【コビー・ブライアント物語・Part4後編】41歳で突然訪れた人生の終焉。しかし彼の残したレガシーは未来永劫受け継がれていく

【コビー・ブライアント物語・Part4後編】41歳で突然訪れた人生の終焉。しかし彼の残したレガシーは未来永劫受け継がれていく

2020年1月26日、コビーとその娘ジアナを乗せたヘリコプターが墜落し。帰らぬ人に。(C)Getty Images

■移動中にヘリコプターが墜落。娘ジアナとともに帰らぬ人に

 2018年12月、ロサンゼルスから西に車で1時間ほど行った小さな町に、“マンバ・スポーツアカデミー”が誕生した。既存の施設にコビー・ブライアントが経営参加、リブランディングして再オープンしたのだった。屋内の広さがテニスコート34面分という広大な施設に、バスケットボールコート5面、バレーボールコート7面を備え、ほかにも各種競技の施設とプログラムが用意されている。

 2020年1月26日午前7時前、コビーと次女のジアナは教会でミサに授った。その後、自宅のあるカリフォルニア州オレンジ郡ニューポートビーチそばのジョン・ウェイン空港から、マンバ・スポーツアカデミー近くのキャマリオ空港へ向かうべく、コビーが現役時代からレンタルしているプライベート・ヘリコプターに搭乗した。

 その日アカデミーでは、小学3年から中学2年までを対象としたバスケットボール大会、マンバ・カップ・トーナメントシリーズが開催され、コビーがコーチを務め、ジアナがエースのチーム、レディー・マンバズも参加することになっていた。試合開始は12時。
  コビーは現役の時からヘリコプターを頻繁に利用していた。2010年に『GQ』誌で語ったところによると、2009−10シーズンはすべてのホームゲームにヘリコプターで通っていたそうだ。自宅からステイプルズ・センターまで、道が空いていれば車で1時間かからないが、渋滞に巻き込まれると2時間を要する。

 コビーにとってヘリコプターは体調管理のための道具であり、身体中に故障を抱えている彼は、車に2時間座っていることができない。また、移動の時間を少しでも短縮できれば、その分を家族のために使うことができる。それゆえ、コビーにとってヘリコプターの利用は、ごく身近なものだった。

 出発の1時間前、ジョン・ウェイン空港周辺の天候は穏やかで、視界も8kmと良好。だがロサンゼルス北部近郊は霧が立ち込めており、ロサンゼルス市警察は保有する全ヘリコプターを地上待機させるほどひどい状況だった。
  午前9時6分、コビーとジアナ、彼女のチームメイトと家族、アシスタントコーチ、パイロットの計9人を乗せたヘリコプターが、ジョン・ウェイン空港を出発した。マンバ・スポーツアカデミーは、キャマリオ空港から車で20分の場所にある。自宅からアカデミーまで、車だと2時間かかるが、ヘリコプターなら30分弱の飛行時間で着く。

 9時21分、航空管制官から連絡が入り、空域が混雑しているため空中待機せよとの指示が入る。約12分のサークル飛行中、パイロットはSVFR(特別有視界飛行方式)をリクエスト。SVFRによる飛行時は、管制官と連絡を密に取ることが要求される。

 9時33分、SVFRで管制官の指示に従いながら霧中の飛行を再開。その間、パイロットは飛行の手助けをしてもらうべく、管制官と直接音声で細かい情報のやりとりをする“フライト・フォローイング”による誘導を要請するが、そうするには高度が低すぎると告げられる。するとパイロットは雲の層を避けるため上昇していると連絡。それを最後に交信は途絶えた。
  9時42分、極端な高度の低さに管制官が意図を尋ねるも、応答はなし。

 9時44分、ヘリコプターは左に進路を取りながら急降下を始める。

 9時45分、レーダーから機体が消え去る。9人を乗せたヘリコプターは、カラバサスの標高331mの斜面に激突した。

 9時47分、911(緊急通報用電話番号)に事故の第一報が入る。国家運輸安全委員会によると、事故現場は非常に悲惨な光景?であり、機体の破片は約180mの範囲に渡り飛散していた。

 1月28日、9人の遺体がすべて収容される。1月29日、DNA検査と指紋照合の結果、9人の身元を確認。事故から1週間後の2月2日、コビーとジアナの遺体が遺族の元へ還り、2月7日、ニューポートビーチの自宅からほど近い墓地に埋葬された。

■死後、最初のホームゲームでは、先発全員がコビーの名前で紹介

 コビーのヘリコプター事故死を最初に報じたのは、芸能情報サイト『TMZ』だった。事故発生からわずか1時間半後の11時24分に第一報が報じられ、そのショッキングなニュースは凄まじい速度で世界中を駆け巡った。
  この日、1試合目のヒューストン・ロケッツ対デンバー・ナゲッツ戦が始まったのは、事故の第一報から約1時間後。会場では黙祷が捧げられ、実況アナウンサーをはじめとする多くの番組出演者、そして観客たちが打ちひしがれ、涙に暮れていた。

 ステイプルズ・センターには幾千ものファンが献花や思い出の品を手に訪れ、マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)をはじめとする数多のNBAレジェンド、世界中の有名アスリート、著名人、アメリカ歴代大統領も追悼の意を寄せた。身内のような間柄だったシャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)、ジェリー・ウエスト(元レイカーズ)、トレイシー・マッグレディ(元オーランド・マジックほか)らは、テレビ番組に出演中であるにもかかわらず、こらえきれずに号泣した。

 1月27日、コビーの2020年度ネイスミス・バスケットボール殿堂入りが事実上確定する。2019年12月にノミネートされ、公式発表は4月を予定しているものの、殿堂のチェアマンを務めるジェリー・コランジェロが、事故を受けて「コビーは殿堂入りすべき」と明言。
  1月28日に予定されていたレイカーズ対ロサンゼルス・クリッパーズ戦は延期となり、31日に開催された対ポートランド・トレイルブレイザーズ戦が、レイカーズにとって追悼試合となった。いくつかの心にしみるセレモニーの後、最後にチームを代表して追悼スピーチを述べたのは、キャプテンのレブロン・ジェームズだった。事故の前日にコビーのキャリア通算得点を抜いたレブロンは、事故当日の朝もコビーと電話で話したという。

「これを読み上げたら、レイカーネイションを裏切ることになる」と、用意していた手書きのスピーチ原稿を床に落とし、自分の言葉で想いを語った。そのスピーチはエモーショナルで、ある種の決意表明のようでもあった。

 試合開始前、両チームの選手紹介が行なわれた。PAアナウンサーのローレンス・タンターが、ブレイザーズの選手に続き、いつもの渋い声でレイカーズのスターティングラインナップを紹介。するとこの日のレイカーズは、先発5人全員が同一人物だった。

“the other guard, No.24, 6’6’’, 20th year, out of Lower Merion HighSchool, Koobeeee Bryant!”

“starting at center, No.24, 6’6’’, 20th season, from Lower Merion High School, Koobeeee Bryant!.....

文●大井成義

※『ダンクシュート』2020年4月号より転載。

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