2011年のマブズ優勝戦士が明かす当時の“意外な難敵”「あの年のポストシーズンで最も層が厚かったのは…」<DUNKSHOOT>

2011年のマブズ優勝戦士が明かす当時の“意外な難敵”「あの年のポストシーズンで最も層が厚かったのは…」<DUNKSHOOT>

2011年にマブズの初優勝に貢献したマリオンが、自身のシュートフォームや当時の思い出話を語った。(C)Getty Images

2000年代を中心にNBAで計16シーズンをプレーしたショーン・マリオンは、持ち前の身体能力を生かしたアクロバティックな動きから“マトリックス”と称され、ディフェンスでは複数のポジションをガードするなどオールラウンダーとして活躍した。そんな万能フォワードが先日、ポッドキャストで自身の特徴的なシュートフォームやリーグ優勝を果たした2011年当時の思い出話を明かした。

 201cm・100kgの体躯に加え、抜群のバネを誇ったマリオンは、シーズンの得点&リバウンドのアベレージで2桁を記録する平均ダブルダブルを通算4度達成し、オールスター選出4回、オールNBAチームにも2回選ばれた実績を持つ。

 豪快なダンクや強烈なブロックショットなどでファンを沸かせた一方、独特なシュートフォームの持ち主としても有名。両腕を胸の手前でセットしてコンパクトなフォームから繰り出すシュートは、“NBA史上最もユニークなシュートフォームのひとつ”とも評されている。

 今年のオールスターウィークエンド期間中に『Clutch Points』のポッドキャストに出演したマリオンは、自身のシュートフォームについてこのように話していた。
 「私はみんなのようにシュートしないし、私と同じようにシュートする選手もいない。ステフ・カリーやクレイ・トンプソンのスプラッシュ・ブラザーズだって、ほかの誰とも違う形でシュートしている。すごく面白いことだ。だからリスペクトすべきなのさ」

 マリオンは1163試合に出場したキャリアを通じて、3ポイント成功率33.1%(通算791本成功)と、決して一流のシューターではなかったものの、そのシュートフォームのせいで選手として評価を落としたわけではない。特にキャリア最初の8年半を過ごしたフェニックス・サンズでは、平均18.4点、10.0リバウンド、2.0アシスト、1.89スティール、1.35ブロックと多方面で活躍した。

 サンズ退団後はマイアミ・ヒートとトロント・ラプターズを経て、2009年オフに4チーム間トレードでダラス・マーベリックスへ移籍。11年にはダーク・ノビツキーやジェイソン・キッド、ジェイソン・テリー、タイソン・チャンドラーらと主軸を務め、球団初優勝に貢献した。 その年のプレーオフ、マブズは1回戦でポートランド・トレイルブレイザーズを4勝2敗で下すと、カンファレンス・セミファイナルで2連覇中の王者ロサンゼルス・レイカーズをスウィープ(4連勝)で撃破。カンファレンス・ファイナルでオクラホマシティ・サンダーを4勝1敗で破り、ファイナルではヒートを4勝2敗で倒して頂点に立った。

 当時、レイカーズにはコビー・ブライアントとパウ・ガソル、サンダーには若きケビン・デュラントとラッセル・ウエストブルックにジェームズ・ハーデン、ヒートにはレブロン・ジェームズやドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュといったスター選手が揃っていた。

 ところが、マリオンの口から“最も難敵だった”と飛び出たのは、意外にもブレイザーズだった。
 「レイカーズはディフェンディング・チャンピオンだった。OKC(サンダー)は翌年にファイナルへ行った。もちろん、レブロンも次の年にファイナルへ勝ち進んだ。でもみんなが理解していないのは、あの年のポストシーズンで最も層が厚かったのはポートランド・トレイルブレイザーズだったということだ。あのチームは本当に厚みがあった。その強敵を我々は倒したんだ。それが(優勝した)チームの雰囲気を作り出した。勝ち上がるために必要としていたことだったんだ」

 当時のブレイザーズはまだ現エースのデイミアン・リラードが入団する前。ラマーカス・オルドリッジを中心に、その周囲をジェラルド・ウォーレスやアンドレ・ミラー、ウェスリー・マシューズ、ニコラ・バトゥーム、マーカス・キャンビー、故障明けで元エースのブランドン・ロイらが支えていた。

 スターと呼べる選手はオルドリッジくらいだったものの、マリオンの言うように厚みがあり、曲者揃いの好チームだった。

 マブズがレイカーズをスウィープで下し、最終的に頂点まで辿り着けた要因は、1回戦で難敵ブレイザーズを下して、勢いに乗れたことが大きかったようだ。

文●秋山裕之(フリーライター)

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