【名馬列伝】“鬼才”田原成貴とマヤノトップガンが織り成した2つの伝説! 三冠馬とのマッチレースと三強対決<後編>
2022年08月15日 06時43分THE DIGEST

97年の天皇賞・春で三強対決を制したマヤノトップガン。今でも語り草となる伝説のレースだ。写真:産経新聞社
古馬になったマヤノトップガンには、二つのレジェンダリーなレースがあった。
それは4歳初戦の阪神大賞典(GⅡ、阪神・芝3000m)と、結果的に現役最後のレースとなった5歳時の天皇賞・春(GⅠ、京都・芝3200m)である。
3歳にしてJRA賞の年度代表馬に輝いたマヤノトップガンは冬季を休養に充て、1996年3月の阪神大賞典から再スタートを切る。これが想像もしないかたちで壮絶なレースとなった。
【動画】ナリタブライアンとの一騎打ち! 天皇賞・春の三強対決をチェック
このレースに出走したGⅠウィナーは2頭。マヤノトップガンと、股関節炎による休養から復帰して以降は不調をかこっていたとはいえ、三冠馬の威光がまだかろうじて残っていた1994年の年度代表馬ナリタブライアンという、同じブライアンズタイムを父に持つ2頭のみであった。
有馬記念で頂点に立ったマヤノトップガンはファンの厚い支持を受けて単勝オッズ2.0倍で1番人気に推される。
片やナリタブライアンは、主戦騎手の南井克巳が骨折で騎乗できなくなっており、武豊が初めて手綱をとることが決まって、ファンの注目度がグンと上昇。マヤノトップガンの後塵を拝したものの、単勝オッズ2.1倍の2番人気になった。
ちなみに3番人気となったハギノリアルキングの単勝オッズの9.2倍という数字を見れば、いかに上位の2頭に注目と支持が集まっていたかが分かるだろう。つまり、マヤノトップガンとナリタブライアンによる“雌雄を決する対決”が期待されていたのである。
土曜日に行われるGⅡ戦にもかかわらず、阪神競馬場にはGⅠ並みの約6万人ものファンが集まり、仁川は戦前から熱い空気に包まれていた。
レースはスティールキャストの逃げで始まり、マヤノトップガンは4番手、ナリタブライアンを直前に見る5~6番手を追走。両馬はともに相手を意識しながらレースを進めていく。
ペースは最初の1000mが63秒0というスローになり、各馬はいつスパートに入るかを計りながら、動くに動けない状態へと追い込まれていく。
そうした緩い流れに終止符を打たんと仕掛けて出たのはマヤノトップガン。2周目の第3コーナーから外を通って位置を上げ、じわりと先頭に立つ。するとナリタブライアンもその動きに呼応するようにマヤノトップガンを追走。最終コーナーを2頭は馬体を併せて先頭で回り、ここから500mにわたる長い長い“マッチレース”がスタートする。
熱狂するファンの声援のなか、マヤノトップガンが先に出るが、ナリタブライアンも離れずに食いついていく。“鬼才”田原成貴と“天才”武豊の技術と頭脳のすべてが投入された両馬の激烈な競り合いは最後まで続き、2頭はピタリと馬体を併せたままゴール。ちなみに3着のルイボスゴールドは、そこから9馬身(タイム差1秒5)も後ろにいた。
写真判定の末、軍配はアタマ差でナリタブライアンに上がったが、リプレイ映像を見ると、まさにゴールの瞬間の「頭の上げ下げ」で決していたことが分かる、まさに激闘という呼び名にふさわしいレースだった。
そしてナリタブライアンにとっては、これが現役最後の勝利になった。
その後、マヤノトップガンは天皇賞・春では上がり馬サクラローレルの5着に敗れたものの、やや出走馬のレベルが落ちた続く宝塚記念(GⅠ、阪神・芝2200m)は力の違いを見せて圧勝し、三つ目のGⅠタイトルを手に入れた。
しかし秋シーズンは、天皇賞・秋こそバブルガムフェローの2着としたものの、その前のオールカマー(GⅡ、中山・芝2200m)が4着、連覇をかけて臨んだ有馬記念がサクラローレルの7着と、いまひとつ冴えが見られないまま幕を閉じた。
5歳となった1997年も阪神大賞典からスタートを切ったマヤノトップガンは、59㎏という酷量を背負ってのレースとなった。
単勝オッズ1.9倍という圧倒的な支持を受けるなか、次走に予定している天皇賞・春に向けて、鞍上の田原は後方待機という大胆な策に打って出る。するとマヤノトップガンは第3コーナーから先団との差を詰めて“馬なり”で先頭に立つと、2着のビッグシンボルに3馬身半の差を付けて圧勝した。
なぜ田原はこういう思い切った策を試したのか。
それは前年の天皇賞・春と有馬記念二度までも苦杯を飲まされたサクラローレルを負かすためには、マヤノトップガンをこれまでの先行・抜け出しという真っ正直な競馬では何かが足りないと感じていたから。つまり、相棒が秘めている能力を新たに掘り起こすためだったのである。
迎えた天皇賞・春。人気はサクラローレル、マヤノトップガン、そしてめきめきと力を付けてきたマーベラスサンデーの順となり、“三強対決”という図式でレースは始まった。
ゲートが開くと、サクラローレルは中団の8番手を進み、マーベラスサンデーはその直後の10番手付近をキープ。対するマヤノトップガンは、スタート直後は掛かり気味になって3~4番手まで上がろうとしたが、田原がインコースへ導いて前に他馬をおくと落ち着きを取り戻して11~12番手あたりを折り合って進んだ。前走で試した後方待機から終い勝負の手に出た。
動きが出たのは2周目の向正面。サクラローレルがこらえきれない様子で外から位置を上げていくと、その後ろからマーベラスサンデーも連れて上がっていく。しかしマヤノトップガンは急がず騒がず、内ラチ沿いで息を潜めて逆転のスイッチを入れる瞬間を待っていた。
そして迎えた直線。バテた逃げ・先行馬を交わしてサクラローレルとマーベラスサンデーが抜け出して激しい競り合いを繰り広げる。この2頭の競馬になるのか、と多くのファンは思った。
しかし、4コーナーの手前から馬群の外へ持ち出したマヤノトップガンがいよいよ進撃を開始。すると、これまでとはまったく違った末脚の爆発力を発揮し、前の2頭まで7~8馬身差はあったであろう差をあっという間に詰め、勢いの違いでサクラローレルとマーベラスサンデーを悠々と差し切った。走破タイムの3分14秒4は、従来の記録を一気に2秒7も更新する大レコード。前年のリベンジを果たすとともに、自身4つ目のGⅠタイトルを獲得した。
マヤノトップガンから新たな魅力を引き出した田原はレース後のインタビューでこう語っている。
「これまで3つもGⅠを勝っているのに、フロックだとか、たまたまだとか、いろいろな言い方をされて悔しい思いをしてきた。だけど、きょうの競馬を見てもらえれば、みんなが強い馬だと納得してくれたと思う。これまでトップガンを支持してくれていたファンの方たちにお礼を言いたい」
その後、ジャパンカップ(GⅠ、東京・芝2400m)を目指すと発表されていたマヤノトップガンだったが、秋シーズンが開幕する直前、左前肢に浅屈腱炎を発症していることが判明。現役を引退して翌春から種牡馬入り。2015年からは功労馬として余生を送っていたが、2019年の11月、老衰で死亡した。27歳だった。
ダートの1200m戦から出発した3歳時のハードなローテーションに鍛えられながら、遅咲きのタレントを開花させたマヤノトップガン。それは類稀なる異能のジョッキー、田原成貴の絵になる騎乗ぶりとともに、オールドファンの記憶にいまも深く刻み込まれている。
(文中敬称略/後編・了)
文●三好達彦
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それは4歳初戦の阪神大賞典(GⅡ、阪神・芝3000m)と、結果的に現役最後のレースとなった5歳時の天皇賞・春(GⅠ、京都・芝3200m)である。
3歳にしてJRA賞の年度代表馬に輝いたマヤノトップガンは冬季を休養に充て、1996年3月の阪神大賞典から再スタートを切る。これが想像もしないかたちで壮絶なレースとなった。
【動画】ナリタブライアンとの一騎打ち! 天皇賞・春の三強対決をチェック
このレースに出走したGⅠウィナーは2頭。マヤノトップガンと、股関節炎による休養から復帰して以降は不調をかこっていたとはいえ、三冠馬の威光がまだかろうじて残っていた1994年の年度代表馬ナリタブライアンという、同じブライアンズタイムを父に持つ2頭のみであった。
有馬記念で頂点に立ったマヤノトップガンはファンの厚い支持を受けて単勝オッズ2.0倍で1番人気に推される。
片やナリタブライアンは、主戦騎手の南井克巳が骨折で騎乗できなくなっており、武豊が初めて手綱をとることが決まって、ファンの注目度がグンと上昇。マヤノトップガンの後塵を拝したものの、単勝オッズ2.1倍の2番人気になった。
ちなみに3番人気となったハギノリアルキングの単勝オッズの9.2倍という数字を見れば、いかに上位の2頭に注目と支持が集まっていたかが分かるだろう。つまり、マヤノトップガンとナリタブライアンによる“雌雄を決する対決”が期待されていたのである。
土曜日に行われるGⅡ戦にもかかわらず、阪神競馬場にはGⅠ並みの約6万人ものファンが集まり、仁川は戦前から熱い空気に包まれていた。
レースはスティールキャストの逃げで始まり、マヤノトップガンは4番手、ナリタブライアンを直前に見る5~6番手を追走。両馬はともに相手を意識しながらレースを進めていく。
ペースは最初の1000mが63秒0というスローになり、各馬はいつスパートに入るかを計りながら、動くに動けない状態へと追い込まれていく。
そうした緩い流れに終止符を打たんと仕掛けて出たのはマヤノトップガン。2周目の第3コーナーから外を通って位置を上げ、じわりと先頭に立つ。するとナリタブライアンもその動きに呼応するようにマヤノトップガンを追走。最終コーナーを2頭は馬体を併せて先頭で回り、ここから500mにわたる長い長い“マッチレース”がスタートする。
熱狂するファンの声援のなか、マヤノトップガンが先に出るが、ナリタブライアンも離れずに食いついていく。“鬼才”田原成貴と“天才”武豊の技術と頭脳のすべてが投入された両馬の激烈な競り合いは最後まで続き、2頭はピタリと馬体を併せたままゴール。ちなみに3着のルイボスゴールドは、そこから9馬身(タイム差1秒5)も後ろにいた。
写真判定の末、軍配はアタマ差でナリタブライアンに上がったが、リプレイ映像を見ると、まさにゴールの瞬間の「頭の上げ下げ」で決していたことが分かる、まさに激闘という呼び名にふさわしいレースだった。
そしてナリタブライアンにとっては、これが現役最後の勝利になった。
その後、マヤノトップガンは天皇賞・春では上がり馬サクラローレルの5着に敗れたものの、やや出走馬のレベルが落ちた続く宝塚記念(GⅠ、阪神・芝2200m)は力の違いを見せて圧勝し、三つ目のGⅠタイトルを手に入れた。
しかし秋シーズンは、天皇賞・秋こそバブルガムフェローの2着としたものの、その前のオールカマー(GⅡ、中山・芝2200m)が4着、連覇をかけて臨んだ有馬記念がサクラローレルの7着と、いまひとつ冴えが見られないまま幕を閉じた。
5歳となった1997年も阪神大賞典からスタートを切ったマヤノトップガンは、59㎏という酷量を背負ってのレースとなった。
単勝オッズ1.9倍という圧倒的な支持を受けるなか、次走に予定している天皇賞・春に向けて、鞍上の田原は後方待機という大胆な策に打って出る。するとマヤノトップガンは第3コーナーから先団との差を詰めて“馬なり”で先頭に立つと、2着のビッグシンボルに3馬身半の差を付けて圧勝した。
なぜ田原はこういう思い切った策を試したのか。
それは前年の天皇賞・春と有馬記念二度までも苦杯を飲まされたサクラローレルを負かすためには、マヤノトップガンをこれまでの先行・抜け出しという真っ正直な競馬では何かが足りないと感じていたから。つまり、相棒が秘めている能力を新たに掘り起こすためだったのである。
迎えた天皇賞・春。人気はサクラローレル、マヤノトップガン、そしてめきめきと力を付けてきたマーベラスサンデーの順となり、“三強対決”という図式でレースは始まった。
ゲートが開くと、サクラローレルは中団の8番手を進み、マーベラスサンデーはその直後の10番手付近をキープ。対するマヤノトップガンは、スタート直後は掛かり気味になって3~4番手まで上がろうとしたが、田原がインコースへ導いて前に他馬をおくと落ち着きを取り戻して11~12番手あたりを折り合って進んだ。前走で試した後方待機から終い勝負の手に出た。
動きが出たのは2周目の向正面。サクラローレルがこらえきれない様子で外から位置を上げていくと、その後ろからマーベラスサンデーも連れて上がっていく。しかしマヤノトップガンは急がず騒がず、内ラチ沿いで息を潜めて逆転のスイッチを入れる瞬間を待っていた。
そして迎えた直線。バテた逃げ・先行馬を交わしてサクラローレルとマーベラスサンデーが抜け出して激しい競り合いを繰り広げる。この2頭の競馬になるのか、と多くのファンは思った。
しかし、4コーナーの手前から馬群の外へ持ち出したマヤノトップガンがいよいよ進撃を開始。すると、これまでとはまったく違った末脚の爆発力を発揮し、前の2頭まで7~8馬身差はあったであろう差をあっという間に詰め、勢いの違いでサクラローレルとマーベラスサンデーを悠々と差し切った。走破タイムの3分14秒4は、従来の記録を一気に2秒7も更新する大レコード。前年のリベンジを果たすとともに、自身4つ目のGⅠタイトルを獲得した。
マヤノトップガンから新たな魅力を引き出した田原はレース後のインタビューでこう語っている。
「これまで3つもGⅠを勝っているのに、フロックだとか、たまたまだとか、いろいろな言い方をされて悔しい思いをしてきた。だけど、きょうの競馬を見てもらえれば、みんなが強い馬だと納得してくれたと思う。これまでトップガンを支持してくれていたファンの方たちにお礼を言いたい」
その後、ジャパンカップ(GⅠ、東京・芝2400m)を目指すと発表されていたマヤノトップガンだったが、秋シーズンが開幕する直前、左前肢に浅屈腱炎を発症していることが判明。現役を引退して翌春から種牡馬入り。2015年からは功労馬として余生を送っていたが、2019年の11月、老衰で死亡した。27歳だった。
ダートの1200m戦から出発した3歳時のハードなローテーションに鍛えられながら、遅咲きのタレントを開花させたマヤノトップガン。それは類稀なる異能のジョッキー、田原成貴の絵になる騎乗ぶりとともに、オールドファンの記憶にいまも深く刻み込まれている。
(文中敬称略/後編・了)
文●三好達彦
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