ピアースがLAで育った幼少時代、そして盟友コビーへの想いを吐露「俺たちには少し違った類いの絆があった」

ピアースがLAで育った幼少時代、そして盟友コビーへの想いを吐露「俺たちには少し違った類いの絆があった」

長年セルティックスを牽引したピアースだが、幼少時代は生粋のレイカーズファンだった。(C)Getty Images

2017年に現役を引退したポール・ピアースは、長年ボストン・セルティックスの象徴として君臨した。しかし、彼はロサンゼルス南西部のイングルウッドで育ち、セルティックスの宿敵であるレイカーズの大ファンだった。元NBA選手のマット・バーンズ(元ロサンゼルス・クリッパーズほか)とスティーブン・ジャクソン(元ゴールデンステイト・ウォリアーズほか)がホストを務める『SHOWTIME』のポッドキャスト番組『ALL THE SMOKE』に出演し、当時を回顧している。

 カリフォルニア州オークランド出身のピアースは、少年時代にロサンゼルス近郊のイングルウッドに引っ越し。当時は野球のバットもアメフトのヘルメットも買えず、ロジャース・パークで毎日のようにバスケットをプレーした。「ここが俺のスタート地点。(選手としての)ポール・ピアースが生まれた場所だ」と語るほど、バスケ選手としての礎を築いた場所となった。
  イングルウッドは当時、マジック・ジョンソンやカリーム・アブドゥル・ジャバーを擁し、“ショータイム”と呼ばれる魅力的なバスケットを展開していたレイカーズの本拠地「ザ・フォーラム」があった。地元のイングルウッド高校に進学したピアースも当然レイカーズの大ファンで、セルティックスは憎むべき敵だった。これ自体は今までにも伝えられているエピソードだが、今回の対談では「学校で毎日着ていたレイカーズのセーターがあった」と少年時代のエピソードを明かしている。

「たしかフーディーだったな。俺はザ・フォーラムから歩いてすぐのイングルウッドで、マジックを見て育ったんだ。俺はセルティックスが嫌いだった。LA出身はもちろん、ザ・フォーラムのあるイングルウッドの人間は、みんなレイカーズファンだ。レイカーズファンにならないわけがないだろ? セルティックスにドラフト指名された時は本当に皮肉だったよ」

 1998年のドラフト1巡目10位でピアースを指名したのは、奇しくも憎きセルティックスだったのだから、なんとも皮肉な話である。
  それでもルーキーイヤーから低迷期真っ只中にあったチームの主力の1人に定着し、3年目には平均得点でアントワン・ウォーカーを抜いてエースに就任。ケビン・ガーネット、レイ・アレンと“ビッグ3”を形成した2007−08シーズンにはNBAファイナルに進出し、コビー・ブライアント擁するレイカーズを破って自身初のリーグ優勝を果たし、ファイナルMVPに輝いている。

 2010年のNBAファイナルでは3勝4敗でレイカーズにリベンジを食らってしまったが、憧れのチームに所属するコビーとはレギュラーシーズン、プレーオフ合わせて計39回(19勝20敗)対戦して白熱のバトルを繰り広げた。

 そんな好敵手は今年1月26日(日本時間27日)にヘリコプターの墜落事故に巻き込まれて不慮の死を遂げてしまった。ピアースにとって、コビーはやはり特別な存在だったという。
 「俺は全員に対してがむしゃらにプレーした。でも、彼は少し違って、俺たちには少し違った類の絆があった。それはリスペクトを払う以上のものだったと思う。他のヤツらのことはほとんど気にしていなかった。彼とマッチアップして、コート内外で彼のことを知る機会を持つことだけが特別だったんだ。今の俺がいるのはコビーとの絆のおかげだよ」

 現役当時、「レイカーズとセルティックスのライバル関係がバスケットボールに革命をもたらした。俺は今その一部を担っている」と語っていたピアース。彼にとって、ずっと憧れてきたレイカーズ、忠誠心を捧げたセルティックス、そして唯一無二の絆を築いたコビーの存在は今後も特別なものであり続けるだろう。

構成●ダンクシュート編集部

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