【連載インタビュー】シェーファーアヴィ幸樹/前編「NCAAに行って、まず環境に驚いた。設備から選手の扱い方まで本当にプロのようだった」

【連載インタビュー】シェーファーアヴィ幸樹/前編「NCAAに行って、まず環境に驚いた。設備から選手の扱い方まで本当にプロのようだった」

アメリカの大学を経て、昨季からBリーグでプレーするシェーファーが自身の生い立ちを語った。写真:徳原隆元

開幕へのカウントダウンが始まる東京五輪。本連載では、オリンピックでの活躍が期待される各競技の注目選手の生い立ちや夢舞台への想いに迫る。

 今回は、名門ジョージア工科大出身のBリーガー、滋賀レイクスターズのシェーファー アヴィ幸樹を直撃。昨年のワールドカップで日本代表最年少として出場した22歳に、自身の生い立ちや母国で開催される大舞台へかける意気込みを聞いた。

 前編では、日本で過ごした中学・高校時代、そして父の母国アメリカへ渡った大学時代での興味深い話を紹介。バスケ経験わずか3年で日本代表へと上り詰めたビッグマンは、いったいどんなキャリアをたどって今に至るのか。
 ――シェーファー選手は高校時代はインターナショナルスクールに通われていたんですよね?

もともと地元の神戸のインターナショナルスクールに1年間通っていたんですけど、中学までは普通の学校に行っていました。インターナショナルスクールに行った理由としては、兄が通っていたというのと、大学はアメリカに行きたいという気持ちがあったので、そういう選択をしました。

――もともとアメリカに行きたいというビジョンがあったんですね?

はい、バスケうんぬんじゃなく、家族、特にアメリカ人の父としては僕に1度アメリカに住んでほしいというのがあって。僕自身もそういう思いがあったので、インターナショナルスクールに行った方が、というよりは、行かないと現実的じゃないなということで進路を決めました。それで高1のはじめに東京に引っ越して、セントメリーズ・インターナショナルスクールに入りました。

――言葉に関しては幼少時代から英語も話せるのですか?

そうですね、読み書きは習っていなかったですけど、毎年夏にはアメリカに行っていたので、会話はそれなりにできていました。父とは、小さい頃は日本語も交ぜながらという感じで話していました。ただ、やはり父としては英語の方が楽なので、今はもうすべて英語で話しています。

――バスケとはどんな出会いだったんですか?

中学までずっとサッカーをしていたのですが、入学した高校のクラブがあまり強いチームではありませんでした。1年生の時は所属していたのですが、どこか物足りなくて…。その時バスケの勧誘もされていて、そっちの方が環境が良かったので始めてみました。インターナショナルスクールはシーズン制なので、オフシーズンの間に別のスポーツをやるということでオープンジムで気軽に5対5をやるようになって。そしたら意外と楽しくて。
 ――NBAはもともと好きだったんですか?

バスケを始めるちょっと前、中3の頃に仲が良かった友達がNBAが好きで。それがNBAを観るきっかけになりました。

――そうなんですね。特に好きだった選手やチームはありましたか?

友達がクリッパーズのファンで、ブレイク・グリフィンとクリス・ポール、ディアンドレ・ジョーダンがいた“ロブ・シティ”の頃のチームが僕も好きでした。ほかで個人的に憧れたのはティム・ダンカンですね。プレーのタイプが僕に似てるかなというのもあったので。

――バスケを本格的にやっていこうと思ったのはアンダーの日本代表に呼ばれてから?

そうですね。初めてU18の代表に呼んでもらって、1番最初の大会でドイツに行ったんですけど、そこでアメリカ代表とも対戦して、意外と手応えを感じたというか。「バスケでやっていけるんじゃないか」と思って、そこからバスケを意識して進路を考えるようになりました。
 ――そもそも代表に呼ばれた経緯はなんだったんでしょう?

インターナショナルスクールは、ウインターカップなど高校の大会に出られないのでそもそも(関係者にプレーを)観てもらう機会はないんです。ただ、僕が所属していたクラブチームがU16の日本代表と試合をする機会があって、その時に代表のコーチだったトーステン・ロイブルさんが声を掛けてくれました。

――そこで運命的な出会いがあったわけですね?

本当にそうです。僕は当時まだバスケを始めて間もなかったので技術的には代表なんてレベルじゃなくて、初めて呼んでもらったときもボコボコにされて全然何もできなかったんですけど。ロイブルさんはそんななかでも期待してくれて呼び続けてくれたので、本当に感謝しています。

――その頃からすでに身体は大きかったんですか?

その時にはもう2mを超えてましたね。なので最初からセンターでした。ただ、ドイツの大会ではドイツやセルビアなど僕よりも大きい選手が普通にいたので、そこまで自分が大きく感じたことはなかったですね。
 ――インターナショナルスクール時代はどんな生活を送っていたんですか?

僕はゲームが好きだったので、家に帰ったら友達とスカイプでゲームしてといった感じでしたね。勉強の方では僕は物理が好きだったので頑張ってたんですけど、そもそも勉強がめちゃくちゃ好きというわけでもないので。ただ、僕の行ってたスクールは世界的に有名なIBプログラムというのを導入していて、それをやるかは生徒が自由に選べるんです。僕もIBプログラムを選択していたんですけど、勉強は(それぞれが)大変にしようと思えばできるといった感じでした。僕は暇があるとそれこそゲームをやりすぎちゃったりルーズになってしまうので、勉強があったりバスケがあったりと忙しい方がむしろ集中できるという感じでしたね。

――部活漬けに陥りがちな普通の高校生とはちょっと違う生活ですね。

全然違いますね。バスケの練習時間もそんなに長くはないですし、インターナショナルスクールでのリーグ戦もあるんですけど、米軍基地の学校とも試合をしたりしていました。
 ――その後、アメリカの大学に進学するにあたり、まずブリュースター・アカデミー(プレップスクール)に進んだ理由は?

ブリュースターに進んだのは、先ほど言ったドイツの大会がきっかけで、プレップスクールに行ってもっと本気でバスケをやろうと考えたからです。それまでは普通に勉強で進もうと思っていたんですけど、バスケに進路を変えてという形で。

ブリュースターはバスケの強豪校なので、なかなか出場機会はなかったんですけど、練習には毎日かなりの数の大学のコーチが見に来ていました。特にオフシーズンはコートサイドに15人くらいずらっと並んでいて、選手はみんなアピールするといった感じでしたね。僕もマサチューセッツ工科大などディビジョンUとかVの学校からのオファーはあったんですけど、初めてディビジョンTのジョージア工科大が声を掛けてくれて。非常にいい大学ですし、即決でした。ウォークオン(奨学金なし)だったんですけど、勉強面でも僕のやりたかった物理分野では全米でもトップクラスの大学だったので、これを選ばない理由はないなと。

――実際に大学に入っていかがでしたか?

まず環境に驚きましたね。プレップスクールにも行っていたとはいえ、一気に環境が変わって。設備から選手の扱い方まで本当にプロのような環境でした。

――選手の扱い方というのは具体的にどういった部分ですか?

選手のケアをしてくれるトレーナーがいて、何か少しでも違和感があったらケアしてくれたり、体育館が24時間使えたり、それも指紋認証で入るんですよ。もちろん、ウエイトエルームも完備されていて、それとは別に8000人くらい入るすごいきれいなアリーナもあって。それを見たときは唖然としましたね。
 ――当時のチームには現在NBAで活躍中のジョシュ・オコーギー選手(ミネソタ・ティンバーウルブズ)もいましたよね?

彼はバスケの技術はもちろんなんですけど、それ以上にメンタル面・意識がほかの選手と違うなと思いました。常に体育館にいますし、チームの練習が始まる頃にはワークアウトを終えている。練習が終わった後もなかなか体育館から出ないですし、バスケに対して本当に真面目に向き合っていました。彼は勉強面もちゃんとしていて、そのあたりにも意識の差が出ていて、「こういうヤツがNBAに行くんだろうな」と思っていました。

――ジョージア工科大はアメリカのなかでも屈指の強豪カンファレンス(ACC)ですよね?

デューク大やノースカロライナ大など、アウェーで行くアリーナは全部とんでもないアリーナばっかりで、どこも印象に残っています。

――シェーファー選手自身はプレータイムがほとんどもらえなかったなかで、モチベーションなどはいかがでしたか?

同じポジションに今スペインでプレーしているベン・ラマーズという選手がいたんですけど、彼は僕が入ったときに4年生で、目標としていた選手でした。オコーギーのようなNBAレベルの選手もいましたし、試合に出ることができないもどかしさはあったんですけど、「こんな場所に俺がいるんだ」という今まで経験してきたものとは別格の環境がモチベーションになっていました。「このレベルでやれるようにとにかく頑張らなきゃ」という気持ちで毎日体育館に通っていましたね。
 ――腐るようなことはなかったと?

腐る暇もなかったですね。勉強も忙しかったですし、そういう意味ではレベルの高い環境に行って忙しくできたことは自分にとってよかったなと思います。

――当然、勉強も大変だったかと思いますが、大学時代のスケジュールはどんな感じだったんでしょうか?

授業は8時ぐらいから始まって、13時までには終えるようにスケジュールを組んでいました。そこから昼食をとって14時には体育館に行くという流れですね。そこから3時間くらい練習して、ウエイト、シューティングをして、20時くらいに夕食。そこから寮に帰って一息ついて、宿題をやるという。宿題がとにかく大変で、体育館にいるか勉強しているかという感じでしたね。

勉強は高校とかプレップスクールではそれなりにできていたので、なんなら「自分、頭良いかも」なんて思ってたんですけど、いざジョージア工科大に行ったら世界のトップレベルを目の当たりにしました。授業を普通に受けててもだんだんついていけなくなったりした時に、「なんで分からないの」という目で見られたりして(笑)。

――バスケの面で特に力を入れた部分は?

ディフェンスはすごく鍛えられましたね。試合にはあまり出ていなかったんですけど、練習では主力を相手に守ることが多かったので、もちろん簡単にやられたら怒られますし、そういう意味ではよく鍛えられました。あとはとにかく自分でできるシューティングとか、ウエイトを頑張ってジャンプ力を上げたりとか、そういった部分はやっていましたね。

(後編に続く)

【PROFILE】
シェーファーアヴィ幸樹(こうき)。1998年1月28日生まれ、大阪府吹田市出身。アメリカ人の父と日本人の母のもと日本で育ち、中学時代まで神戸で過ごす。その後、東京のインターナショナルスクールに進学し、アメリカのプレップスクールを経て2017年にNCAAディビジョンTのジョージア工科大に入学する。同校では1年目に4試合、2年目に2試合に出場。18年12月にBリーグのアルバルク東京に加入したのち、19年8月に現在所属する滋賀レイクスターズに期限付き移籍。今季はここまで全試合に出場し、平均4.1点、4.5リバウンドをマーク。日本代表には2018年に初選出され、19年のW杯ではチーム最年少として2試合に出場した。
 

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