【名馬列伝】京都に咲き、京都に散ったライスシャワー。宿敵の三冠を阻んだ菊花賞はいかなるレースだったのか?<前編>

【名馬列伝】京都に咲き、京都に散ったライスシャワー。宿敵の三冠を阻んだ菊花賞はいかなるレースだったのか?<前編>

1992年の菊花賞を制したライスシャワー。ミホノブルボンの無敗での三冠制覇を阻止した。写真:産経新聞社

京都競馬場にはひとつのブロンズ像と、ひとつの石碑がある。

 前者は、戦後初の三冠馬となったシンザン。後者は京都で三つのGⅠレースを制し、そして命を落とした稀代のステイヤー、ライスシャワーを悼んだ石碑である。

 その悲劇的な死は、競馬ファンの胸にいまも抜けない棘のように刺さり続け、石碑を訪れて手を合わせる者は後を絶たない。

 京都に咲き、京都で散ったライスシャワーの生涯をいま一度、振り返ってみる。

 ライスシャワーは1989年3月、北海道・登別のユートピア牧場で生を受けた。

【動画】最後の直線で差し切ったライスシャワー! ミホノブルボンの三冠制覇を阻んだ1992年菊花賞 ユートピア牧場は、戦前から”クリ”の冠号で知られた馬主の栗林友二によって買収され、後には息子の栗林英雄に引き継がれた名門牧場である。

 ライスシャワーの血統をみると、母系は豪州から輸入されたアイリッシュアイズに端を発する、栗林が大切に育ててきたライン。祖母クリカツラに、ニジンスキー(Nijinsky)直仔の持込馬で、9戦9勝の圧倒的な成績を残して種牡馬入りしたマルゼンスキーを付けてできたのが、ライスシャワーの母となるライラックポイントである。

 父のリアルシャダイは大種牡馬ロベルト(Roberto)の仔で、将来的に日本で種牡馬にすることを前提に社台グループの創始者である吉田善哉が米国のセリで購買した馬。フランスで現役生活を送り、G2レースを勝ち、フランス・ダービー(GⅠ)2着という成績を残し、予定どおりに日本で種牡馬入りした。

 初年度から桜花賞馬シャダイカグラを出したことから人気は上昇。ライスシャワーはリアルシャダイの3世代目の産駒だった。

 バランスのいい馬体ながら小柄で、大物感はなかったという2歳のライスシャワーは1991年8月の新潟で新馬戦(芝1000m)に出走。3番手から抜け出して勝利を収めるが、続く新潟3歳ステークス(GⅢ、芝1200m/現・2歳ステークス)は後方のまま11着に惨敗する。競馬が中央場所に戻り、中山の芙蓉ステークス(OP、芝1600m)では4コーナーで先頭に立つ積極的なレースを仕掛け、接戦をクビ差で制して2勝目を挙げた。

 その後、軽度の骨折が判明して休養に入ったライスシャワーは、復帰戦となった翌春のスプリングステークス(GⅡ、中山・芝1800m)を4着、皐月賞(GⅠ、中山・芝2000m)を8着と、いずれもミホノブルボンに大差を付けられて大敗。そして続くNHK杯(GⅡ、東京・芝2000m)でも8着に惨敗したことから、すっかり評価を落としてしまった。
  迎えた日本ダービー(GⅠ、東京・芝2400m)。ミホノブルボンが単勝オッズ2.3倍の1番人気に推された一方、ライスシャワーは出走18頭中16番人気でオッズは114.1倍、つまりは単勝万馬券というほどの超人気薄だった。

 しかし手綱をとる主戦騎手の的場均は、最終追い切りでこれまでにないほどの手応えの良さを感じ取り、「ミホノブルボンに前々で付いていって、どこまで粘れるか勝負してみよう」と決意を固めていた。
  デビューから最少体重の430㎏までギリギリに体を絞り込んで臨んだ一戦。ゲートが開き、予想どおりにミホノブルボンが先頭を奪うと、ライスシャワーは積極的にその後ろを追走し、第1コーナーを2番手で回った。レースはミホノブルボンのペースで進み、後続もスパート態勢に入りながら馬群は直線へ向いた。

 だが、ミホノブルボンが自分のペースを守ったまま後ろの馬たちにみるみる差を付けて独走状態になり、先団の馬は次々に末脚を失って下がっていく。そのなかで2番手で粘りに粘っていたのがライスシャワーで、後方から一気に伸びてきたマヤノペトリュースをハナ差抑えて2着を死守。優勝したミホノブルボンはその4馬身先にいた。

 的場はこの結果を受けて、
「普通はマヤノペトリュースに差されて3着になるものだが、それを抑えて粘り切ったのがライスシャワーの非凡さを表している。どこまでできるかは分からないが、菊花賞でミホノブルボンになんとか立ち向かいたい」
 と、密かに決意を固めていたという。

 夏をユートピア牧場の分場である千葉県の大東牧場で過ごしたライスシャワーは7月にトレセンへと帰厩。順調に調教が積まれた。

 初戦のセントライト記念(GⅡ、中山・芝2200m)で勝ったレガシーワールドのアタマ差2着とすると、続く京都新聞杯(GⅡ、京都・芝2200m)では、3度目の対決となるミホノブルボンに敗れて2着となったが、着差はこれまでで最少の1馬身半にまで迫っていた。

「ライスに3000mは向くが、ブルボンには向かないはず。きっといい勝負になる」
 的場は三冠目の菊花賞(GⅠ、京都・芝3000m)に大きな可能性を抱いたのだった。
  菊花賞の盛り上がりは異様だった。なにしろミホノブルボンには史上2頭目となる“無敗での三冠制覇”という偉業がかかっており、そのシーンをひと目見たいと競馬場には10万人を超す観衆が押し寄せ、舞台裏では三冠を祝福するセレモニーの準備までされていたのである。

 ただミホノブルボン陣営にも不安があった。出走するキョウエイボーガン陣営が「逃げ宣言」をぶち上げたからである。
  ミホノブルボンはスプリングステークス以降、ずっと逃げる競馬ばかりをしているため、先頭に立てないとカカって追いかける可能性があるからだ。

 逆に的場にとって、これは朗報だった。ミホノブルボンが道中カカってスタミナをロスして少しでも末脚が鈍れば、ライスがそれを負かせる可能性が高くなると考えたからだ。

 レースは的場が頭のなかに描いた“理想的な展開”になった。キョウエイボーガンがしゃかりきに先頭を奪うと、ミホノブルボンが2番手を進んだが、鞍上の小島貞弘騎手は行きたがる馬を押さえるのに苦心していた。その様子を目前に、ライスシャワーは5番手の好位置を進んでいた。

 動きが起こったのは最終コーナーの手前。逃げバテたキョウエイボーガンを交わしてミホノブルボンが先頭に立つが、道中を力んで走った分、末脚にいつもの力感がない。そして、そこへ襲い掛かったのがライスシャワーだった。まるで獲物を目の前にした猛獣のような鋭さでミホノブルボンに迫り、それを交わすと、1馬身1/4の差を付けて念願のGⅠ制覇を果たした。走破タイムの3分05秒0は当時のJRAレコードだった。

 しかし観衆はざわめくばかりで、一向に勝者を称える声や拍手は聞こえてこない。聞こえるのはミホノブルボンの三冠制覇が阻止されたために吐き出される溜息ばかり。まるで盛り上がりに水を差したことを責めるような雰囲気さえ場内に漂った。

 レース後、ライスシャワーは有難くないニックネームを背負わされることになる。

 それは「ヒール(悪役)」である。
(文中敬称略/前編・了)

文●三好達彦
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