真っ赤なシューズでオールスターMVP! 90年代ブルズ黄金期の立役者、スコッティ・ピッペンのシグネチャーモデル誕生秘話

真っ赤なシューズでオールスターMVP! 90年代ブルズ黄金期の立役者、スコッティ・ピッペンのシグネチャーモデル誕生秘話

当時は白や黒のシューズが主流ななか、ピッペンは94年のオールスターで真っ赤なモデルを着用。見事にMVPにを獲得し脚光を浴びた。(C)Getty Images

スコッティ・ピッペンと言えば、マイケル・ジョーダンとともに1990年代のブルズ黄金期を支えたスーパースターの1人だ。ジョーダンが「神」ならばピッペンは「ミスター・ブルズ」と言える存在だった。2回目のスリーピート(3連覇/1996〜98)ではジョーダンと同等の存在感でチームを引っ張り、「ピッペン無しではジョーダンの偉大な功績は生まれなかった」という最高級の評価を得た。

 ピッペンはジョーダンとは真逆のアプローチでチームをまとめていた。ジョーダンは激しく相手を突き放して、もっとこっちへ這い上がって来いよと言わんばかりの強烈なリーダーシップで味方を引き上げた。一方のピッペンはチームメイトに寄り添って話を聞き、相手を引き寄せる。ジョーダンが「(ピッペンのことは)一緒にプレーしてみればわかるさ」と語れば、口の悪いデニス・ロッドマンも「もっと評価されるべきだ。もっと年俸をもらっていい」と称賛していた。

 ジョーダンの相棒というイメージが強かったピッペンが単独でスポットライトを浴びたのが、1994年のオールスターゲームだ。この試合でピッペンは、ナイキの「エア・マエストロ」という真っ赤なシューズを履いて出場。「そんな目立つシューズを履いてターンオーバーしたら恥かくぞ」と大親友のホーレス・グラントからからかわれたピッペンだが、試合ではコートを縦横無尽に走り回り、29得点をあげる大活躍でMVPを獲得した。
  今ではチームカラーに合わせて色とりどりのシューズを履くことは珍しくなく、年に1度のオールスターともなれば各選手がド派手な1足で足下を彩る。しかし当時はほとんどの選手がベーシックな白や黒を基調としたシューズを着用しており、派手なカラーリングを履いていいのはジョーダンだけと言ってもいいくらいだった。そのため、ピッペンとしても勇気のいることだったはずだ。

 ファッション的要素だけでなく、ピッペンのプレースタイルはナイキのシューズにおいて新しいカテゴリーを確立するのに一役買っている。ナイキは「フォース」と「フライト」というふたつのシューズのカテゴリーを持っていた。「フォース」はチャールズ・バークレーに代表される、パワフルでフィジカルなプレーを体現する選手を支えるシューズ。「フライト」はスピードと跳躍力に秀でたペニー・ハーダウェイのようなガードタイプだ。

 そんななか、ピッペンのプレースタイルはまさに割って入った新しいものだった。サイズがありながらもコートを端から端まで駆け抜け、インサイドでもアウトサイドでもプレーできるオールラウンドプレーヤー。まさに今のレブロン・ジェームズやヤニス・アデトクンボのようなプレースタイルのパイオニアと呼べるのがピッペンだった。
  ナイキは「アップテンポ」という新たなカテゴリーをピッペンのためにリリースした。「ポイントフォワード」と称される彼のようなポジションの選手のためのシューズだった。

「マエストロシリーズもとても気に入っていたのだが、足首へより負担がかからないようにクッション性に優れていたアップテンポシリーズが最終的には一番履く頻度が高くなった」とピッペンは言う。

 結局、ピッペンはキャリア10年目の97年に自らの名前を冠したシグネチャーシューズ『エア・ピッペン』をリリースすることになる。

 ナイキの開発担当者は当時、「ピッペンがオールラウンダーで、コートを走り、跳び、豊富な運動量で激しいプレーをしていることを知る人なら、このシューズの機能性をいちいち説明する必要はない。まさにピッペンのシューズなのだから」と語っていた。
  実はこの『エア・ピッペン』のリリースに当たって、ナイキは大きな選択をしたという興味深い話がある。当時、ナイキはピッペンのほかにもブルズの主力選手と契約を交わしていた。ビッグ3の一角、ロッドマンである。ブルズに移籍して人気絶頂だったロッドマンのシグネチャーにすべきか、ピッペンか。悩んだ結果、ナイキはピッペンを選んだ。その理由は、彼のバスケットボールに全身全霊を傾ける姿の方がナイキのブランドイメージに合っているからだったという。

 当時のチームメイトで現在ゴールデンステイト・ウォリアーズのヘッドコーチを務めるスティーブ・カーは言う。

「ピッペンはコートの全員を常に見ている。普通なら無理をしてでもジョーダンにボールを入れようとする。ジョーダンに嫌われたくないし、ジョーダンといいコンビだと評価されるのは気分がいいものだからね。しかしピッペンはノーマークの選手がいれば迷わずそこへパスをする。フリーのチームメイトを優先させるんだ。ブルズの成功の陰にはピッペンのボールコーディネート力があった。彼はチームのためにプレーしていた」

 バスケットボールにおいて選手同士の信頼関係がどれだけ重要かを物語ってくれたのがピッペンだった。ちなみに、実現こそしなかったが、ブルズからロサンゼルス・レイカーズに移ったフィル・ジャクソンHCがシャキール・オニールとコビー・ブライアントの関係改善を考えた時に、一番最初に頭に浮かんだのがピッペンだったという。

文●北舘洋一郎

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