最初で最後だから美しい。武尊が語った那須川天心への想い「彼がいたから苦しかった。でも、だから僕は強さを維持した」

最初で最後だから美しい。武尊が語った那須川天心への想い「彼がいたから苦しかった。でも、だから僕は強さを維持した」

列島を沸かせた対戦で熱き想いをぶつけ合った那須川と武尊。そのマッチアップに当人は何を想ったのか。写真:徳原隆元

2022年6月19日は、日本格闘技界におけるレガシーが創られた日――。そういっても過言ではないだろう。なにせ、会場となった東京ドームには5万6399人の観客が詰めかけ、ライブ配信がされた『ABEMA』のPPVは驚きの50万人が購入。入場料収入だけでも20億円というコロナ禍で苦しんできたスポーツ界全体で見ても特筆すべきメガイベントとなった。

 その大トリを飾ったのが、那須川天心と武尊だった。RISEとK-1という看板を背負い、立ち技格闘技最高峰といえる両雄のマッチアップには列島が熱狂した。

 0-5という判定決着となった結果的にも、さらに1回にダウンを奪った内容的にも、勝者となった那須川の完勝と言える試合ではあった。だが、過去8年に渡って、RISEとK-1、さらに両陣営の間に生じたさまざまな問題をクリアし、ようやく実現したドラマチックな対決だったからこそ、敗者となった武尊にもスポットライトが当たる興味深い結末ともなった。

「団体は違いますけど、この5、6年の間、この試合が実現できなかったなかでいろんな溝が生まれた。最初は存在を恨んだ時期もあった。でも今回実現してやっとそう思えるのですが、天心選手がいたからここまで格闘家としてやってこられたと思います」
  武尊は、昨年12月に対戦が決定した会見の場で、そう語っていた。15年8月の「BLADE FC JAPAN CUP 2015 −55kgトーナメント」を制したリング上で那須川から“指名”されて以来、ずっと胸に秘めてきた想いだった。

「存在を恨んだ時期もあった」――。この言葉に嘘偽りはない。対決に向けた交渉を続けるなかで、武尊やその周囲にはSNS上で、想像を絶する誹謗中傷を含めたメッセージが飛んだ。ゆえに疑心暗鬼にもなった。

 誹謗中傷は、那須川が「プレッシャーも半端なかったと思う。表に立つ以上、そういうことを言われる覚悟はあるのは当たり前なんですけど、それ以上に感じるものってある」(今月20日の勝利者会見)と慮ったほどである。パニック障害とうつ病を患っていたという武尊が苦しんでいたのは想像に難くない。
  そんな重圧の中、超満員の東京ドームのメインマッチという檜舞台で拳をかわしたからこそ、ライバルへの想いはより強くなる。武尊は「天心選手はボクシングで活躍するだろうし、同じ格闘技界にいる間は仲良くはできない」としながらも、“キックボクシングの神童”に対する感情を赤裸々に語った。

「本当、天心選手がいたから……、いたからこそ、苦しかったこともあった。けど、彼がいなかったらこの年齢まで僕は格闘技をやれてない。どっかで満足してしまって、燃え尽きるかして、モチベーションを保つことができなかったと思う。約10年負けないで勝ち続けてこられたのも天心選手という存在がいたから。だからこそ、強さを維持できたと思う」

「ライバル」とは漢字で表現すると「好敵手」となる。辞書で意味を引けば、「戦うのに良い競争相手」だ。K-1のトップ戦線をかけ抜いてきた武尊にとって那須川は、まさにそんな存在なのだろう。

 7歳年下のライバルに武尊は、「なかなか簡単に言葉にはできない」と前置きをしたうえで、こうも表現している。
 「同じ時代に、この闘いの世界の中にいてくれて、本当に感謝しかない」

 再戦を願う声は小さくない。だが、再び拳を交わすことは、おそらくないだろう。それはボクシングへの転身を決めている那須川のキャリアもさることながら、武尊が「この試合をやる時に、『2回やる必要ない』と言いました。だからこそ意味がある」と決意している通りでもある。

 立ち技格闘技最高クラスの両雄による対決は、最初で最後だからこそ、美しいものだった。

取材・文●羽澄凜太郎(THE DIGEST編集部)

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