“ドック”の由来は着ていたTシャツ。現役屈指の名将リバースは、いかにしてその統率力を培ったのか【NBA名脇役列伝・前編】

“ドック”の由来は着ていたTシャツ。現役屈指の名将リバースは、いかにしてその統率力を培ったのか【NBA名脇役列伝・前編】

現役屈指の名将として名高いリバース。“ドック”の愛称はドクターJのTシャツを着ていたことからつけられた。(C)Getty Images

現役ヘッドコーチ(HC)のなかでも、ドック・リバースは最も高く評価されている指導者の1人だ。2008年にボストン・セルティックスを優勝に導くと、2013年には采配能力を高く買っていたロサンゼルス・クリッパーズが、ドラフト指名権と引き替えでセルティックスから獲得したほど。その才は現役時代から際立っており、所属した4球団すべてでプレーオフへ進出するなど、優れた統率力を持つ選手と見られていた。そんな頭脳明晰な男のキャリアを紐解いていく。
 ■“ドック”の由来は着ていたTシャツから。そしてプレーもドクターJ顔負け

 “ドック”ことグレン・リバースは、シカゴでも特に治安の悪い地域で生まれ育ったが、道を踏み外すことはなかった。それは厳しかった警察官の父に「お前が街で喧嘩しているのを見かけたら、容赦なく牢屋に叩き込む」と脅されていたのもひとつの理由だが、何よりもバスケットボールという、情熱を傾けるものがあったことが大きかったという。

 少年時代から「プロのバスケットボール選手になる」と公言していた彼にとって、NBAは遠い存在ではなかった。というのも、叔父のジム・ブルワーが1972年のミュンヘン五輪のアメリカ代表で、1973年のドラフトにおいてクリーブランド・キャバリアーズから2位指名を受けた好選手だったからだ。

「8年生になるまでまともに勉強したことがなかった」というリバースだったが、ブルワーの母校でもあるバスケの強豪校、プロビソ・イースト高校に入るために猛勉強を重ね、全体2番目の好成績で合格。後年、NBAのHCとして発揮される才覚は、この頃に下地が築かれたのかもしれない。

 “ドック”と呼ばれるようになったのも高校時代だった。大抵、このニックネームは医師免許を持つ者や、学校で医学を学んだ者につけられるのだが、リバースの場合、その命名理由はそれとはまったく異なる。

「ドクターJ(往年の名選手ジュリアス・アービングの愛称)のTシャツを着てサマーキャンプに参加していたら、講師のリック・マジェラスからドックと呼ばれたんだ。どんなに『僕の名前はグレンです』と言っても、彼はドックと呼ぶのをやめてくれなかったよ(笑)」
  Tシャツだけでなく、プレーもドクターJ顔負けだった。コラムニストのチャールズ・P・ピアースは、高校時代のリバースについて次のように語る。

「リバースを初めて見たのは全国高校トーナメントの時だった。前日の試合で肉離れを起こした彼は、包帯をぐるぐる巻きにしてその試合に出場していた。前半は動きにキレがなくて『なんだ、評判ほどでもないな』と思ったけど、後半はまるで別人だった。何より凄かったのは、3ポイントを外したあとに自らリバウンドを奪い、ティップイン・ダンクを決めたシーンだ。私は驚きのあまり、座っていた椅子を壊してしまったほどだよ(笑)」

 高校卒業後は、数多くの勧誘のなかからマジェラスがHCを務めるマーケット大を選択。1982年には、コロンビアで行なわれた世界選手権のアメリカ代表に選出される。決勝でソビエト連邦(現ロシア)に1点差で敗れ、惜しくも銀メダルに終わったが、リバース自身は平均18.6点の活躍で大会MVPに輝いた。
  大学3年終了時にアーリーエントリーを表明。1983年のドラフト2巡目31位でアトランタ・ホークスに入団したリバースだったが、この指名権は、ホークスがHCのケビン・ロッカリーをシカゴ・ブルズへトレードして得たものだった。つまりリバースは、プロ入りの時点ですでに“HC⇔ドラフト指名権”のトレードに関わっていたわけだ。

 指名順位こそ低かったものの、ホークスのマイク・フラテロHCは最初からリバースの実力を高く買っていた。

「とにかく動きが素早く、大学でスティールを量産したのも頷ける。ゆくゆくはNBAでも指折りのディフェンダーになれるだろう」

 その言葉通り、リバースはシーズン途中から先発で起用されるようになり、チーム最多の127スティールを奪取。翌年には14.1点と平均得点を2桁に乗せ、得意のスティールは2.36本でリーグ4位にランクインするなど、メキメキと力をつけていった。

 193cmとポイントガードとしてはサイズに恵まれ、ボールハンドリング、パスセンス、状況判断のいずれもが一級品。シュートはさほど得意ではなかったが、自慢のクイックネスを生かしてゴール下に切れ込み、時には豪快なダンクも見舞った。
  1986−87シーズンはリーグ3位、かつ球団新記録となる823本のアシストをマーク。ホークスを当時のチーム史上最多となる57勝に導くと、ポストシーズンでも平均11.3アシストを繰り出し、その評価を確固たるものにした。
  当時の『スポーツ・イラストレイテッド』誌のリバース評が、実に的を射ている。「タフではあってもダーティーではなく、自信家ではあるが傲慢ではなく、堅実ではあっても面白みがないわけではない」。ホークスの看板選手ドミニク・ウィルキンスからは「俺にとってドックは兄弟も同然」と言われるほど信頼を寄せられ、1988年には2人揃ってオールスター出場も果たしている。(後編に続く)

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年9月号掲載原稿に加筆・修正

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