歴代最多11度の全米制覇に前人未到の7連覇…近年もスター選手を輩出し続けるUCLAの歴史【名門カレッジ史】

歴代最多11度の全米制覇に前人未到の7連覇…近年もスター選手を輩出し続けるUCLAの歴史【名門カレッジ史】

ウエストブルックを擁した2008年には、シーズンを28勝3敗の好成績で終えたものの、トーナメントでは準決勝でメンフィス大に敗れて優勝はならなかった。(C)Getty Images

UCLAことカリフォルニア大学ロサンゼルス校(愛称ブルーインズ)は、大学バスケ界でも指折りの強豪校だ。NCAAトーナメント(以下トーナメント)では、1966−67シーズンからの7連覇を含め、史上最多の優勝11回の優勝回数を誇り、NBAにも数多くの名選手を送り出している。ただ80年代以降はトーナメント制覇が1度だけと、その栄光に若干陰りが生じている印象も否めない。

 UCLAの歴史を語る上で不可欠なのが、名将ジョン・ウッデンの存在だ。選手としてもパデュー大でオールアメリカンに3度選ばれたが、48年にUCLAのHCに就任後、さらに名声を高める。優勝11回中、10回は彼の在任中に達成したもので、64年にシーズン全勝で初めて全米bPに輝くと、翌65年も優勝。1年置いて67年からは前人未到の7連覇、74年に途切れるも翌75年に覇権を奪回した。その卓越した手腕は、UCLAの所在地の名をとって“ウエストウッドの魔術師”と呼ばれた。61年に選手として、73年には指導者としてバスケットボール殿堂入りしたが、これは史上初の快挙だった。現在でも大学最優秀選手に贈られるウッデン賞にその名を残している。
  NBAないしABAでプレーしたUCLA出身者は99人。最初のスター選手は、60年代初頭にニックスで4回オールスターに出場したウィリー・ノールズ。その後も、レイカーズでジェリー・ウエストと強力なバックコートコンビを形成したゲイル・グッドリッチらが活躍した。

 だが、同大が生んだ最大のスーパースターはカリーム・アブドゥル・ジャバーで間違いないだろう。これはイスラム教改宗後の名前で、本名はルー・アルシンダー。高校時代から全国的に有名だったアルシンダーは66年に入学、当時の規定では1年生は公式戦に出場できなかったが、彼が率いる新入生チームは同年のランキング1位だった上級生チームに完勝した。66−67シーズンは同級生のガード、ルーシャス・アレンとコンビを組み、平均29点、15リバウンドを叩き出しシーズン全勝、トーナメントでは全試合で相手に15点差以上をつけた。アルシンダーのゴール下での支配力があまりにも強力であることから、NCAAではしばらくの間ダンクを禁止にしたほどだった。
  翌68年1月20日、エルビン・ヘイズを擁するヒューストン大との“世紀の決戦”に敗れるまで47連勝。この年も1敗だけで、トーナメント準決勝ではヒューストンに32点差の圧勝でシーズンの借りを返すと、決勝戦はノースカロライナ大を当時の新記録となる23点差で退け、2連覇を飾った。さらに69年も1敗のみで3連覇。アルシンダーは4年間で平均26.4点、16.5リバウンド、在学中は88勝2敗。NBAでは史上最多の通算3万8387点、6度のMVPに輝き、バックスとレイカーズで6回頂点に立った。アレンも71年に再びジャバー(71年に改名)のチームメイトとなり、バックスで優勝を経験している。

 アルシンダーの卒業後はシドニー・ウィックスがエースの座を受け継ぎ、さらに71年にはビル・ウォルトンが入学。潜在能力に関してはジャバーにも引けを取らないウォルトンを柱とし、ヘンリー・ビビー、キース(のちにジャマールと改名)・ウィルクスらが脇を固めた71−72シーズンは、またもシーズン全勝。続く73年も全勝、30試合中26試合が2桁得点差での勝利と圧倒的な強さを誇った。トーナメント決勝ではウォルトンが44得点、放った22本のシュートのうち、外したのは1本だけというトーナメント史に残る超絶パフォーマンスを演じ、7連覇を果たした。
  73−74シーズンも開幕から13連勝をマークしたが、ノートルダム大に残り3分から11点差を逆転され、連勝は88でストップ。トーナメントでも準決勝でノースカロライナ大に屈し、大会での連勝も38で途切れる。連勝が始まる前、最後に敗れた相手もノートルダムだった。ウォルトンは同年のドラフト1位でウィックスがいるブレイザーズに入団し、77年に優勝、78年にMVPを受賞。ウォリアーズに入団したウィルクスも75年に優勝を経験し、その2年後にはレイカーズへ移籍。先輩のジャバーとともに、ショータイム・バスケットの一翼を担った。

 ウッデンの最後のシーズンとなった75年は、デーブ・メイヤーズ、マーケス・ジョンソン(ウッデン賞の第1回受賞者)らの活躍で覇権を奪回し、有終の美を飾った。ラリー・ブラウンがチームを率いた79−80シーズンはキキ・バンダウェイらを擁して準優勝しながらも、不正な選手勧誘があったとして記録は抹消となる。82年には16年ぶりのトーナメント不出場、以後7年間では2回の出場にとどまるなど苦戦を強いられた。
  レジー・ミラーはそんな低迷期のチームを支えた選手の1人。通算2095得点はアルシンダーに次いで学校史上2位(当時)だったが、トーナメントでは2回戦まで進むのが精一杯だった。それでもNBA入り後はペイサーズのエースとしてクラッチシュートを連発、通算2万5279点はこちらもジャバーに次いで同大出身者では2位。3ポイント成功数2560本は、レイ・アレンに抜かれるまで1位だった。

 ブルーインズが久々に頂点に返り咲いたのは95年。ジム・ハーリックの指揮の下、エドとチャールズのオバノン兄弟の活躍で勝ち上がり、決勝戦ではエドが30得点、17リバウンドの大暴れ。アーカンソー大を下して20年ぶりの王座に就いた。
  その後はバロン・デイビス(97〜99年在学)のように、才能のある選手が入学しても1〜2年でNBAへ去ってしまうことが多くなり、継続して強さを発揮できなくなっている。ラッセル・ウエストブルック(ロケッツ)、ケビン・ラブ(キャバリアーズ)、ダレン・コリソン、ルーク・バー・モーテが揃った07−08シーズンもトーナメントでは準決勝敗退。「優勝できなかった中では最も才能のあったチーム」という、名誉なのかどうかわからない称号を与えられ、今のところこれが最後のファイナル4進出となっている。今季からはシンシナティ大を長年率いたミック・クローニンが再建を託されている。

 ウエストブルックとラブは08年のドラフト4、5位で続けて指名され、12年のロンドン五輪もともに戦い金メダルを獲得した。現在は彼らを含め13人の元ブルーインがNBAでプレー。ベテランのトレバー・アリーザ(ブレイザーズ)や、ドリュー(ペリカンズ)とアーロン(ペイサーズ)のホリデー兄弟、ザック・ラビーン(ブルズ)、そしてロンゾ・ボール(ペリカンズ)など豪華な顔触れだ。ここ数年低迷しているとはいえ、やはりUCLAのブランドは優秀な素材を惹きつけるのだろう。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2016年2月号より転載
 

関連記事(外部サイト)