「試合でパフォーマンスを発揮するには体づくりが大事」日本中を熱狂させた3Pショット! 女子バスケ日本代表・林咲希のこれまでのキャリアとそれを支える食生活

アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。第18回は東京オリンピックで銀メダル獲得に貢献した林咲希選手。

 高校の部活動では食べて体を鍛え、大学では栄養学を専攻して自己管理の大切さを学んだ。食生活を通してのこれまでの歩みと、日本代表とWリーグで多忙を極めた2021-22シーズンの活動について聞いた。

■オリンピック銀メダルと多忙だった今シーズン

――長いシーズン、お疲れさまでした。改めて銀メダルへと大躍進した東京オリンピックのことを聞きたいのですが、オリンピックで印象に残っていることは何ですか? 

 チーム全員で一つになって戦ったことが心に残っていますね。目標に向かって一丸となって準備したからこその銀メダルだと思っています。

 自分自身のことで言えば、オリンピック前の強化合宿ではまったく3ポイントが入らなかったのですが、オリンピックでは確率良く入ったのでホッとしました。自分の中ではもしシュートが入らなくても、ディフェンスで崩れないように頑張ろうと思ってやっていて、それができたので、いいパフォーマンスにつながったのだと思います。

 私自身、ディフェンスがこんなに楽しいと感じたのは東京オリンピックが初めてだったんです。ディフェンスで崩れずに頑張れたことと、ディフェンスが楽しいと思えたことがオリンピックの一番の収穫でしたね。

――東京オリンピックでの銀メダル獲得は、林選手のバスケットボール人生を変えるぐらい、大きなターニングポイントになったのではないでしょうか?

 銀メダルを獲得してファンの方や周りの反応がとても多かった、そういう意味では「オリンピックってすごいな」というのは感じました。

 ただ、自分自身は「目の前のことを頑張る」というスタンスでバスケをやっているので、オリンピックに出たからといって自分の中身は何も変わっていなくて、「目の前の試合を頑張った」という感覚なんですよ。無観客だったので変な緊張感もなくやれたので、もう少し時間が経つと「すごい舞台だったんだな」と思うかもしれません。

 オリンピック後にたくさん取材を受けるようになって感じたことは、今は女子バスケの熱が高まっているので、「この熱を冷まさないように、これからも頑張っていきたい」というのは強く思いますね。


――今シーズンはとてもタフなスケジュールで、オリンピック、アジアカップ、ワールドカップ予選と国際大会が続きました。その後に迎えたWリーグはどんなシーズンでしたか? 

 今シーズンはすべての代表活動に選んでもらい、アジアカップ以降はキャプテンも務めたので、すごく勉強になった1年でした。ただ、代表活動の期間がとても長かったので、今シーズンはENEOSでの練習がなかなかできなかったんですね。

 開幕戦の山梨戦も負けそうになりましたし、悪い内容で負けた試合もありました。満足したのは優勝した皇后杯くらいで、それ以外はスッキリした内容の試合があまりなかったです。

 自分のシュートに関しては、確率良く決めることはオリンピックで自信がついたのですが、それをチームで発揮するには、噛み合わせる練習が不十分だと感じました。今シーズンは練習の大切さを痛感したし、練習の質を上げることが足りなかったという思いです。

――今シーズンは残念ながら右足首の疲労骨折によってプレーオフではコートに立つことはできませんでしたが、どんな気持ちで仲間が戦うプレーオフを見ていたのでしょうか。

 プレーオフには出たい思いでリハビリに取り組んでいたのですが、リハビリの途中から足の痛みが大きくなって不安がありました。インソールを変えてみたり、走り方や足の着き方を調整しながら練習したのですが、それでもダッシュしたりストップしたりすることが難しく、続けて走ることができなかったので、これはしっかり治さなければと認識して、試合に出ないという判断を自分で決めました。

 そう決めてからは、みんなが楽しくプレーできるようにサポートしようという思考に変わりましたね。今後もリハビリを続けて足をしっかりと治して、ENEOSと日本代表でいい状態でプレーできるようにしたいです。■林咲希が育った環境

――子供の頃の話をうかがいます。バスケットボールを始めたきっかけは?

 父がミニバスチームの創設者(雷山ミニバスケットボールクラブ)としてチームの代表をしていたので、その影響で3歳と5歳上の姉がバスケを始めたんですよ。それで私も小学校2年からバスケを始めました。家族の影響で自然とバスケの道に入りましたね。

――子供の頃から身長が高かったのですか?

 小学校の頃は小さいほうから数えたほうが早かったですが、高校に入る頃には170㎝くらいになっていて、家族の中でも一番高くなっていました。中学校の頃は成長痛で膝が痛かったことを覚えています。

――部活動の思い出は?

 精華女子高校時代の部活で思い出として残っているのが、「食べる合宿」です。夏に一週間ほど、きつい練習のあとに、食べて体を鍛える目的の合宿をやっていました。

 白飯をたくさん炊いて、おかずもたくさんあって、それを無くなるまで部員みんなで食べるんです。食事は保護者の方や先輩方が作ってくれて、差し入れもたくさんしてくれました。高校の部活ではジュースや菓子パン、お菓子を食べるのは禁止でしたが、苦ではなかったですね。食べることに関しては、体にいいことを積極的にやっている部活でした。

――中高生時代からよく食べる方だったのですか?

 高校の頃に一時期、食が細くなったときはありましたが、それ以外はめちゃめちゃ食べていましたね。中学時代は給食のお代わりをよくしていました(笑)。

 ただ子供の頃は魚だけはあんまり好きじゃなかったですね。食べられるんですけど苦手というか、夕飯のメニューが魚だったりすると「今日は魚かあ…」とテンションが低くなる感じです(笑)。あとは、子供の頃は納豆も苦手でしたが、体にいいと聞いてから食べるようになって、今では試合前に必ずご飯に納豆と温泉卵のセットを欠かさず食べるほど大好きです。

――中高生時代はどんなプレースタイルでしたか?

 中学校ではセンターもやりつつ、ボールを運んだり、点を取ったり、オールラウンダーという形でやっていていました。高校になると、ほぼ4番(パワーフォワード)と5番(センター)を兼任していましたが、走るプレースタイルはこの頃から変わりません。
 ――高校から大学へ進学したときは、どのようなビジョンを描いていましたか?

 何校かお誘いいただいた中で白鷗大学に決めたのは、自分を2番(シューティングガード)か3番(スモールフォワード)で起用したいと言われたからなんです。

 他のチームだと4、5番でプレーする感じだったので、2、3番にポジションアップできれば、もっと成長できると思って白鷗に決めました。また自分の中では白鷗は走るイメージで、走るバスケットが好きだったことも決め手です。大学では、走れてアウトサイドから得点の取れる選手になりたいと思って取り組んでいました。

――今のようなアウトサイドから得点を取るプレースタイルになったのはいつ頃ですか?

 大学1年の頃はあまり試合に出られなくて、2年で試合に出るとなったときに、自分と同じポジションの競争相手が4年の先輩だったので、その先輩よりシュートを決めないと出られないという状況だったので、その時期に3ポイントシュートの練習をたくさんしました。

 その先輩に負けないようにというよりは、自分は走るのが武器だったので、あとはアウトサイドシュートを磨く必要があったので、3ポイントを練習しました。とはいっても、大学時代は3ポイントシューターというより、2点も3点も同じくらい打っていたので、3ポイントシュートを特に磨いたのはENEOSに入ってからです。

――確かに大学時代は3ポイントも得意でしたが、点取り屋でしたよね。そこから、よくここまでの3ポイントシューターになったと思うのですが、そのきっかけは何でしたか?

 トムさん(現・男子日本代表トム・ホーバス ヘッドコーチ)が日本代表に選んでくれた2019年あたりから今のようなスタイルになりました。「2点ではなく、3ポイントシュートを打って決めてほしい」と言われていたので、「3ポイントで活躍しないと試合に出られない」と強く思って、そこから覚悟を決めてスリーの練習に集中して取り組みました。

――クイックリリースで3ポイントを打てることが林選手の強みですが、いつから速いモーションで打つようになったのでしょうか?

 3ポイントを打ち始めたときは、リリースを速くすることは意識していなかったのですが、2ポイントと同じリズムで3ポイントが打てれば、より打ちやすいのかなと思って試したのがきっかけです。

 2ポイントと同じ打ち方で3ポイントを打ってみたら、自然とみんなよりリリースが速かったという感じです。国際大会で試合をすると身長の大きい選手の前では3ポイントが打てないこともあり、そこをトムさんには指摘されたので、「もうちょっと速いリリースで打ってみよう」「もっと走ってシュートチャンスを作ってみよう」と練習を始めたのが2、3年前で、今のようなスタイルになりました。

――ENEOSに入団した当時、壁を感じたことはありましたか?

 それはかなりありましたね。ENEOSはディフェンスのチームなので、ディフェンスができないと試合に出られないので、入団したときから不安はありました。

 練習では先輩方に簡単にやられてしまうことが続いて自信をなくしたこともありました。試合に出ても緊張することが多くてビクビクしながらやっていたし、怪我をしたシーズンもあり、3年目が終わるまではけっこう苦しかったですね。

 そこからだんだん練習を重ねて、ディフェンスで手応えをつかみながらプレーするようになりました。だから、オリンピックでディフェンスが崩れなかったことは自信になりました。それはENEOSで長い時間をかけてディフェンスを培ってきたからだと思います。
 ――食事についてお聞きします。高校時代は自宅からの通いでしたが、食事面で意識していたことはありますか? 

 自宅にいた頃は自分では気を遣ったことはないのですが、母が毎日バランスのいい食事を作ってくれました。朝は絶対にお味噌汁が出ましたし、夜はご飯、魚、副菜、サラダなどがバランスよくありました。

 子供の頃って、栄養のことってわからないじゃないですか。今になって、母が作ってくれた食事はバランスが良かったのだと感謝の気持ちでいっぱいです。うちは外食をしない家庭だったんです。だから家族全員で毎日食卓を囲んで食べていました。

 20歳になってからは私がお酒を飲めるようになったこともあり、帰省したときに家族で外食に行くのが楽しみになりましたね。

――栄養について意識したのはいつからですか?

 大学生になってから意識をするようになりました。親からの仕送りの中で、バランスよく食材を買って作ることを考え始めたのが、大学で一人暮らしを始めてからです。

 3年生のときには栄養学という専攻があったので、その授業を受けてからは栄養について特に意識するようになりました。講師の方が陸上経験者の方だったので、スポーツ選手の食事の大切さや栄養のことをたくさん教えてくれて、その授業はすごく好きでした。

 白米、肉、野菜、魚など、一つ一つの食材の脂質や糖質、栄養素を調べながら食べていたので、今でも食べるときにはそういった成分を気にするようになりました。高校時代の食べて鍛える合宿や、大学での栄養学で学んだことは今に生きています。

――自分で料理はしますか?

 します。大学時代は、試合1か月前は学校から食事の提供があったんですけど、それ以外は自炊だったので、自分で献立を考えながら買い物をしたり、作るのが好きになりました。

――毎日のように練習をして、授業があっても、自炊をするのは苦ではなかったですか?

 苦ではなかったです。むしろ、みんなに振る舞いたいので、自炊は楽しかったです。鍋とかよくやりましたね。みんなで割り勘して食材を買って、私の部屋で鍋を作って食べました。大学時代のいい思い出です。楽しかったですね。

――得意料理は何ですか?

 魚の煮つけかな。昔は魚が苦手だったけど、今は好きになってよく食べています(笑)。洋食系もけっこう作りますね。オムライスやロールキャベツとか。あとは、お酒に合うおつまみ系を作るのが好きになりました。

――好きなキノコ料理はありますか? 

 鍋をするのが大好きなので、鍋にはキノコも好きなのでよく入れますね。寮の食事でもシイタケやマイタケなどキノコ類はよく出てきます。中でも鮭のホイル焼きが好きで、鮭に添えられているシメジが美味しいので好きなメニューです。

――キノコには腸内環境を改善する働きも報告されています。腸について意識したことはありますか? 

 そうなんですね!腸内環境を良くするには乳製品を摂ることは意識していますが、キノコ類はそこまで意識したことはなかったです。ただ、食べ過ぎたあとにお腹が痛くなったりすることもあったので、キノコが腸内環境にいいと知ったので、キノコ料理の調理を覚えて自分で作ってみたいです。

――現在、食事の内容や栄養について、意識していることがあれば教えてください。

 競技によっては食事制限をされているスポーツもありますが、バスケットボール選手は食事制限というのはない選手が多いと思うので、食事に関しては自己責任というのがあります。自己管理をしっかりして食べるということですね。

 自分がプレーしやすい体重を維持できれば何を食べてもいいのですが、逆に食べすぎると体を動かすのがきつくなるので、常日頃から自分のベストな状態や体重を知っておき、試合の日にベストの体重に持って行けるような食べ方の調整はしています。あとは、食べ物の好き嫌いがないので、バランス良く食事を摂ることを心がけていますね。

――夢に向かって頑張るジュニアアスリートたちへメッセージをお願いします。

 自分が得意なプレーに対しては、どんどんトライして成長してほしいですね。その中で、自分の苦手な課題にも取り組んで、なるべく不安な材料をなくしてコートに立てば、楽しくプレーできると思います。


林 咲希/はやしさき
1995年3月16日生まれ、173cm
ENEOSサンフラワーズ所属、福岡県出身

クイックリリースで打つ3ポイントとランニングプレーを得意とするシューター。頭角を現したのはアウトサイドプレーヤーに転向した白鷗大時代。大学4年次にはインカレで白鷗大を初優勝に導き、得点王とMVPを受賞。2017年にENEOSサンフラワーズ入団。同年のユニバーシアードでは銀メダル獲得、2019年に日本代表入りを果たす。所属するENEOSでもチームのWリーグ11連覇、皇后杯9連覇に大きく貢献。東京オリンピックでは準々決勝ベルギー戦で残り15.2秒に逆転となる3ポイントを決めた。2021年のアジアカップ、2022年ワールドカップ予選では日本代表のキャプテンを務めている。愛称はキキ。
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