【コビー・ブライアント物語・Part3前編】探し求めていた“チーム”を作り上げ 大黒柱としてレイカーズを復活に導く

【コビー・ブライアント物語・Part3前編】探し求めていた“チーム”を作り上げ 大黒柱としてレイカーズを復活に導く

08年2月にグリズリーズからガソルの獲得に成功。強力な相棒の加入でコビーの負担は大幅に軽減され、同年にチームはファイナルまで進んだ。(C)Getty Images

エースとして30点超えを連発するも、結果にはつながらず苦難の日々を送っていたコビーだが、2008年にレイカーズはオールスタービッグマンのパウ・ガソルを獲得。これにより大幅な戦力アップに成功したチームは、再び頂点に返り咲くことになる。

■実力者ガソルの獲得に成功し、チーム復活の道筋が見え始める

 現状のサポーティングキャストでは、自分1人がどれだけ頑張っても優勝争いに加われない。そんなチームの不甲斐ない状況に、コビーの苛立ちは限界に達しつつあった。

 プレーオフの敗戦から1か月が経った07年5月、持論をメディアにぶちまける。NBAライターのリック・ビューカーに、「ジェリー・ウエストをレイカーズに連れ戻して彼に全権を与えてほしい、そうすることをフロントが望まないならトレードしてほしい」と語ったのだった。グリズリーズで5年過ごしたウエストの契約が、この年の7月1日に満了を迎えようとしていた。

 同様の発言はその後も繰り返され、コビーの高圧的な主張や、捉え方によっては愚痴にも聞こえる発言に、ロサンゼルスのファンはうんざりしていた。

 07年10月30日、ステイプルズ・センターで開催された07−08シーズンの開幕戦。コビーは地元ファンから盛大なブーイングを浴びてしまう。レイプスキャンダルの時をはじめ、心ない地元ファンからブーイングされたことはそれまでも何度かあったが、この時のブーイングは尋常ではなかった。

 16年に『ESPN』のブライアン・ウィンドホーストが入手した情報によると、07年のオフにレイカーズはコビーのトレードを模索。ブルズやピストンズと合意直前まで行くも、コビーが拒否権を行使したため流れたという。なんとキャブズには、レブロン・ジェームズとのトレードを打診したそうだ。
  2月、レイカーズのフロント陣は大きな仕事をやってのける。グリズリーズからパウ・ガソルを獲得。コビーが渇望していた頼れるビッグマンが、ようやくチームに加入したのだった。

 ガソルは移籍後初試合でいきなり24得点、12リバウンドをマークし、6得点に終わったコビーに代わりチームを勝利に導く。レイカーズは試合を重ねるごとにチーム力を高め、タイトルコンテンダーへと変貌を遂げていった。デレック・フィッシャーは82試合すべてに先発出場してチームを鼓舞し続け、コンビ結成4年目となるラマー・オドムとコビーの息もますます合うようになっていた。レイカーズ復活への道筋が、徐々に見え始めていた。

 さらにコビーは仲間を信じることを覚え、選手同士の結びつきをより重要視するようにもなった。それが証拠に、このシーズンはチームメイトを数回食事に連れて行った。意外にも、それまで一度もなかったことだった。
  右手小指関節の側副靭帯損傷をはじめ、複数の故障を抱えながらコビーはプレーを続けた。長期離脱を回避するために手術はあえて行なわず、3度目の全試合出場を果たす。チームは57勝25敗を記録し、カンファレンス首位の座を奪還した。

 そしてついに、キャリア初にして唯一となるレギュラーシーズンMVPを獲得する。受賞セレモニーには元GMのウエストも駆けつけた。スピーチで「長い道のりだった」と語ったコビーは、すでに30歳手前。キャリア12年目でのMVP受賞は、カール・マローンと並んで史上最も遅い記録だった。

 レイカーズはプレーオフを順調に勝ち進み、難なくファイナルへとたどり着くが、オフの話題を独占したビッグ3?擁するセルティックスに勢いで押し切られ、2勝4敗で敗れ去る。

 初めてシャック抜きで戦うファイナルは、コビーにとってひときわ重要な意味を持っており、敗北は受け入れがたい現実だった。あの3連覇はシャックがいたからこそ達成されたのであり、コビー1人の力では優勝できない、そう言われても仕方がなかった。

 その一方で、念願のシーズンMVPと、それ以上に重要なサポーティングキャストをようやく手にすることができた。コビーは確かな手応えを掴み、その目は次のシーズンを見据えていた。
 ■主役としてチームを優勝に導き、初のファイナルMVPを獲得

 オフには、プロ12年目にして初となるオリンピックに参加した。6月中旬までファイナルを戦い、7月中旬から代表のトレーニングがスタート、8月には本番の北京へ。休養期間がほとんどなく肉体的にはきつかったが、国を代表しての参加であり、またリーグのトップ選手たちとのプレーには、所属チームとは違った充実感があった。キッドの次に高齢だったコビーはキャプテンを任され、アメリカに2大会ぶりとなる金メダルをもたらした。

 休む間もなく迎えた08−09シーズン。歯車が小気味良く噛み合い始めたレイカーズは、開幕から7連勝と絶好のスタートダッシュを決め、その後も勢いが衰えることはなかった。球団記録となる開幕17勝2敗をマーク、コビーは先頭に立って進軍ラッパを吹き続けた。

 レギュラーシーズンの成績は、カンファレンス首位の65勝17敗。コビーのキャリアにおいて、初優勝を決めた99−00シーズンの67勝に次ぐ好成績となった。プレーオフも順調に勝ち進み、2年連続でファイナル進出を決める。

 相手は最優秀守備選手賞やリバウンド王、ブロック王などを総なめにしたドワイト・ハワード擁するマジック。だが、リーグ最強のディフェンダーを持ってしても、7年ぶりのタイトル奪取に向け、火の玉と化したコビーの勢いを止めることは不可能だった。

 平均出場時間43.8分、32.4点、5.6リバウンド、7.4アシスト。獅子奮迅の活躍でファイナルMVPを獲得する。自身初の受賞であり、3連覇の時にはすべてシャックが手にしたMVPトロフィーを、優勝トロフィーとともに満面の笑顔で高々と掲げた。

 シャックがいなくとも、自分がリーダーとしてチームを引っ張り、エースとして活躍し、子どもの頃からの憧れだった名門レイカーズをNBAの頂点に導く。コビーが夢にまで見た瞬間だった。優勝後のインタビューで、コビーは次のように語っている。

「人々は、彼(シャック)なしで俺にはできないと言った。今はとても良い気分だよ。なぜなら、人々が間違っていたことを俺は証明したのだから」
  翌09−10シーズンは、ケガに悩まされ続けた。12月の試合で右手人差し指を剥離骨折するも、欠場することなくシーズン通算で6度決勝点を決めている。2月には、ウエストが持つレイカーズの個人通算得点記録(2万5192点)を、同じ14年目で上回った。

 シーズン後半にコビーがケガで9試合欠場するなど、チームの状態は万全とは言いがたかったものの、新加入のロン・アーテスト(現メッタ・ワールドピース)が奮闘。選手層は着実に厚みを増していた。終わってみれば57勝25敗とカンファレンス首位の座を死守し、戦いはプレーオフの場へと移っていった。

 相手チームに2勝以上許さず、順調に勝ち上がり3年連続でのファイナル進出を決める。迎えるは、2年前に敗北を喫した因縁の相手セルティックス。前回と違うのは、レイカーズは前年度王者として臨むファイナルであり、2年前の雪辱を果たす上でも、絶対に負けるわけにはいかなかった。

 リーグきってのライバル同士による伝統の一戦の幕が切って落とされた。第5戦に勝利したセルティックスが最初に王手。だが第6戦にコビーがダブルダブル、ガソルもトリプルダブルで踏ん張り、勝負の行方は最終第7戦に持ち込まれた。
  古豪セルティックス対名門レイカーズ。NBAファイナル第7戦。世界中のバスケットボールの戦いにおいて、これ以上の舞台はないだろう。第3クォーター途中にこの日最大となる13点のリードを許したレイカーズだったが、コビーの連続得点で食らいつく。息詰まる接戦を4点差で制したのは、レイカーズだった。

 2連覇、そしてファイナルMVPも2年連続でコビーが受賞。レイカーズにとって最大の宿敵に対し、2年前の雪辱を地元ファンの目前で、それも第7戦に逆転勝利しての劇的な優勝だっただけに、喜びもひとしおだった。両チームは過去12回ファイナルで相まみえているが、第7戦をレイカーズが制したのはこの時が初めてである。

 コビーにとってセルティックスは、子どもの頃から永遠のライバルチーム。5度の優勝のうち、この回に最も満足していると後に語っている。さらには、この優勝で最大の悲願だったシャックの優勝4回を超えることができた。

 ロッカールームでのシャンパンファイトも、とびきりの盛り上がりを見せた。こんなシーンが映像に残っている。シャンパンファイトの最中、コビーの肩に腕を回してきた興奮状態のアーテストとの会話だ。

コビー:「俺は言っただろ?(リングが)手に入るって言っただろ?」
アーテスト:「コビーが俺にリングをゲットしてくれた! ちくしょうめ!」

 コビーが探し求めていたチーム?の姿が、ここにはあった。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2020年4月号より転載。

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