本人の願いも虚しくカリーを強行指名したウォリアーズと“本気度”の差で“大魚”を逃したニックス【NBA秘話・後編】<DUNKSHOOT>

本人の願いも虚しくカリーを強行指名したウォリアーズと“本気度”の差で“大魚”を逃したニックス【NBA秘話・後編】<DUNKSHOOT>

ドラフトは父デルの意に反する結果となったが、これが吉と出る。ウォリアーズ入団後、ステフィンは今季までに優勝4回、MVP2回を手にし、スターに成長した。 (C) Getty Images

■カリー本人の願いも虚しく、ウォリアーズが指名を強行

 2009年のNBAドラフトはニューヨークのマディソンスクエア・ガーデン内にあるザ・シアターで開催された。選手たちは本番2日前にニューヨーク入りし、日中はメディアへの対応や各種イベントに時間を費やした。ドラフトには16人の選手が招待され、2日間ほとんど一緒に過ごしたそうだ。

 現在ホークスの球団社長兼GMを務めるトラビス・シュレンクは、当時ウォリアーズのアシスタントGMの職にあった。その彼が、2018年6月に放送された『KNBR680』局のラジオ番組で、ドラフト当日の裏話を暴露している。

「カリーの代理人は、カリーがウォリアーズのひとつ後、8位のニックスに入ることを強く望んでいた。(指名の)準備をしていた時、カリーのエージェンシーの誰かが、『お願いだからステフを取らないで』というテキスト(携帯のショートメッセージ)を送ってきたんだ。私は発信者に、『すまないが、彼は私たちが獲得しようとしている選手だ』って返信したよ」。

 さらに、当時のウォリアーズGM、ラリー・ライリーは2014年12月に掲載された『ニューヨーク・タイムズ』の記事で、ドラフト直前に持ち上がったサンズとのトレード交渉について語っている。トレードの目玉選手は、契約最終年を迎えようとしていたサンズのオールスター・フォワード、アマレ・スタッダマイアー。交渉相手は当時のサンズGM、スティーブ・カーだった。
  カリーに惚れ込んでいたカーは、35歳と現役終盤を迎えていたスティーブ・ナッシュの後釜にカリーを迎え入れたいと考え、7位指名権の入手を画策する。スタッダマイアーと、ウォリアーズのドラフト7位指名権+3選手をトレードするという案で最終調整に入るも、あまりにギリギリの交渉だったため、手続きが完全に終了しないままドラフト当日を迎えた。サンズ側はトレードが成立したものと受け止めていたが、ドラフト本番で指名権の変更がなされなかったことは周知の通り。

 サンズは最後まで諦めなかった。ドラフトの翌日、カリー親子と代理人のジェフ・オースティンがウォリアーズとの共同記者会見に出席するためオークランドに向かっていたところ、サンフランシスコ空港でサンズから電話が入り、「トレードは成立しているのに、ウォリアーズがそれを承認しようとしない。だから記者会見には出ないでほしい」と告げられたそうだ。

 サンズでカリーを獲得する夢は叶わなかったカーだったが、翌10年にサンズのGM職を退いた後、HC未経験ながら2014年からウォリアーズの指揮官に大抜擢され、カリーとともに黄金期を築くことになる。

 一方のスタッダマイアーは、翌10年にニックスと5年1億ドルという超大型契約を結ぶも、ヒザの古傷や不注意による手のケガなどに加え、プレーの衰えも著しく、見る見る間に不良債権と化していった。それぞれ単なる巡り合わせの妙に過ぎないのだろうが、世の中皮肉なものである。
 ■獲得への“本気度”の差で“大魚”を逃したニックス

 悲願のカリー獲得に向けて、ニックスのドニー・ウォルシュGMは水面下で動いてはみたものの、なかなか思い通りには行かなかった。一方で、6位指名権を持ち、“スパニッシュ・センセーション”ことリッキー・ルビオの獲得を目論んでいたウルブズは、より可能性を高めるためドラフト前日にウィザーズとの間でトレードをまとめ上げ、5位指名権も確保している。

 その事例からも、ウォルシュが5位指名権や、それより前の順位をトレードで獲得することは、決して不可能ではなかったはずだ。そうすれば、カリーは間違いなくニックスのものになっていた。

 ウォルシュにとって、カリーの代理人オースティンは頼みの綱だった。オースティンの回想によると、ウォルシュはカリーが5位か6位でウルブズにさらわれることを警戒していたという。その理由は、7位のウォリアーズには、ガードの若手有望株にモンタ・エリスがいたから、あえてカリーを加える必要はないだろうというもの。
  対してオースティンが警戒していたのはウォリアーズだった。実際、カリーのプレーを大層気に入っていたネルソンHCは、エリスとカリーの超攻撃型バックコートコンビを構想していた。

 オースティンはウォルシュに、カリーをニックスに入団させるため、あらゆる手を尽くすと約束した。当時ウォリアーズに取った厳しい対応を、オースティンは後に告白している。

「ライリーが電話をかけてきて、カリーのワークアウトを見学できないか尋ねてきたが、私の返事は『いや、できない』だった。すると彼は、カリーと話せないか尋ねてきたが、私は『ダメだ、できない』と答え、続けてこう告げた。『ステフィンはニューヨークに行くことを望んでいる。彼から離れてくれ』。それでもライリーは、『カリーを獲得するつもりだ』と言い続けていた。説得のしようがなかったよ」。

 オースティンはその他にも、2位グリズリーズと3位サンダーから要請されたカリーとのワークアウトも拒否している。
  迎えた運命のドラフト本番、ウォリアーズは7位でカリーを指名。目の前で獲物をさらわれた8位のニックスは、セカンドオプションだったアリゾナ大のパワーフォワード、ジョーダン・ヒルを獲得した。ヒルはニックスで24試合プレーした後、トレイシー・マッグレディー絡みの三角トレードでロケッツに移籍している。

『YouTube』にアップされている2009年ドラフトの中継映像を改めて観てみた。7位ウォリアーズの指名発表の際、デイビッド・スターンNBAコミッショナーがカリーの名前を読み上げた途端、地元ニューヨークのファンで埋まった会場はブーイングに包まれ、頭を抱えたり、両手を広げて不満をアピールするニックスファンの悲痛な姿が映し出されていた。

 カリー親子同様、彼らもカリーのニックス入りを渇望していたことが窺い知れる。続いて8位ニックスの指名選手としてヒルの名前が発表されると、今度は違った意味の、本当のブーイングが巻き起こった。どうやらニックスフロント陣より、ファンの方が選手を見る目があったようだ。
  1975年、ニックスへの移籍を切望していた地元出身のスーパースターをみすみす取り逃し、その選手はレイカーズと契約を結んだ。それ以降、レイカーズは17回のファイナル進出と、11回の優勝を遂げている。

 2009年、ニックスへの入団を熱望していた未来のスーパースターを獲得できず、その選手はウォリアーズの一員となった。それ以降、ウォリアーズは今季も含め6度のファイナル進出と、4度の優勝を果たした。

 そして渦中のニックスは、1973年に2度目の優勝を達成してからというもの、2度ファイナルに駒を進めただけで、丸50年間優勝から遠ざかっている。

■2009年NBAドラフトの上位指名選手
Pick 選手名(ポジション) 指名チーム/出身校/NBAキャリア
1 ブレイク・グリフィン(PF) クリッパーズ/オクラホマ大/2010-
2 ハシーム・サビート(C) グリズリーズ/コネティカット大/2009-14
3 ジェームズ・ハーデン(SG) サンダー/アリゾナ州大/2009-
4 タイリーク・エバンス(SG) キングス/メンフィス大/2009-19
5 リッキー・ルビオ(PG) ウルブズ/(スペイン)/ 2011-
6 ジョニー・フリン(PG) ウルブズ/シラキュース大/2009-12
7 ステフィン・カリー(PG) ウォリアーズ/デイビッドソン大/2009-
8 ジョーダン・ヒル(PF) ニックス/アリゾナ大/2009-17
9 デマー・デローザン(SG) ラプターズ/サザンカリフォルニア大/2009-
10 ブランドン・ジェニングス(PG) バックス/オークヒル・アカデミー高/2009-18

文●大井成義
※『ダンクシュート』2022年8月号掲載原稿に加筆・修正。
 

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