なかでも一番の大物は、ミネソタ大から80年の3位でセルティックスに指名されたマクヘイル(同年1位はジョー・バリー・キャロル)。NBA史上最高の75人に選ばれた名フォワードは、キャリア全体の60%ほどはベンチからの出場で、84、85年は2年連続でシックスマン賞を受賞。オールスターには7回出場していて、うち84、90、91年の3回はシックスマンとして起用されたシーズンでのものだ。

 腕の長さと体の柔らかさが特徴で、一旦ローポストでボールをもらえばあらゆるムーブを駆使してバスケットにねじ込んだ。才能だけなら1年早く入団していたバード以上だったが、楽天的な性格で貪欲さに欠けていたためスーパースター級にはなれなかった。

文●出野哲也
 

関連記事(外部サイト)