実力はリーグ有数も、乱闘や罰金、出場停止は不可避? NBA歴代“トラブルメーカーチーム”を選定!<DUNKSHOOT>

実力はリーグ有数も、乱闘や罰金、出場停止は不可避? NBA歴代“トラブルメーカーチーム”を選定!<DUNKSHOOT>

問題児を地で行くロッドマン(左)、スプリーウェル(右上)、アーテスト(右下)ら、“最凶メンバー”が名を連ねた。(C)Getty Images

近年のNBAは品行方正で、トラブルとは無縁のクリーンな選手が増えている。もし何か問題を起こせば、情報はたちまちネット上に広まり“炎上”し、選手や所属するチームのイメージ低下を招くからだ。

 しかし、一昔前のNBAでは、コート内外で世間を騒がせた問題児が多くいた。『THE DIGEST』では、これまで様々なカテゴリー別にベスト5を選出してきたが、今回はトラブルメーカーのベストチームを紹介。相手チームを恐れさせ、コーチを悩まし、時にはチームメイトやファンにも被害を与える“最凶メンバー”は?
 【ポイントガード】
マイケル・レイ・リチャードソン

1955年4月11日生。196cm・86kg
NBAキャリア:1978~86
キャリアスタッツ:556試合、平均14.8点、5.5リバウンド、7.0アシスト、2.6スティール

 1970~80年代のNBAには、ドラッグでキャリアを台無しにした好選手が何人もいた。リチャードソンもその1人。78年のドラフト4位でニューヨーク・ニックスに入団し、2年目には平均10.1アシスト、3.2スティールの両部門で1位。得点力も高く、80年から3年連続でオールスターに出場した。

 ラリー・バードに「この星で最高の選手」と言われたほどだが、コカインに耽溺してニックスを追われ、矯正施設への入退所を繰り返す。ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツ在籍時の85年は3度目のスティール王となり、カムバック賞も受賞したが、翌86年に3度目の薬物違反によって永久追放処分。83年に厳格化された麻薬対策による、最初の処罰者となってしまった。

 その後もヨーロッパで46歳までプレーしたが、マイナーリーグのコーチ時代にもユダヤ人への差別発言で処分されている。ロッカールームに装填された拳銃を持ち込み、50試合出場停止を食らったギルバート・アリーナスも相当なものだった。

【シューティングガード】
ラトレル・スプリーウェル

1970年9月8日生。196cm・86kg
NBAキャリア:1992~2005
キャリアスタッツ:913試合、平均18.3点、4.1リバウンド、4.0アシスト
 
 制裁決定時点で最長となる、1年間の出場停止を科された選手である。92年にゴールデンステイト・ウォリアーズに入団、2年目は平均21.0点、2.2スティールでとオールNBA1stチーム&オールディフェンシブ2ndチームにも選出された。

 だが、とげとげしい性格が災いし、スター選手のティム・ハーダウェイやドン・ネルソンHCとの確執が発生。そして97年12月、ネルソンの後任HCだったPJ・カーリシモに練習中叱責されてブチ切れ、コーチの首を絞める蛮行に至る。これにより冒頭に記した厳罰を下されたが、その後68試合に減刑された。

 もちろんウォリアーズに居場所はなく、スターの座からも転落したかに思えたが、ニックスに拾われると99年のプレーオフで大活躍。第8シードのチームをファイナルまで導き、華麗な復活を遂げた。しかしながら2002年にはケンカで手を負傷したままトレーニングキャンプに現われ、報告義務を怠ったとの理由で25万ドルの罰金を科されるなど、トラブルとは縁が切れなかった。【スモールフォワード】
メッタ・サンディフォード・アーテスト

1979年11月13日生。201cm・117kg
NBAキャリア:1999~2014、15~17
キャリアスタッツ:991試合、平均13.2点、4.5リバウンド、2.7アシスト
 
 04年に最優秀守備選手賞に輝いた好ディフェンダーである以上に、NBA史上最悪の乱闘劇の主犯として永遠に語り継がれるだろう。事件が発生したのは、改名前のロン・アーテストでプレーしていたインディアナ・ペイサーズ時代の04年11月19日、デトロイトでのピストンズ戦。

 自らのハードファウルが大乱闘に発展しただけでなく、観客に飲み物をかけられて激怒。観客席に飛び込み、件の人物とは別のファンを殴るなど大暴れした結果は、シーズン終了までの73試合+ポストシーズン全試合の出場停止だった。

 同シーズンのペイサーズはプレーオフで13試合を戦ったため、合計では86試合でスプリーウェルの試合数を超えた。その後も07年にはDVで7試合、メッタ・ワールドピースへ改名後の12年にもジェームズ・ハーデンへのエルボーで7試合の出場停止になっている。大の嫌われ者で、ライバルリーグのABAへ移籍したトラブルも起こしたリック・バリーでも、タチの悪さはこの超問題児の比ではない。
 【パワーフォワード】
デニス・ロッドマン

1961年5月13日生。201cm・95kg
NBAキャリア:1986~2000
キャリアスタッツ:911試合、平均7.3点、13.1リバウンド、1.8アシスト

 PFは気性の荒い選手が多いが、チャールズ・バークレー、ラシード・ウォーレスといった暴れん坊でも、この筋金入りのトラブルメーカーには太刀打ちできまい。ドラフト2巡目でピストンズに入団したのは25歳の時という遅咲き。

 身長201cmながらシュートの角度を研究しつくしたリバウンド術で、92年から7年連続リバウンド王、90・91年に2年続けて最優秀守備選手賞に選ばれるなど、傑出したディフェンダーだった。だがサンアントニオ・スパーズへ移籍した93年頃から奇行が目立ち始める。

 真面目なチームカラーのスパーズに馴染むはずもなく、数々の罰金や出場停止処分を科されたあげく、95-96シーズンにシカゴ・ブルズへトレードされた。ブルズでは3連覇に大きく貢献、唯一無二のキャラクターがウケて世界的な人気を得た一方、カメラマンを蹴っ飛ばし11試合の出場停止になるなど、騒動も絶えなかった。引退後も北朝鮮の金正恩と交友するなど、常人とはかけ離れた人生を歩んでいる。【センター】
ロイ・タープリー

1964年11月28日生。211cm・104kg
NBAキャリア:1986~91、94-95
キャリアスタッツ:280試合、平均12.6点、10.0リバウンド、1.0アシスト

“バッドボーイズ”時代のピストンズで悪名高かったビル・レインビアは、嫌われ者ではあってもチームと揉め事を起こすことは少なかった。その点、タープリーは本物の問題児だった。86年のドラフト7位でダラス・マーベリックスに入団、1年目はオールルーキー1st チーム入り。

 機動力のあるPF/センターとして、2年目はリーグ3位の959リバウンド(平均11.8本)を奪いシックスマン賞を受賞するなど順調だった。だがその後は飲酒運転での逮捕、薬物使用での出場停止などを繰り返し、90-91シーズンに永久追放処分を科される。

 マイナーリーグやギリシャを経て、94-95シーズンに処分を解除されNBAへ戻ったが、翌年には更生プログラムに違反し再度の追放。ヨーロッパなどで40歳過ぎまで現役を続けたのち、15年に50歳で死去した。マブズ時代の同僚で、アイザイア・トーマスの親友だったマーク・アグワイアは「俺が一緒にプレーした中で一番才能があったのはタープリー」と語っている。
 【シックスマン】
ヴァーノン・マックスウェル

1965年9月12日生。193cm・82kg
NBAキャリア:1988~2001
キャリアスタッツ:855試合、平均12.8点、2.6リバウンド、3.4アシスト

“マッド・マックス”の異名通り、プレースタイルも気性の面でも、一旦火が付いたら止められなかった。オールスター出場経験こそないが、6年連続で平均13点以上をあげた実績もあり、この名誉だとは言い難いチームに加わる資格はあるだろう。

 89-90シーズン途中にスパーズからヒューストン・ロケッツへ移籍し先発に定着。ロングシュートを思い切りよく放ち、91年は172本、92年は162本の3ポイントを沈め2年連続1位。94年のファイナル第7戦では21得点の活躍で優勝に貢献したが、続く95年は2月に野次に激高、観客席に殴り込み10試合の出場停止+罰金2万ドルを科されると、5月にはプレーオフ初戦後勝手にチームを離れ、ロケッツに絶縁される。

 さらに8月には、信号無視で警察に止められた車の中からマリファナが見つかるなど、トラブル続きの1年になった。現在はゴルファーに転身したJR・スミスも、06年に乱闘で10試合、09年は死亡事故につながる危険運転で7試合出場停止と、2度の重罰を科されたお騒がせ男だった。

文●出野哲也
 

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