NBAの歴代“ベストジャーニーマンチーム”を選定!MVP経験者から優勝請負人、稀代の問題児まで多彩な顔ぶれに<DUNKSHOOT>

NBAの歴代“ベストジャーニーマンチーム”を選定!MVP経験者から優勝請負人、稀代の問題児まで多彩な顔ぶれに<DUNKSHOOT>

オールスターの実力がありながら多くの移籍を経験した選手たち。なかでもマローン(左)は異なる球団で2年連続MVPを受賞している。(C)Getty Images

間もなくFA市場が解禁するNBA。シーズン中のトレードも含め、選手の移籍が頻繁に起こるリーグでは、いつの時代も複数のチームを渡り歩く“ジャーニーマン”が存在する。

『THE DIGEST』の当シリーズでは、これまで様々なカテゴリー別にベスト5を選出してきたが、今回は各ポジションを代表する“ジャーニーマン”を紹介。「オールスター経験者&5球団以上在籍(30歳前に2回以上の移籍含)」を条件に、下記のメンバーを選定した。

【ポイントガード】
サム・キャセール

1969年11月18日生。191cm・84kg
キャリアスタッツ:993試合、平均15.7点、3.2リバウンド、6.0アシスト
キャリア年数・所属球団数: 15年・8球団

 今回、選考対象としたのは、最低5球団以上に在籍し、30歳前に2回以上移籍したオールスター経験者。PGでは7球団でプレーし、アシスト王になった1996−97シーズンも途中でトレードされたマーク・ジャクソンも捨て難いけれども、より多くの移籍を経験したキャセールの方がジャーニーマン濃度が高い。

 1993年にヒューストン・ロケッツに入団すると、控えながら強気のプレースタイルで1年目から優勝に貢献。翌年は連覇も達成した。しかし4年目の96−97シーズンはフェニックス・サンズへのトレードを皮切りに、ダラス・マーベリックス→ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツと、1年で3回もトレードされるたらい回し具合だった。

 同一球団に最も長く居たのはミルウォーキー・バックスの4年半。そのバックスからミネソタ・ティンバーウルブズへ移った2003−04シーズンは、自己最高の平均19.8点をあげてオールスターに選ばれた。キャリア15年で都合7度のトレードを経験、交換相手はチャールズ・バークレー、ジェイソン・キッド、ステフォン・マーブリーら大物揃いだったのが実力の証である。
 【シューティングガード】
ワールド・B・フリー

1953年12月9日生。188cm・84kg
キャリアスタッツ:886試合、平均20.3点、2.7リバウンド、3.7アシスト
キャリア年数・所属球団数: 13年・5球団

 今では語られることも少ないが、70〜80年代を代表するスコアラーにして、名前の通り自由奔放なキャラクターでも知られた名物男。本名はロイド・バーナード・フリーで、「世界レベルの選手」という意味を込めたニックネームを81年にオフィシャルとした。

 単なる変人ではなく、「空中王子」と呼ばれた跳躍力で華麗なダンクを決め、ロングシュートもためらいなく打ちまくって人気を博した。フィラデルフィア・セブンティシクサーズからサンディエゴ(現ロサンゼルス)・クリッパーズへ移籍した78−79シーズンは平均28.8点、翌年は30.2点で2年連続リーグ2位。同年はオールスターにも出場した。

 86年まで8年続けて平均20点以上をマークした一方で、攻撃のことしか考えていないセルフィッシュな選手との評判もついて回り、ひとつのチームに長くとどまることがなかった。最も長く在籍したシクサーズ、クリーブランド・キャバリアーズでも3年半が限度。13年間でのべ5球団を渡り歩き、30代半ばでNBAから去った。
 【スモールフォワード】
バーナード・キング

1956年12月4日生。201cm・93kg
キャリアスタッツ:874試合、平均22.5点、5.8リバウンド、3.3アシスト
キャリア年数・所属球団数: 14年・5球団

 ブルックリンの生まれで、ネッツに入団した1977−78シーズンに平均24.2点と高いスコアリング能力を発揮。しかしアルコール及び薬物使用の問題などがあって79年にユタ・ジャズへ、翌80年にはゴールデンステイト・ウォリアーズへトレードされる。82年にはオールスターに選出されながら、シーズン終了後にはニューヨーク・ニックスへのトレードが待っていた。

 それでも憧れのチームへ加入して奮起したか、84−85シーズンは平均32.9点をあげてリーグ得点王に。ヘッドコーチのヒュービー・ブラウンを「トリプルチームをかいくぐって得点できるのは、カリーム・アブドゥル・ジャバーとキングの2人だけだ」と唸らせた。

 ところが翌年はヒザを痛めて全休するなど、ケガの多さが難だった。87−88シーズンからはワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)へ移籍し、91年は3球団目&4度目のオールスター出場を果たすも、翌年はまたもヒザの故障で全休。最後は1年だけデビューチームのネッツでプレーした。
 【パワーフォワード】
ボブ・マッカドゥー

1951年9月25日生。206cm・95kg
キャリアスタッツ:852試合、平均22.1点、9.4リバウンド、2.3アシスト
キャリア年数・所属球団数: 14年・7球団

 1996年に「NBA最高の50人」が発表された際、MVP受賞者で唯一選出洩れになったのがマッカドゥー。原因は、それほどの栄誉を手にした者にしては、あまりに多くの球団を流浪したからかもしれない。

 72−73シーズンに入団したバッファロー・ブレーブス(現ロサンゼルス・クリッパーズ)で新人王に輝くと、74年からは3年連続得点王、平均34.5点を叩き出した75年にMVPを受賞。センター/PFとは思えないほど遠くからシュートを命中させる、ストレッチ・ビッグマンの先駆者のような存在だった。

 ところがニックスを経て、78−79シーズン途中にボストン・セルティックスへ放出されると、以後3年間で3球団を転々。文字通りのジャーニーマンとなって、80−81シーズンにはベンチ降格を拒否してデトロイト・ピストンズから解雇されるまで落ちぶれた。

 それでも81−82シーズンにロサンゼルス・レイカーズに加入すると、控えながらも往年の得点力を取り戻し、2度の優勝に貢献し名誉を回復。昨年発表された75周年記念チームには晴れて選出された。
 【センター】
モーゼス・マローン

1955年3月23日生(2015年9月13日没)。208cm・98kg
キャリアスタッツ:1329試合、平均20.6点、12.2リバウンド、1.4アシスト
キャリア年数・所属球団数: 19年・7球団

 4球団でオールスターに出たのは、シャキール・オニールとマローンの2人だけ。そして異なる2球団での連続MVP受賞はマローンただ1人という事実が、スーパースターでありながらジャーニーマンでもあった、特殊なキャリアを浮き彫りにしている。

 プロでの最初の2年はABAで過ごし、76−77シーズンにNBAのブレーブスに加わったと思ったら、2試合出ただけでロケッツへトレード。3年目の開幕直後には、早くも4つめのユニフォームを着ていた。

 6年過ごしたロケッツ時代に最強リバウンダーへ進化し、平均17.6本を奪った79年、そして平均31.1点を記録した82年にMVPを受賞。83年はシクサーズへ移籍し3度目のMVP、レイカーズをスウィープしたファイナルでもMVPに輝いた。

 シクサーズに4年いた後はブレッツとアトランタ・ホークスでオールスターに出場。選手生活の晩年にはベンチを温めることも多く、かつてリーグ最高の選手だったとは思えない侘しさを醸し出していた。
 【シックスマン】
メッタ・ワールドピース

1979年11月13日生。201cm・118kg
キャリアスタッツ:991試合、平均13.2点、4.5リバウンド、2.7アシスト
キャリア年数・所属球団数: 17年・6球団

 オールスターに選ばれるくらいの実力者がジャーニーマン化する原因は、協調性に欠ける変人か、もしくはチームに置いておけないくらいのトラブルメーカーである場合が多い。ワールドピースはその両方に当てはまっていた。

 本名はロン・アーテストで、3年目の途中にシカゴ・ブルズからインディアナ・ペイサーズへ移籍するとディフェンダーとして頭角を現わす。2003−04シーズンにはオールスター選出、最優秀守備選手賞にも選ばれたが、翌シーズンの11月19日に運命は暗転。“マリス・アット・ザ・パレス”(パレスの騒乱)として悪名高い、NBA史上最悪の観客を巻き込んだ大乱闘事件を引き起こし、プレーオフまで含めると86試合に及ぶ出場停止処分を食らったのだ。

 翌05−06シーズンの途中でサクラメント・キングスへ放出。その後ロケッツを経て移籍したレイカーズでは、10年のファイナル第7戦で優勝を決定的とする3ポイントを沈めた。11年にメッタ・ワールドピースへと改名、中国でプレーした14年はザ・パンダズ・フレンド、さらに現在はメッタ・サンディフォード・アーテストとたびたび名を変えている。

文●出野哲也

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