【名馬列伝】ついに満場の祝福を受けたライスシャワー、しかし―― 最後の2走に刻まれた「勝利と死」のコントラスト<後編>

【名馬列伝】ついに満場の祝福を受けたライスシャワー、しかし―― 最後の2走に刻まれた「勝利と死」のコントラスト<後編>

天皇賞・春3連覇を目指したメジロマックイーン(右)を、ライスシャワー(中央)は最後の直線で一気にかわしGⅠ2勝目を挙げた。写真:産経新聞社

菊花賞でミホノブルボンを破り、待望のGⅠ制覇を成し遂げたライスシャワー。その後は有馬記念(GⅠ、中山・芝2500m)を8着として3歳のシーズンを終えた。

 翌93年、春の目標を天皇賞・春(GⅠ、京都・芝3200m)に据えたライスシャワーは、短い休養を経て、2月の目黒記念(GⅡ、東京・芝2500m)で始動。ハンデ戦であることから出走12頭中、もっとも重い59㎏の斤量を背負わされたが、途中から3番手へと押し上げて先行すると、終いもまずまずの伸びを見せて、斤量58㎏のマチカネタンホイザに2馬身半差の2着とした。レースを叩かれながら調子を上げて、最高潮の状態になると「気」で走るという傾向が分かってきた陣営にとって、これはシーズン初戦としては悪くない結果だと捉えた。

【動画】ライスシャワーがメジロマックイーンを鮮やかに差し切る! 93年天皇賞・春をチェック 大一番の前、さらに気合を乗せたいという思惑もあり、陣営は3月の日経賞(GⅡ、中山・芝2500m)をステップレースに選ぶ。すると単勝オッズ1.8倍の1番人気に推されたライスシャワーは道中2番手から進み、最終コーナーで先頭に立つとぐいぐいと脚を伸ばし、2着に2馬身半の差を付けて快勝。最高の結果を残して、順調に“大一番”へ向けて駒を進めた。

 ライスシャワーの行く先には“現役最強馬”の誉れも高い、中長距離の絶対王者が待ち受けていた。GⅠレース3勝のメジロマックイーンがその馬である。

 3歳春のクラシックには縁がなかったが、夏になって遅咲きの実力が一気に開花。重賞初挑戦で菊花賞を制すると、ライバルのメジロライアン、ホワイトストーンとの争いと見られた1991年の天皇賞・春を圧勝。最強ステイヤーの座を確たるものとすると、トウカイテイオーとの初対決で空前の盛り上がりを見せた翌年にも優勝を果たし、史上初となる天皇賞・春の二連覇を達成し、コンビを組んでいる武豊の人気も手伝って、アイドル的な支持を集めるようになっていた。

 ただしメジロマックイーンも、その後は必ずしも順調とは言えなかった。92年の天皇賞・春を制したのち、宝塚記念(GⅡ、阪神・芝2200m)を目指す調教過程で骨折が判明。秋シーズンを全休し、約1年間を療養にあてることになった。

 それでも復帰戦の大阪杯(GⅡ、阪神・芝2000m)ではナイスネイチャに5馬身差を付けて楽勝。能力の衰えがないところを見せ、天皇賞・春3連覇という快挙に向けてファンの期待を煽った。
  大阪杯でのメジロマックイーンを目にしたライスシャワー陣営は、その強さにあらためてショックを受ける。そして、通り一遍の稽古では王者は倒せないと悟り、愛馬を限界近くまで追い込むような厳しいトレーニングを課していく。その鬼気迫る様子は、記者たちを心配させるほどだった。

 そしてライスシャワーもスタッフの気迫を感じ取ってか、レースに向かって日々、テンションを上げていく。

 的場は当時のライスシャワーを「馬房に近付くのも怖くなるような迫力で、心身ともにぎりぎりまで研ぎ澄まされていた」と評している。

 レース当日、威風堂々と落ち着き払ったメジロマックイーンに対して、デビュー以来の最少体重である430㎏にまで絞り込まれたライスシャワーは、その小柄な体から周囲を威圧するようなオーラを発し、目には狂気の色さえ滲ませていた。
  単勝オッズは、メジロマックイーンが1.6倍で圧倒的な1番人気に推され、ライスシャワーは5.2倍と離された2番人気に甘んじてスタートを迎えた。

 前年の有馬記念を逃げ切ったメジロパーマーがハナに立つと、メジロマックイーンは3~4番手の好位置を取り、ライスシャワーはそれを目前に見られる5~6番手を追走。緩みなくレースは流れ、馬群はペースを上げながら最終コーナーを回る。

 直線へ向くと、バテたメジロパーマーを交わして、メジロマックイーンが難なく先頭に躍り出る。しかしその後ろにはスナイパーの影が迫っていた。ゴーサインを受けたライスシャワーは弾けるように末脚を爆発させると、メジロマックイーンに抵抗する暇を与えず一気に抜き去り、2馬身半もの差を付けてゴールへ飛び込んだ。走破タイムの3分17秒1はJRAレコードだった。

 しかしレース後に競馬場を覆った空気は、前年の菊花賞のそれと似ていた。多くのファンはメジロマックイーンの3連覇が阻止されたことに落胆し、ライスシャワーの勝利を祝福する声は極めて少なかった。

 彼はまたも「ヒール(悪役)」の看板を背負わされたのだった。 その後、ライスシャワーは長いトンネルに迷い込む。同年の秋から順調さを欠いて、故障のため翌94年の天皇賞・春への出走も叶わず、1995年の日経賞までほぼ1年、勝ち星に見放された。

 ミホノブルボンは菊花賞のあとの故障で復帰は叶わず、メジロマックイーンもすでにターフを去って種牡馬入りしていた。
  誰もがライスシャワーもこれまでかと思うなかで迎えたのが2年ぶりの出走となる天皇賞・春。彼は乾坤一擲の走りを見せる。

 前哨戦の阪神大賞典(GⅡ、阪神・芝3000m)を勝った三冠馬ナリタブライアンが故障で出走を回避したため、本命不在と言われるなか、4番人気となったライスシャワーは中団を追走。スローな流れでレースは進むが、ここで手綱をとる的場は掟破りの積極策で勝負に出る。第3コーナーの手前から愛馬を押し上げて一気に先頭を奪うロングスパートを仕掛けたのだ。

 虚を突かれた他馬を尻目に、ライスシャワーは懸命にゴールへ向かって疾駆する。そこへ後続が一気に殺到し、その中から大外を回って脚を伸ばしたステージチャンプがぐんぐんと差を詰め、内外に分かれてライスシャワーとほぼ同時にゴール。長い写真判定を経て、電光掲示板の1着に上がった馬番は「3」、ライスシャワーがハナ差で勝利をつかみ取っていた。その差は10㎝ほどだったという。

 この日、三度目のGⅠ制覇、古豪と呼ばれる7歳にしてライスシャワーは初めて満場の拍手と祝福の声援を浴びた。ようやく「ヒール」の看板を下ろした瞬間だった。

 天皇賞・春での感動的な復活劇を受けてファン投票で1位となったライスシャワーは、阪神・淡路大震災の影響で従来の阪神競馬場から彼の得意とする京都競馬場で行われることになった宝塚記念への出走に踏み切る。

 そこで悲劇は起こった。

 第3コーナーすぎに自らハミをとって進出を開始したところで突然前のめりになると、そのあと崩れ落ちるように転倒し、騎手の的場は馬場へ投げ出された。誰の目にもライスシャワーがただならぬ災厄に襲われたことを悟った。

 左前肢に脱臼や粉砕骨折という治療が困難な重傷を負ったライスシャワーは、事故現場に急遽張られた幕の向こうで安楽死の処置がとられた。

 センチメンタリズムに陥って、過剰に評価を高めることは戒めるべきだろう。だが、それを分かったうえでもなお、ライスシャワーが最後の2走で刻み付けた「勝利と死」というコントラストは、その極端さゆえに、当時を生きた競馬ファンの記憶から消し去ることが難しいものとなっていった。
(文中敬称略/後編・了)

文●三好達彦
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