【名馬列伝】“日本競馬最強の2歳馬”の快進撃!グラスワンダーが見せつけた外国産馬のハイレベルな能力<前編>

【名馬列伝】“日本競馬最強の2歳馬”の快進撃!グラスワンダーが見せつけた外国産馬のハイレベルな能力<前編>

デビュー戦から圧巻の戦いぶりで日本競馬最強の2歳馬と称されたグラスワンダー。

1980年代の終盤から、バブル経済の盛り上がりに呼応するように、外国産馬の輸入ブームが起こった。日本の良血馬を買うよりも、輸入時の関税を払ってもなおハイレベルな外国産馬を買うほうに値頃感があったからだ。

 バブル景気は91年に弾けたが、海外で購買された馬のなかにはGⅠを制する馬も多数含まれていたため、海外のセリ市で購買、輸入するという流れは変わらず継続していった。

【動画】圧巻の強さ! グラスワンダーが6馬身差の圧勝を飾った97年朝日杯3歳ステークス
 その時期にGⅠレースを制した外国産馬を挙げてみる(一部、自家生産馬も含む)。

 リンドシェーバー、エルウェーウイン、シンコウラブリイ、ヒシアマゾン、ヤマニンパラダイス、ダンツシアトル、ヒシアケボノ、タイキフォーチュン、ファビラスラフイン、タイキシャトル、シンコウキング、シーキングザパール、タイキブリザート……。まさに絢爛たる顔ぶれである。

 1996年、米国のケンタッキー州キーンランドで行われたセリ市で1頭の牡馬が調教師、尾形允弘の目にとまった。父はシルヴァーホーク(Silver Hawk)というロベルト(Roberto)系の中堅種牡馬、母アメリフローラ(Ameriflora)は不出走だったものの、父に大種牡馬ダンツィヒ(Danzig)を持つことから繁殖入りしたもの。上場されたこの牡馬は血統、実績ともに未知数な部分が大きかったため、馬体の良さに比して高額にはならず、尾形の勧めを受けた半沢(有)社長の伊東純一は25万米㌦という手ごろな値段で落札できた。この栗毛馬が、大活躍して日本競馬に名を残すことになるグラスワンダーである。

 日本に到着してから北海道のノーザンファーム空港でトレーニングを受けたグラスワンダーは、1997年の4月に美浦トレーニング・センターの尾形厩舎へ入厩。デビューへ向けてさらに調教が積まれるが、その際に手綱を握った騎手の的場均は、乗り味の良さと、2歳とは思えない筋肉量の豊富さに驚嘆したと言われる。

 的場が感じ取った手応えは本物だった。9月にデビューしたグラスワンダーは周囲を驚かせるような快進撃をスタートする。
  デビューの新馬戦(中山・芝1800m)では2番手からノーステッキで抜け出して2着に3馬身差をつけて快勝すると、続くオープンのアイビーステークス(東京・芝1400m)でも鞍上の的場に軽く気合を付けられただけで後方から一気に6頭を抜き去ったばかりか、さらに末脚を伸ばして2着を5馬身も千切って連勝を飾った。
 
 3戦目には初の重賞挑戦となる京成杯3歳ステークス(現・2歳ステークス/GⅡ、東京・芝1400m)では単勝オッズ1.1倍という圧倒的な支持に応え、2番手からあっさり突き抜けて6馬身、タイムにすると1秒0もの差をつけて楽勝。関係者からは「次元が違う」「バケモノだ」と、その図抜けた強さに呆れるような声さえ聞こえた。

 そして本シーズンの締めくくりとして臨んだのが朝日杯3歳ステークス(現・フューチュリティステークス/GⅠ、中山・芝1600m)。ここも単勝1.4倍の1番人気に推されたグラスワンダーは中団からレースを進めると徐々に位置を押し上げ、直線で末脚を爆発させると2着のマイネルラヴに2馬身半の差を付けて優勝。同世代に敵なしの強さを誇示するように堂々とゴールを駆け抜けた。走破タイムの1分33秒6は従来の記録を0秒4更新するレースレコードだった。

 デビューから4戦4勝、そのいずれもが圧勝であったことから、本年度のJRA賞最優秀2歳牡馬に当然のごとく選出される。しかも、年度代表馬の部門でグラスワンダーに投票した記者が10名も出るという異例の事態さえ引き起こした。

 また、1970年代の中盤に8戦8勝の成績を残した持込馬(受胎した輸入牝馬から生まれた馬)にして伝説的名馬のマルゼンスキーとの比較も行われた。競走馬の評価を斤量で表す”クラシフィケーション”という手法では、マルゼンスキーの115ポンドに対して、グラスワンダーは116ポンドとされ、この時点での“日本競馬最強の2歳馬”と評価されたのである。

 当時はまだ外国産馬にクラシック競走が開放されておらず、翌春の目標をNHKマイルカップ(GⅠ、東京・芝1600m)とし、その結果次第では秋の海外遠征も視野に入れていると調教師の尾形が発表。的場も朝日杯のあと、「この馬にはまだ伸びしろが十分にある」と語っていたことから、ファンは期待に胸を躍らせた。
  しかし、好事魔多し。放牧休養を経てトレーニング・センターに戻ったグラスワンダーは調教で跛行する様子が見られ、最初の検査では異常が見当たらなかったものの、のちに再検査をした際に右後肢の骨折が判明。軽症ではあったが、春シーズンは全休することになり、療養のための長期休養に入った。
 
 怪我も癒えて、2歳チャンピオンが戦列に復帰したのは1998年10月の毎日王冠(GⅡ、東京・芝1800m)だった。そう、サイレンススズカ、エルコンドルパサー、グラスワンダーの3強が揃った“伝説”の毎日王冠である。

 レース前に注目が集まったのは、騎手の的場均が”お手馬”であるエルコンドルパサーとグラスワンダー、どちらに乗るのかという点だった。結果、悩んだ末にグラスワンダーを選んだことから、単勝人気はエルコンドルパサーを抑えて2番人気となった。

 レースは大逃げがお約束となっていたサイレンススズカのワンサイドゲームとなった。エルコンドルパサーが必死に追うが、2馬身半差まで迫るのが精一杯だった。

 そしてグラスワンダーはというと、終いの伸びが見られず、エルコンドルパサーからさらに6馬身ほど離された5着に終わり、初の敗戦を喫した。<前編・了>
※後編に続く

文●三好達彦
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