雪の秩父宮に響いた田中史朗の「声」。歴戦のベテランが見据える新天地キヤノンの意識改革

雪の秩父宮に響いた田中史朗の「声」。歴戦のベテランが見据える新天地キヤノンの意識改革

田中はひと際大きな声を張り上げてチームメイトに指示を飛ばした。写真:滝川敏之

鈍色の空から、間断なく雪が舞い落ちてくる。

 気温わずか1℃。秩父宮ラグビー場は、それ自体が大きな冷蔵庫のように冷え切っていた。「傘をさしての観戦はご遠慮ください」とのアナウンスがしきりに流れていたが、屋根がないバックスタンドでの観戦は、それこそ荒行に近かっただろう。

 悪天候のコンディションは、もちろんピッチ上の選手にも小さくない影響を及ぼした。

 1月18日のラグビートップリーグ第2節、三菱重工相模原ダイナボアーズ(三菱重工)対キヤノンイーグルス(キヤノン)。

 開幕戦で昨季王者の神戸製鋼コベルコスティーラーズに敗れていたキヤノンは、ここでなんとしても初勝利を手にしたかった。しかし、13シーズンぶりのトップリーグ昇格となった三菱重工に、予想以上の苦戦を強いられる。

「こうした難しいコンディションでは、スマートなラグビーはできない。セットピース、モール、そしてなによりキッキングゲームが重要になると思っていた」
  そう試合後に語ったのは、キヤノンのアリスター・クッツェーHCだが、特に前半に関しては、フィジカル勝負で後手に回った印象がある。今季、パナソニックからキヤノンに移籍してきた35歳のベテランSH、田中史朗もこう振り返っている。

「もっとテンポ良くいきたかったが、ブレイクダウンの部分で相手も上手く絡んできて、あまりいいボールが出せなかった」

 開始6分にPGで先制されると、14分のトライで一度は逆転するも、その6分後には日本代表のSO、田村優のキックをチャージされて再逆転を許すなど、なかなかペースを掴めない。30分に相手ゴール前の密集からWTBホセア・サウマキが持ち出してキヤノンが、35分にモールからの連続アタックで三菱重工が、それぞれトライを重ねる一進一退の攻防。前半は15−10と三菱重工がリードして折り返した。

 後半、停滞気味のキヤノンに流れをもたらしたのは、ベテランの「声」だったのかもしれない。

 サッカーのように絶え間なくチャントが歌われるわけでも、野球のように鳴り物が打ち鳴らされ続けるわけでもないトップリーグのスタジアムでは、試合中の選手たちの「声」がダイレクトに観客席にまで届く。秩父宮規模のスタジアムなら、なおさらだろう。
  そんななかでも、ひと際大きな声を張り上げていたのが、キヤノンの田中だった。

「前見ろ!」「下がれ!」「行くんだよ!」「起きろ!」

 ワールドカップ後のバラエティー番組で見せていた、あの穏やかな表情からは想像もつかないような怒声が、冷たい空気を切り裂く。そうして味方を叱咤し、さらにジャパンでもコンビを組んできた司令塔の田村と頻繁にコミュニケーションを取りながら、チームを軌道修正していったのだ。

 トップリーグ優勝5回を誇るパナソニックから、優勝経験はなく、この2シーズンは10位、12位と下位に低迷しているキヤノンへ移籍し、田中はチームメイトに物足りなさも感じていたようだ。

「パナソニックや日本代表では当たり前にやっていることができない。特に不足しているのがコミュニケーションで、自信がないからか、きちんとしゃべることもできない選手もいます。だから今は、嶋田(直人)、庭井(祐輔)の両キャプテンとも話しながら、若手に発言の機会を与えるようにしている。自分のプレーがどうこうより、チーム全体にこれまで培ってきた経験を落とし込むことを意識しています」

 チームの意識改革──。それが移籍1年目の田中が、みずからに課したテーマなのだろう。そんな想いが伝わる「声」だった。
  キャプテンの嶋田は、田中についてこう言う。

「試合中にチームを落ち着かせてくれる存在。『今は慌てるところじゃない』、『自分たちのラグビーをやろう』と、そんな言葉をかけてくれる。指示もシンプルで、とてもやりやすいですね」

 想いは、「声」だけではなく、もちろんプレーからもひしひしと伝わってきた。

 的確な状況判断による球出しはもちろん、相手ハーフ団への強烈なプレッシャー、そして小さな身体を投げ出すようなタックルでチームを鼓舞。オールブラックス経験もある三菱重工の巨漢LO、ジャクソン・ヘモポ(195p・112s)に恐れずぶつかり、跳ね飛ばされ、引きずられながらもその身体にしがみついていたシーンが、とりわけ印象に残る。
 「後半は自分たちのやりたいゲームができていた」(クッツェーHC)

 モールが安定し、また風上に立ったことで、後半は田中と田村のキックも効果的に作用していただろう。

「フミさんが来て、やりやすくなった」

 日本代表の盟友の加入に刺激を受けた田村が、49分に糸を引くようなクロスキックパスでWTB山田聖也のトライを演出すると、難しい位置からのゴールキックも成功。これでキヤノンは17−15と再びスコアをひっくり返す。

 試合はその後、田村の2本のPGで加点したキヤノンが23−15で勝利。マン・オブ・ザ・マッチには田中が選ばれている。
 「今日はFWに感謝ですね。彼らが身体を張ってスクラムもラインアウトのモールもやってくれましたから。マン・オブ・ザ・マッチも、本当はFWの選手がもらうべきなんですけど……たぶん、名前でもらえたのかな(笑)」

 試合後、いつもの穏やかな表情に戻って、そう謙遜した田中だが、抜群のリーダーシップを発揮した彼が、キヤノン初勝利の立役者であったことに疑いの余地はない。試合終了間際に田村が決めたトドメのPGも、相手ラックに猛然と突っ込み、ノットリリースザボールの反則を誘った田中の好判断によって獲得したものだった。

「タクシーで競技場に向かっている時、隣の野球場(神宮球場)でしか見たことがないようなお客さんの長い列を目にしたんです。こんなに寒い中、これほどたくさんの方に試合を観に来ていただいて、嶋田キャプテンとも『本当に嬉しいな、絶対に勝とうな』って話していたんです」

 この日、秩父宮に響き渡った田中の「声」と魂のこもったプレーは、寒空の下に集まった1万2913人のファンの心を、間違いなく熱くしたはずだ。

取材・文●吉田治良(スポーツライター)

 

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