「強く勝ち切れる新しい自分自身に」もう一度オリンピックの舞台を目指すマラソン・服部勇馬の挑戦とそれを支える食習慣
2023年02月01日 12時00分THE DIGEST
今回登場するのは東京五輪男子マラソン代表で、今年のニューイヤー駅伝7区で区間賞を獲得した服部勇馬選手。
高校時代からトップレベルで活躍して、東洋大では箱根駅伝2区で2年連続の区間賞。トヨタ自動車に入社後はマラソンに本格挑戦して、世界と戦っている。長期にわたり第一線で活躍してきた経緯、その土台となる食への意識、今後の夢などを聞いた。
■陸上競技との出会いと駅伝の楽しさ
──長距離走を始めたきっかけを教えてください。
元々サッカーをやっていたんですけど、中学にサッカー部がなくて、親の勧めで陸上部に入ったことがきっかけです。でも駅伝を初めて走ったのは小学5年生のときで、駅伝大会に出場する別の学校のメンバーに体調不良者が出たので、その助っ人でした。
──弟・弾馬さんと全国中学駅伝の出場を目指されていたそうですね。
中学は全中駅伝が一番の目標でした。それは達成できなかったんですけど、駅伝の楽しさは中学時代に感じましたね。
──当時はどんなトレーニングをされていたんですか?
中学時代の恩師は全中チャンピオンを多数育てた方だったので、当時としては結構厳しかったと思います。そのなかでも楽しく競技をすることができました。
■親元を離れて仙台育英高に進学
──中学卒業後は新潟を離れて、宮城・仙台育英高に進学しました。どんな思い出がありますか?
親元を離れての寮生活で、その大変さがありましたね。特に1年生のときは、高校生活に慣れるのに苦労したんです。
──2年時には弟・弾馬選手が入学しました。
弾馬は僕のような思いはしてないと思うんですけど、僕も弾馬が来てくれたおかげで、寂しさを紛らわすことができました。
──高校時代で最も思い出に残っているレースは何ですか?
3年時の全国高校駅伝です。1区で大ブレーキをしてしまったのが強く印象に残っています。ただ、振り返ってみるとそれ以上に家族と離れて生活することが一番の苦労でした。本当に心細かったなと思います。
■東洋大に進学して、学生駅伝で大活躍
──高校卒業後は東洋大に進学されました。どんな環境でしたか?
大学は強い先輩方がたくさんいて、上には上がいるんだなと感じましたね。高校生のときから箱根駅伝を走ることが大きな目標でした。とにかく「箱根を走りたい!」という思いが強かったので、1年時から出場できてうれしかったのを覚えています。
──2年時には花の2区を任されて区間3位。チームは総合優勝に輝きました。
1年時に箱根を走るという目標を達成できたので、2年時は主要区間で活躍したいという思いがありました。
そういう意味では自分がエース区間を走って、優勝できたのはうれしかったです。当時のチームは2学年上の設楽兄弟(啓太、悠太)がエースでした。ふたりの活躍があっての優勝だったので、次は自分が引っ張っていくんだという気持ちが芽生えました。
──その決意があって4年時は全日本大学駅伝でチームを初優勝に導きました。今度は服部兄弟が大活躍しての栄冠でした。
4年時の全日本は学生時代で一番印象に残っている駅伝です。僕はあまり状態が良くなかったんですけど、総合力で勝てた。東洋大のテーマである「その1秒をけずりだせ」というレースを体現できたと思います。
──大学時代はマラソンにも挑戦しました。どんな4年間でしたか?
入学時は「箱根駅伝に出たい」という思いでしたが、卒業するときには「世界の舞台で戦いたい」という気持ちが生まれました。酒井俊幸監督を始め、東洋大というチームが僕に新たな目標を与えてくれたのだと思います。大学在学中にまさか自分がマラソンを走るとは思っていませんでしたが、大学時代の色々な経験のおかげで本当に成長を実感できた4年間でした。
■マラソンとオリンピック
──大学2年時の2月に熊日30キロロードレースで1時間28分52秒の学生記録を樹立しました。
このときは、「マラソンも全然走れるじゃん」と思ってしまっていましたね(笑)。
箱根駅伝とマラソンは距離が倍近く違うことをしっかり意識しつつ、僕の武器である箱根駅伝やトラックで鍛えたスピードをうまく生かして走りたいなとイメージしていました。
──本格的にマラソン挑戦を決めたのはいつですか?
熊日30キロロードレースを走った後、マラソンにチャレンジしたいなと思いました。
やっぱりマラソンをやるなら目標はオリンピックしかない。そこからはオリンピックへの出場を明確に意識するようになりました。
──4年時は2月の東京で初マラソンに挑戦して、2時間11分46秒の12位(日本人4位)。35㎞過ぎから日本人トップを独走しながら、終盤失速しました。振り返っていかがですか?
いま振り返ってみると、当時の自分の練習では、あの結果は仕方ないと思います。本気でリオ五輪を狙っていたので、もの凄く悔しかったんですが、マラソンの厳しさや自分に足りないものを感じることができたので結果的に良かったと思っています。
■トヨタ自動車に入社して取り組みに変化
──トヨタ自動車に入社して、マラソンに本格参戦することになりました。どんな取り組みをされたんですか?
1年目は佐藤(敏信/現・総監督)さんに、「ゆっくりでいいから120分とか150分とか、長い時間を走るように」とよく言われていたんです。でも、僕は時間を意識して走ることが苦手だったので、素直に練習に取り組めなかった部分がありました。
レースでも結果が出なくて、2年目には大きな故障をしてしまいました。それをきっかけに自分のやり方に固執せず、佐藤さんの言葉にきちん向き合って信じて練習をやり始めたら、課題だった終盤の失速がなくなってきたんです。
──2018年12月の福岡国際マラソンは2時間7分27秒の自己ベストで優勝しました。振り返って、どのように感じていますか?
過去3回のマラソンは終盤の失速が課題でしたが、練習の成果もあって終盤の走りを自分の長所にできるようになったレースだと思います。この優勝があって自分の走り方に自信がついて、それがMGCにもつながりました。
──日本中の注目を浴びた2019年9月のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で2位に入り、東京五輪代表をゲットしました。
僕の中でMGCは人生をかけて臨んだレースでした。だからこそ代表が内定したときは本当にうれしかったですね。でも東京五輪に出れると決まったからには、MGC以上の取り組みをやらなきゃいけない。本番に向けて相当な集中力が必要になってくるなとも感じていました。
■東京五輪代表の喜びと重圧
──東京五輪はコロナ禍で1年延期して、マラソンコースも札幌に移転しました。穏やかではない日々が続いたと思います。
代表に内定して、レースまで約2年間ありました。ずっとコンディションを保たなければいけないという思いがすごく強かったんですけど、本番が近づくにつれて調子がどんどん落ちていってしまいました。周囲のケガや故障のニュースにも敏感になっていて、ネガティブな思考に陥っていたのかなと思います。
──夢だったオリンピックのスタートラインに立ったときは、どんなお気持ちだったんですか?
ようやく終わるんだな、と。スタートラインに立てた喜びと、やっと解放されるんだという思いがありました。すごく清々しい思いだった記憶があります。
──ただ本番は「重い熱中症」に陥り、厳しいレースになりました。振り返っていかがですか?
レース中は本当に何度も何度もやめたいと思いました。それでも最後まで走り切れたのは、自分自身が本気で目指してきた舞台だったからです。
終わってから、「途中棄権で良かったんじゃないか」と多くの方に言っていただきました。散々な結果ではありましたが、僕自身は記録として残せて良かったと思っています。
■食生活について
──小学生から駅伝に参加されてきましたが、ご実家ではどのような食生活だったんですか?
中学で成績がでるようになってからは母が試合の前日はうどんなど、消化のいいメニューを準備してくれました。一方で、プロテインやサプリメントを中学生が摂取することを疑問視していたので、当時は食事から栄養をしっかり摂取していました。
──アスリートとして食生活で意識していることはありますか?
大学からは管理栄養士の方が食事面でサポートしてくれているので、出されたものをしっかり食べるように意識しています。大学・社会人では血液検査も毎月実施しているので、その結果に応じて、足りないものはサプリメントで補うようにしています。
──現在29歳ですが、競技生活を続けるなかで食事面の変化はありましたか?
食生活は昔と今で変えているところはほとんどありません。ただ、睡眠は最低7時間、確保するようにしています。
──海外遠征や大会中などの食事や栄養管理はどのようにされているのでしょうか?
海外合宿については、チームの管理栄養士が帯同してくださるので、普段とあまり変わない食事を食べれています。
レースのときは自分で管理しなくてはいけないので、電子レンジで温めるご飯など自分で用意できるものを持参しています。逆に国内にいるときでも、ポイント練習の日をパン食にすることで、海外遠征時に対応できるように考えた食事をしています。
──昨年8月にはご結婚されました。食生活の変化はありますか?
食生活には大きな変化はないんですけど、これまで一切やってこなかった料理を自分でもするようになりました。僕が作ったものを一緒に食べてくれます。
■きのこについて
──食材としてのきのこの印象を教えてください。
茶碗蒸しに入っているきのこが好きですね。冬は鍋をすることも多いので、えのき、しめじもよく食べています。あと夏にバーベキューをしたときにエリンギを焼いて食べたのが美味しくて好きになりました。
──ご自身で作るきのこを使った料理があれば教えてください。
この前、しめじを入れた豚キムチを作りました。
──きのこは低カロリーで栄養価の高い食材で、腸内環境を改善する働きも報告されています。腸の状態、腸活について意識したことはありますか?
試合前に便通が良くないと、コンディションが悪いなと感じますし、お腹を下しているときは走れません。長距離ランナーは胃腸炎には絶対なってはいけないので、腸のコンディションは日々、意識していますね。きのこが腸内環境に良いと知ったのでこれからは積極的に摂取したいと思います。
■これからの目標
──「新しい服部勇馬」をテーマにされているそうですが、今後の目標を教えてください。
新しく自分自身を作っていくという意味でも、強い選手というか、勝ち切れる選手を目指しています。それに付け加えて、速さのある選手になりたいと思っています。目標は日本記録(2時間4分56秒)の更新です。
それとオリンピックの舞台にもう一度立ちたい。悔しい思いでは終わりたくないので、自分自身が納得するかたちで終わりたいと思っています。
──次のマラソンはどこになりそうですか?
2月末から3月初旬のレースを目指してトレーニングをしています。大阪か東京になるでしょう。記録を狙うなら東京ですけど、状態次第ですね。いずれにしても、確実にMGC出場権をつかみたいと思っています。
──いつまで競技を続けたいですか?
故障をしているときは、引退したいと考えたこともありましたが、「自分がどこまでやるのか」をまだ深く考えたことはありません。
これまでは東京五輪に向かって取り組んできたので、今後は目標タイムを目指して走ることがモチベーションのひとつです。海外の選手は2時間3分、2分が当たり前になっているので、そこに少しでも追いつきたいです。
──最後にスポーツを頑張っているジュニアアスリートへアドバイスをお願いいたします。
僕自身がジュニア時代に意識していたのは、素直になんでも吸収しようということでした。まずは親や指導者の言うことしっかり聞いて、素直に実践してほしいですね。
あと、自分のためだけに競技を続けていくことには限界があります。応援してくれる誰かのために頑張る。その気持ちが大きなエネルギーになると思います。

写真提供:TOYOTA
服部勇馬(はっとりゆうま)
1993年11月13日生まれ、新潟県中魚沼郡中里村(現・十日町市)出身
東洋大学卒、トヨタ自動車所属
東京五輪の男子マラソン日本代表。宮城・仙台育英高校時代から世代トップクラスの選手として活躍。大学時代は箱根駅伝に4年連続出場して、花の2区で2度の区間賞に輝いた。トヨタ自動車入社後はマラソンに本格参戦。2018年12月の福岡国際マラソンで日本歴代8位(当時)の2時間7分27秒で14年ぶりとなる日本人優勝を果たした。現在はマラソンの日本記録更新とパリ五輪を目指して活動している。
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