24秒のショットクロックはいつ生まれた?驚愕のロースコアが続いて客が離れた黎明期の記録と記憶【NBA70年史|1946〜60年】

24秒のショットクロックはいつ生まれた?驚愕のロースコアが続いて客が離れた黎明期の記録と記憶【NBA70年史|1946〜60年】

銀行員のようなビジュアルと真逆のフィジカルなプレーで暴れ回ったマイカンは、黎明期のスター選手として活躍。(C)Getty Images

2010年代に終わりを告げ、これからNBAは新たなディケイド(10年)に突入する。その前に、73年の長い歴史を誇るリーグの歩みを、今一度時代ごとに振り返っておくべきではないだろうか。

 まずは試行錯誤を繰り返した1946〜60年の黎明期。NBAは46年にBAAとして創設され、その3年後に現在の名称に変更。当初からジョージ・マイカンを代表格にスタープレーヤーは存在したが、ゲーム自体は単調で、ファンが楽しめるエンターテインメントとは言い難かった。
 ■レイカーズが黄金時代を築くも、退屈な試合展開に客足は伸びず

 ジェームズ・ネイスミス博士がバスケットボールを考案したのが1891年。それから7年後には、早くも最初のプロリーグであるNBLが誕生した。しかしながら、プロバスケットボールが興行として成立するまでには時間がかかり、数多くのリーグが現われては短期間で消えていった。

 だが46年に創設されたBAAは、東部の大都市に本拠地を置き、しっかりした財政基盤(大半はプロホッケーチームのオーナーだった)に支えられ、やがて中西部の都市をフランチャイズとしていたNBL(前出のNBLとは別のリーグ)を吸収する。17球団が結集して49年に誕生したこの新リーグがNBAだった。

 BAA創設当初から参加し、現在も本拠地を変えずに残っているのは、ボストン・セルティックスとニューヨーク・ニックスの2チーム。当時はフィラデルフィアにフランチャイズを置いていたウォリアーズ(現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)も創設メンバーで、“ジャンピング・ジョー”ことジョー・ファルクスの活躍でBAAの初代王者となった。ミネアポリス・レイカーズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)やフォートウェイン・ピストンズ(現デトロイト・ピストンズ)、シラキュース・ナショナルズ(現フィラデルフィア・セブンティシクサーズ)などは、NBLから参加したチームである。

 当時最高のスーパースターだったジョージ・マイカンもNBL出身だった。それまでの鈍重な長身選手と違い、動けるビッグマンだったマイカンは、「ローポストでボールを持たせたら誰にも止められない」と言われ、銀行員のような見た目に似合わずフィジカルなプレーも得意としていた。その支配力を少しでも弱めるために、リーグはペイントゾーンの範囲を6フィートから12フィートに拡大したほど。彼の所属するレイカーズは、50年にNBA改称後の初代王者となると、以後5年間で4度頂点を極めるなど、50年代の強豪チームとして黄金時代を築き上げた。
  だがその頃のNBAは、誰もが楽しめるエンターテインメントにはほど遠かった。ショットクロックが存在しなかったため、一旦リードを奪ったチームはひたすらパスやドリブルで時間を引き伸ばし、両チームの得点が70点を下回るのは日常茶飯事。50年のピストンズ対レイカーズ戦では19−18と現在では考えられないようなスコアも見られた。

「第3クォーターになったら、観客はプログラムを眺める以外にすることがなくなった」(ボブ・クージー/元セルティックスほか)という状態では、客足が遠のくのは当たり前。年を追うごとに参加球団も少しずつ減っていき、55−56シーズンには合併当初の半数以下の8球団となってしまった。

 NBAが人気向上策として、54−55シーズンから導入したのが24秒のショットクロックだった。強制的に攻撃の機会を増やしたことで、平均得点はリーグ全体で14点近くも上昇。スピーディーでエキサイティングな試合が展開されるようになり、リーグ発展のきっかけとなった。
  56年を最後にマイカンが引退すると、入れ替わるようにビル・ラッセルがセルティックスに入団する。黒人で初めてのスター選手(それまでにも黒人選手は何人かいたが、トップクラスのスター級はいなかった。なおBBA/NBAで最初の非白人選手は、47年にニックスでプレーした日系人の三阪亙)となったラッセルは、得点力は高くなかったものの、リバウンドとブロックショットを得意とする最強ディフェンダーだった。ボールを観客席まで弾き飛ばして得意になっている凡庸なブロッカーとは異なり、ラッセルのブロックはボールがチームメイトの手に渡るように、あらかじめ計算されて放たれていたため、実質的なパスとして速攻の起点となっていた。

 この頼もしい守護神以外にも、名ドリブラーのクージー、フリースローの名手だったビル・シャーマンら優秀な選手たちを擁し、名将レッド・アワーバックが指揮を執ったセルティックスは、57年に初優勝。58年には当時最高のビッグマンの1人だったボブ・ペティット率いるセントルイス・ホークス(現アトランタ・ホークス)に敗れたものの、59年に覇権を取り返すと、60年代にNBA史上最長の王朝を築くことになる。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2016年11月号より転載

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