誰もが認めた天賦の才??“レインマン”ショーン・ケンプのキャリアはどこで狂ったか【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

誰もが認めた天賦の才??“レインマン”ショーン・ケンプのキャリアはどこで狂ったか【レジェンド列伝・前編】<DUNKSHOOT>

間違いなくスーパースターになれる逸材だったケンプ。しかし様々な理由で自らその可能性を手放してしまった。(C)Getty Images

■大学バスケ未経験でNBA入り。KG、コビー、レブロンの大先輩

 1995年のドラフト5位でミネソタ・ティンバーウルブズに入団したケビン・ガーネット以来、コビー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)、レブロン・ジェームズ(レイカーズ)、ドワイト・ハワード(無所属)ら、高卒でスターになった選手は何人もいる。そのはしりと言える存在なのがショーン・ケンプ。厳密には短大(コミュニティカレッジ)に在籍していたので高卒選手とは言えないが、組織的な大学のバスケットを経験していない点は同じだ。

 ケンプもKGやコビー、レブロンと同じように、全盛期にはNBAを代表するスーパースターとして大活躍し、人気者となった。だが彼らと違うのは、30歳を過ぎた頃にはすっかりその輝きを失い、二流選手に転落していた点だ。才能に関しては彼らと同格かそれ以上のものを持っていたにもかかわらず、慢心と嫉妬心、そして不摂生が重なって、名声を維持することができなかったのである。
  高校時代からNBAのスカウトたちの注目を集めていたケンプだが、さまざまなトラブルもつきまとった。まず、インディアナ州で育ちながら地元の名門インディアナ大ではなく、宿敵のケンタッキー大へ進学を決めたことで裏切り者扱いされた。次いでSAT (大学進学適性試験)の点数が低かったため、規定により1年時は試合に出場できず。その上、コーチの息子が所持していた貴金属を盗み、 罪にこそ問われなかったものの大学にいられなくなってしまったのだ。

 その後はテキサス州にある短大に籍を置いていたが、彼のあり余る才能をNBAが放っておくはずもなく、1989年のドラフト17位でシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)から指名される。 NCAAで活躍した有名大学の選手たちを差し置いて、海のものとも山のものともわからぬ18歳の選手を指名したことで、ソニックスのファンの中にはケンプにブーイングを浴びせる者もいた。

「NBAのレベルはテレビで見ているより10倍も凄かった」と話したケンプ。だが、ヘッドコーチのバーニー・ビッカースタッフが「プロの壁にまったく当たることのなかった新人は、私が知る限り彼だけだ」と感心するほど、NBAの水に早い段階で慣れた。
  1年目は1試合を除いてすべてベンチからの出場だったが、2年目以降はほぼスターターに定着し、毎年着実に成績を伸ばしていく。雨 (Rain) の街シアトルを支配 (Reign) する男という意味で、“レインマン”のニックネームもついた。

 ケンプの魅力は、その驚異的な跳躍力にあった。ジャンプした次の瞬間にリングに叩き込まれる、目にも止まらぬ速さのダンクは観客の興奮を呼んだ。その迫力がどれほど凄まじかったかは、毎年のようにオールスターのスラムダンク・コンテストに招待されたことでも窺い知れる(ただし1990年の次点が最高位で、優勝は一度もなかった)。

 ダンクのイメージが先行したが、「俺はパワープレーもできるし、アウトサイドのシュートだって打てる。そこらへんのビッグマンとは違うのさ」と豪語するだけの器用さも持っていた。

 頼りになるパートナーもできた。1年後にソニックスに入団してきたポイントガードのゲイリー・ペイトンである。ケンプとペイトンは息の合ったコンビプレーを展開し、ペイトンのパスを受けてのケンプの華麗なアリウープは、ソニックスの呼び物となった。もっとも、派手なプレーを試みてミスをしでかし「頼むから普通にシュートしてくれ」とコーチに叱責されることもしばしばあった。
  1993年にはオールスターにも出場し、7年2540万ドルの高額契約を手にした。翌1994年はオールNBA2ndチームに選出され、“ドリームチームU”のメンバーとして、世界選手権で金メダルも獲得した。

 それでもまだ、スーパースターと呼べるレベルには達していなかった。集中力を欠いたり感情的になったりする悪癖が抜け切らず、また無駄なファウルが多いために出場時間が限られ、成績的にも平均得点は20点になかなか届かず。ポテンシャルからすれば物足りないものだった。

 チームも同様で、ケンプやペイトン以外にもケンドール・ギル、デトレフ・シュレンプらオールスター級の選手たちを擁しながらも、プレーオフで勝ち上がれずにいた。1994年などはリーグ最高勝率を収めていたにもかかわらず、1回戦で第8シードのデンバー・ナゲッツに敗れる史上初の大番狂わせを喫する失態。翌1995年も同じく1回戦で敗退した。 ソニックスが一段上の階段を上るためにも、ケンプの心身両面での成長が切望されていた。(後編に続く)

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2009年5月号原稿に加筆・修正

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