ケガさえなければNBAの歴史は変わっていた!? 全盛期に故障に見舞われた“不運な男ベスト5”<DUNKSHOOT>

ケガさえなければNBAの歴史は変わっていた!? 全盛期に故障に見舞われた“不運な男ベスト5”<DUNKSHOOT>

ローズ(左)、ロイ(右上)、ヒル(右下)らはいずれも新人王を受賞。将来を嘱望されたが、故障により絶頂期に長期離脱を強いられた。(C)Getty Images

バスケットボールに限らず、あらゆるアスリートにとってケガは最大の敵。場合によってはキャリアを左右するほどのアクシデントに見舞われる選手も少なくない。

『THE DIGEST』の当シリーズでは、前回キャリアを通じて欠場とは無縁だった“鉄人ベスト5”を選定したが、今回はその逆。故障が原因で全盛期を棒に振った“不運の男ベスト5”を紹介する。

【ポイントガード】
デリック・ローズ

1988年10月4日生。188cm・91kg
キャリアスタッツ:672試合、平均18.2点、3.3リバウンド、5.4アシスト
主な賞歴:新人王(09年)、MVP(11年)、オールNBA1stチーム(11年)、オールスター選出(10〜12年)

 2008年のドラフト1位で生まれ故郷シカゴのブルズに入団すると、平均16.8点、6.3アシストの成績で新人王を受賞。攻撃型PGとして着実に成長を遂げ、3年目の10−11シーズンは25.0点、7.7アシスト、チームをリーグ最高勝率に導いて、史上最年少の22歳でMVPに輝いた。

 抜群の身体能力を備え、リムに向かってジャンプする光景はF-15イーグル戦闘機の離陸に例えられたほど。しかしながら翌年のプレーオフ初戦で左ヒザ前十字靭帯断裂の重傷を負い、12−13シーズンは全休。次の年には、今度は右ヒザの半月板を損傷するなどケガに祟られ続け、17年には引退を決意したとも言われた。

 それでも、ミネソタ・ティンバーウルブズ在籍時の18年10月31日、ユタ・ジャズ戦で自己最高の50得点。レブロン・ジェームズも「スーパーヒーローであることを証明してくれた」と感動したこの試合は、リーグが選ぶ同シーズン最高の瞬間に選ばれた。その後も若手の頃のようなスターではなくとも、重要なベンチメンバーとして存在感を発揮。現在は5球団目のニューヨーク・ニックスで奮戦している。
 【シューティングガード】
ブランドン・ロイ

1984年7月23日生。198cm・98kg
キャリアスタッツ:326試合、平均18.8点、4.3リバウンド、4.7アシスト
主な賞歴:新人王(07年)、オールNBA2ndチーム(09年)、オールNBA3rdチーム(10年)、オールスター選出(08〜10年)

 70〜80年代に華麗なダンクで人気を博したデイビッド・トンプソンも、ケガで短命に終わった代表格。ただ、彼の場合はドラッグで自ら身を滅ぼした一面もある。その点、ロイは“ケガのせいだけで”大成できなかった選手だった。

 2006年のドラフト6位で指名を受けたウルブズからポートランド・トレイルブレイザーズにトレードされると、1年目から平均16.8点をあげて新人王に。「プレッシャーのかかる場面ほど好きなものはない」と言い切る天性のクラッチシューターであっただけでなく、常に的確な状況判断を下すことができ、数字以上に高い評価を得た。

 同じポジションのコビー・ブライアントも「大好きな選手だ。対戦していても、見ているだけでも最高に楽しい」と絶賛。2年目からは3年連続でオールスターに選ばれ、スターへの階段を駆け上がったが、10−11シーズンにヒザの負傷で47試合の出場にとどまると、27歳の若さで引退。2年後にウルブズで再起を目指したが、5試合に出ただけで再びヒザが悲鳴を上げ、わずか6年のキャリアに別れを告げた。【スモールフォワード】
グラント・ヒル

1972年10月5日生。203cm・102kg
キャリアスタッツ:1026試合、平均16.7点、6.0リバウンド、4.1アシスト
主な賞歴:新人王(95年)、オールNBA1stチーム(97年)、オールNBA2ndチーム(96、98〜00年)、オールスター選出(95〜98、00、01、05年)

 NFLの名選手カルビン・ヒルを父に持つサラブレッドで、マイケル・ジョーダンの全盛期に、一時はそれを凌ぐ人気を得ていた。

 デューク大から1994年のドラフト全体3位でデトロイト・ピストンズ入りし、新人王を受賞。最初の6年間で平均20点・5リバウンド・5アシスト以上を記録した5人目の選手となるなど、類い稀なオールラウンド能力を発揮した。

 コート内外で問題行動とは無縁の優等生でもあったが、サイン&トレードでオーランド・マジックへ移籍した2000−01シーズンは、足首の捻挫で出場4試合のみ。その後も同じ個所を何度も痛めた上、ヒザ痛やスポーツヘルニアなども発症。03−04シーズンは全休するなど、マジックでは7年間で200試合の出場に終わった。

 フェニックス・サンズ移籍後に健康を取り戻し、40歳まで現役を続ける息の長い選手にはなったが、最も脂が乗る時期に完全体でプレーできなかったのが惜しまれる。ヒル以外では、85年のリーグ得点王で、ニューヨーク・ニックスのスターだったバーナード・キングも、何度もヒザのケガに苦しめられた。
 【パワーフォワード】
モーリス・ストークス

1933年6月17日生(1970年4月6日没)。201cm・105kg
キャリアスタッツ:202試合、平均16.4点、17.3リバウンド、5.3アシスト
主な賞歴:新人王(56年)、リバウンド王(57年)、オールNBA2ndチーム(56〜58年)、オールスター選出(56〜58年)

 アクシデントに見舞われなければ、確実にNBAの歴史に名を残したであろう名選手。同時代の殿堂入り選手ボブ・クージーは、ストークスを「器用さを備えたカール・マローン」と形容していた。

 55年にドラフト2位でロチェスター・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)に入団。頑強な肉体と意外なほどの敏捷さでリバウンドを奪いまくり、平均16.8点、16.3リバウンド(リーグ1位)で新人王に輝いた。翌年も1256リバウンドでタイトルを獲得。57-58シーズンは9度のトリプルダブルを記録し、プロ入りから3年連続でオールスターに選ばれた。

 ところがこの年のレギュラーシーズン最終戦でシュートを阻まれ転倒した際、頭部を強打。数分後にプレーを再開し、3日後のプレーオフにも出場したが、試合後に異状を訴え入院すると意識不明に陥る。一時の昏睡状態からは回復したものの、運動機能は麻痺したまま蘇ることはなかった。

 その後はチームメイトのジャック・トワイマンを法定後見人として車椅子生活を送り、70年に36歳で心臓発作により死去。現在、2人の名は「トワイマン・ストークス・チームメイト賞」として、リーグのアウォードに刻まれている。【センター】
ビル・ウォルトン

1952年11月5日生。211cm・95kg
キャリアスタッツ:468試合、平均13.3点、10.5リバウンド、3.4アシスト
主な賞歴:MVP(78年)、ファイナルMVP(77年)、リバウンド王(77年)、ブロック王(77年)、最優秀シックスマン賞(86年)、オールNBA1stチーム(78年)、オールNBA2ndチーム(77年)、オールディフェンシブ1stチーム(77、78年)、オールスター選出(77、78年)

 96年にリーグ創設50周年を記念し「史上最高の50人」が選定された際、最も論議を呼んだのが、ウォルトンの入選だった。実力的には申し分なかったにもかかわらず異論が聞かれたのは、通算出場試合数が468、フルシーズン換算で6年にも満たなかったからである。

 名門UCLA時代も大学最高のセンターとして3度の年間最優秀選手に輝き、74年のドラフト1位でブレイザーズに入団したが、1年目から足の故障などで47試合を欠場。それでも77年は平均14.4リバウンド、3.2ブロックと両部門で1位となったほか、身長211cmの巨体に似合わぬパスセンスも披露。ファイナルでは平均18.5点、19.0リバウンドで球団初優勝の原動力となり、ファイナルMVPを手にした。

 翌78年もレギュラーシーズンのMVPに選ばれたが、プレーオフで再び足を故障すると、以後4年間のうち3年は1試合もコートに立てなかった。ボストン・セルティックス移籍後の86年にシックスマンとして復活を遂げ、優勝に貢献したものの、翌年にはわずか10試合の出場にとどまり、現役を退いた。
 【シックスマン】
ラルフ・サンプソン

1960年7月7日生。224cm・103kg
キャリアスタッツ:456試合、平均15.4点、8.8リバウンド、2.3アシスト
主な賞歴:新人王(84年)、オールNBA2ndチーム(85年)、オールスター選出(84〜87年)、オールスターMVP(85年)

 ケガで短命に終わったドラフト1位センターは、ウォルトンだけではない。ヤオ・ミン、グレッグ・オーデン、そして83年の1位指名でヒューストン・ロケッツに入団したサンプソンもその1人だ。

 身長224cmの超ビッグサイズでありながら機敏な動きで、バージニア大学時代から将来のスーパースター間違いなしと評判を取った逸材。ロケッツでも平均21.0点、11.1リバウンドで新人王に選ばれると、3年目には1年後輩のアキーム・オラジュワンとツインタワーを形成し、ファイナル進出を果たした。

 だが、このシーズン中、リバウンドに跳んだ際に仰向けに倒れて背中を負傷。その傷をかばってプレーしているうちに、今度はヒザを悪くして、急速に成績が下降していく。88−89シーズン以降は平均10点にも届かないようになり、NBA生活は9年で終わった。

 故障前からすでに伸び悩みの傾向があったのは確かだが、それでもケガがなければ、これほどまでに短いキャリアとはならなかっただろう。

文●出野哲也

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