【NBAスター悲話】わずか4シーズンでリーグを去った名ダンカー、ハロルド・マイナーの現在【後編】

【NBAスター悲話】わずか4シーズンでリーグを去った名ダンカー、ハロルド・マイナーの現在【後編】

豪快なダンクをはじめとするオフェンス力に比べあまりにお粗末なディフェンスが、マイナーからNBAでプレーするチャンスを奪った。(C)Getty Images

マイケル・ジョーダン、ドミニク・ウィルキンスといった史上屈指のスラムダンカーに並ぶ、2度のコンテスト優勝――。1990年代前半、若き日のハロルド・マイナーは、将来を嘱望されるプレーヤーだった。だが、スラムダンク王という勲章や“ベビー・ジョーダン”の称号が重過ぎる十字架となり、彼はわずか4シーズンでNBAを去ることになる――。

■期待外れに終わった“ベビー・ジョーダン”

 ラプターズのトレーニングキャンプに参加していた頃、マイナーは地元紙のインタビューに答えている。

「ベビー・ジョーダンというニックネームを付けられてしまった以上、人々は俺にマイケルのようなプレーを期待する。それはまったくフェアなことじゃない。神はこの世にただ1人のマイケル・ジョーダンしか創造しなかったのだから。そのうえスラムダンク・チャンピオンに2度なったことで、ファンは俺に試合中もっと派手なダンクやプレーを要求する。そういったことが大きなプレッシャーになっていったことは紛れもない事実だ。ファンからの過度の期待は、俺にコントロールできる問題じゃなかった」

 マイナーだけに限らず、これまでカレッジで大活躍し、将来を嘱望されながらNBAで成功を収めることができなかった選手は数多くいる。しかし、マイナーは単に花形カレッジプレーヤーだっただけではなく、今よりずっと大きな意味合いを持っていたスラムダンク・コンテストで、2度も優勝を勝ち取ってしまった男なのだ。人々に期待するなという方が無理であろう。
  また、かつて“ネクスト・ジョーダン”と呼ばれた選手はマイナー以外に何人もいた。だが、ニックネームそのものにズバリ“ジョーダン”という名を頂戴した選手はマイナーただ1人。スラムダンク・コンテストでの成功、そしてベビー・ジョーダンと呼ばれ、あまりに大きな期待を浴びたことが、マイナーの場合すべてマイナスに働いてしまった。

 あくまでも個人的な印象だが、当時のNBA選手に多く見受けられた、ギラついていて押しの強いイケイケな黒人選手とは対象的に、マイナーはソフトな語り口をした、笑顔の似合う誠実そうな男だった。インタビューを見てもそういった印象を受けるし、現地の試合中継か何かで、気の優しい繊細な男であるという話も耳にした覚えがある。

 そんな選手だったからこそ、必要以上にプレッシャーを重く受け止め、終いには耐えきれなくなったのかもしれない。例えば同じネクスト・ジョーダンでも、コビー・ブライアントのように重圧をプラスに変えるだけの精神的強さやタフさ、図太さがあったなら、マイナーのキャリアがこれほど短く潰えることにはなかったと思う。
  マイナーがNBAから姿を消して暫くの間、彼の名前やニックネームは「期待外れに終わった選手」の代名詞になっていた。レブロン・ジェームズがデビューする前、その実力を疑問視する表現として、マイナーの名前がしばしばメディアに登場している。いわく、「レブロンは“第2のベビー・ジョーダン”か?」。そう言われることを、マイナーはどんな気持ちで受け止めていたのだろうか。

 先日ヒートのデリック・ジョーンズJr.が、2020年スラムダンク・コンテストの招待を受け入れ、参加を表明したことがニュースになっていた。2017年に続き2度目のチャレンジであり、ヒートの選手としてはビリー・トンプソン、マイナーに続き3人目のコンテスト参加者とのこと。

 久しぶりに見たマイナーの名前に、現在彼がどんな生活を送っているのか気になり、さっそくネットで調べてみた。知っていたのは、ネバダ州ラスベガスに住み、現役時代に得た収入を地道に不動産売買などで運用し、メディアや友人と完全に距離を起き、バスケットボールとは無縁の生活を送っているということぐらい。
  検索してみたところ、ケイミー・マイナーという人物の情報が数多くヒットした。カリフォルニア州レドンドビーチの高校に通う16歳のバレーボール部員。身長183pのセッターは、昨年9月にエジプトで行なわれたU18の世界選手権にアメリカ代表として出場し、金メダルを獲得している。ハロルド・マイナーの娘さんだ。彼女の高校入学にあたり、家族4人は父の地元カリフォルニアに引っ越してきたそうだ。

『ロサンゼルス・タイムズ』の記事によると、娘は父からバスケットボールを強要されたことは一度もなく、父は娘が正しい方向に進むよう、特にメンタル面において良いことも悪いことも、若い頃に学んだ様々なことを教え伝えているという。身を持って、それも世界中の誰よりも深いレベルで体験した父からのアドバイスは、きっとどんな言葉よりも説得力があることだろう。

 ケイミーはバレーボールならダンクすることができ、48歳の父はまだバスケットボールでダンクできるそうだ。だが、ジャンプ力は娘のほうがあるとのこと。娘のケイミーが、近い将来アメリカ代表としてオリンピックにでも出場したら、父ハロルドは現役時代と違った意味で味わう期待感や緊張感を、今度はきっと楽しむに違いない。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2004年3月号掲載原稿に加筆・修正。
 

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