NBAからの欧州移籍は都落ちなのか?“元ドラフト2位”の逸材がユーロリーグでたどり着いた新境地

NBAからの欧州移籍は都落ちなのか?“元ドラフト2位”の逸材がユーロリーグでたどり着いた新境地

2011年のドラフトで全体2位指名を受けたウィリアムズ。NBAで7年を過ごしたのち、現在はトルコの名門で主軸を担っている。(C)Getty Images

欧州各国のトップクラブが参戦し、約半年にわたって頂点の座を競い合うユーロリーグ。ここでは欧州のトッププレーヤーはもちろん、のちのNBA入りを目指す若武者や、活躍の場を求めて海を渡ったかつてのスターたちがひしめき合っている。現在ユーロリーグでその名を轟かせる元NBAプレーヤーをシリーズで紹介しよう。

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 カワイ・レナードやクレイ・トンプソン、ケンバ・ウォーカーら多くのオールスター選手を輩出した2011年のドラフトで、カイリー・アービングに次ぐ全体2位指名を受け、大いなる期待とともにNBAへの一歩を踏み出したのが、現在トルコのフェネルバフチェでプレーするデリック・ウィリアムズだ。

 名門アリゾナ大では1年目から頭角を現わし、オールアメリカ・フレッシュマンチームに選出。翌年は19.5点、8.3リバウンドとエースとしてチームを牽引し、Pac-10カンファレンスの最優秀選手に選ばれたほか、NCAAトーナメントでは6年ぶりのエリート8(8強)進出にも貢献した。そしてその夏、アーリーエントリーしたドラフトでミネソタ・ティンバーウルブズから全体2位指名を受け、念願のNBA入りを果たした。
  デビューシーズンは平均21.5分の出場で8.8点、4.7リバウンドを記録。同シーズンはロックアウトの影響で開幕が遅れたものの、ウィリアムズは全66試合に出場した。翌年はスターターに定着し、平均12.0点、5.5リバウンドと順調に数字を伸ばしてみせた。

 しかし3年目の11月にサクラメント・キングスにトレードされると、そこからはニックス、ヒート、キャバリアーズと渡り歩き、あっという間にジャーニーマンの道をたどる。17年にキャブズの一員としてファイナルに出場したあとは、ついに無所属となった。

「とにかくバスケットボールがプレーしたくてたまらなかった」という思いで、その後、中国の天津ゴールドライオンズ(現パイオニアーズ)からのオファーを受けた。

 2018年3月にはロサンゼルス・レイカーズと10日間契約を結び、束の間のNBA生活を味わったが、正式契約には至らず。同年10月、ウィリアムズはドイツのバイエルン・ミュンヘンへの移籍を決断する。アメリカ、中国に続き、ヨーロッパへと活躍の舞台を移したのだった。
  サッカーでは強豪として知られるバイエルン・ミュンヘンだが、バスケットボール部門は1946年の創立後25年ほどは国内を席巻したものの、その後低迷。2011年にトップリーグに復帰したばかりの若いチームだった。しかしそこから急成長を遂げ、2017−18シーズンは国内リーグとカップ戦の2冠を獲得。ウィリアムズを迎えた18−19シーズンは国内リーグ2連覇を果たし、欧州最高峰の舞台であるユーロリーグでもプレーオフ進出にあと1歩まで迫った。

 ドイツに渡ったウィリアムズがまず驚いたのは、レベルの高さ、そして1試合の勝敗が順位争いに大きく影響するユーロリーグでの、「一戦たりとも取りこぼしはできない」というヒリついた感覚だった。ダブルチームやトラップなどディフェンスの仕方にも違いがあり、それらを習得することで応用力も磨かれていった。

 ユーロリーグでは29試合に出場し、平均13.4点、4.2リバウンドでデビューイヤーを終えた。すると、同リーグ9冠を誇る欧州きっての名将で、現在フェネルバフチェを率いるジェリコ・オブラドビッチから直々に、「君にチームのオフェンスの核になってほしい」と誘いを受ける。
  その言葉に動かされ、ウィリアムズはトルコの強豪への移籍を決意。今シーズン序盤、チームは予想外の苦戦を強いられたが、現在はプレーオフ出場圏内まで挽回してきた。ウィリアムズもスターターに定着すると、チーム3位の平均11.3点、同2位の3.9リバウンドをあげるなど、安定したパフォーマンスを披露している。

 自身を「3番(SF)と4番(PF)のハイブリッド」と称するウィリアムズの学生時代からの特徴は、高い運動能力、そして決定力にある。ポゼッション数から算出した得点効率はアリゾナ大でもチームトップレベルで、プレーメーカーに乏しかった当時のチームでそれだけの効率を実現したことが、NBAのスカウトたちからの注目を集めた所以でもあった。

 また、レブロン・ジェームズ、カイリー・アービングという強力スコアラーとともにプレーしたキャブズ時代には、スポットアップ・シューターとしての素質も開花。ベンチプレーヤーながらキャリアで初めてプレーオフを経験した同チーム在籍時は、フィールドゴール成功率50.5%、3ポイント成功率40.4%と優秀な数字を残している。

「レブロンとカイリーは、『とにかくリバウンドを取れ。そして取ったら、迷わず突っ込め』といつも刺激してくれた」と、ウィリアムズは後のインタビューで振り返っている。
  ウィリアムズにとって、レブロンから受けた影響は絶大だった。彼は今もなおNBAの頂点に君臨する“キング”についてこう語る。

「試合の日は、3、4時間前からスタンバイしているし、毎日の練習でも2、3時間前から準備している。彼が傑出した選手であり続ける理由は、そういう姿勢からも明らかだ。そしてそんな彼を日々間近で見ることで、周りの選手も刺激を受けて磨かれていく。レブロンは雲の上、というくらい高いレベルにいる選手だけれど、彼から受けた影響を財産にしながら、自分はここまでキャリアを築いてくることができた」

 また、欧州行きを迷っていた時、ウィリアムズはキングス時代のチームメイトでフェネルバフチェのOBでもあるジェイソン・トンプソン、フェネルバフチェでユーロリーグ優勝を経験したエペイ・ユドー、ドイツリーグに所属経験のあるPJ・タッカー(ロケッツ)らにアドバイスを求めた。彼らは、「ヨーロッパでの体験を思う存分満喫しろ。そうすれば、自分が欲しいものすべてを手に入れることができる」と、背中を押してくれたという。
  そして現在、ウィリアムズは欧州随一の“クラッチプレーヤー”として鳴らしている。バイエルンでプレーした昨季のフェネルバフチェ戦では、1点ビハインドで迎えた第4クォーター残り1分の場面で決死のブロックショットを炸裂。試合をオーバータイムへとつなげて、90−86での勝利に貢献した。

 アリゾナ大時代のNCAAトーナメントでも、試合終了間際に相手のショットをブロックして3回戦進出を決めたドラマティックな経験をしているが、メンターたちに「決定機に仕事ができる選手になれ」と教えられて育ったというその素質が、欧州の場で再び花開いている。

 フェネルバフチェには、2011年のドラフト同期で、チェコ代表のヤン・ヴェセリー(1巡目6位指名)が在籍。さらに、ルーキー時代にウルブズでチームメイトだったウェスリー・ジョンソン(パナシナイコス/ギリシャ)とは敵として対戦が実現するなど、元同僚や懐かしの顔と再会する機会を得たことも、ウィリアムズがヨーロッパで楽しんでいることのひとつだ。
  また、欧州各地を遠征することで、今まで知らなかった世界を見聞することも、自身を豊かにしていると語る。

「将来はNBAに戻りたいのか、ヨーロッパでキャリアを積み上げたいのかといった先のことについては、今は考える必要はないと思っている。今はとにかくここで一生懸命やって、自分の“ツール”を増やしていきたい。そうやって蓄積したツールが、自分が今後バスケを続けていく上で武器になってくれるからね」

「NBAドラフト2位指名選手」のプレッシャーは計り知れない。インタビューでも、「2位指名を受けた自分に、もっと別のものを期待していたのでは?」という質問を受けることも珍しくない。そのたびにウィリアムズは決まってこう答える。

「今でも、そして常に、自分からはもっともっと高いものを期待している」と。

「NBAでうまくいかなかったからといって、ダメな選手の烙印を押されたわけじゃない。こちらに来てから凄いプレーをしている選手は大勢いる」
  今では、アメリカに帰るたびに選手や関係者からたくさんの電話を受けるという。みな彼に「欧州バスケはどうか?」と情報を求めるのだ。

「いろいろな場所でプレーすることで、『自分の強みはこれです』と、交渉のテーブルに差し出すことができる武器が明確になり、引き出しも増えていくのを感じる」

 カレッジ、NBA、中国など、場所を変えるたびにウィリアムズには様々な発見があった。そしてそれこそがバスケットボールをプレーする醍醐味だと、彼は感じている。欧州での新たな挑戦も、ウィリアムズをバスケットボール選手としてだけでなく、人として豊かにさせているに違いない。

文●小川由紀子

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