名将や熱狂的ファンが称賛する“ニックスの魂”。いまだ色褪せぬジョン・スタークスの価値

名将や熱狂的ファンが称賛する“ニックスの魂”。いまだ色褪せぬジョン・スタークスの価値

ニックス3度目の黄金期を支えたのは、スーパースターのユーイング(左)と叩き上げのスタークス(右)だった。(C)Getty Images

ロサンゼルス・レイカーズやゴールデンステイト・ウォリアーズに並ぶ人気チームで、日本でもファンの多いニューヨーク・ニックス。しかし、2013年以降はプレーオフに進出できないどころか、リーグの最底辺を彷徨い続けている。

 そんなニックスだが、過去に3度の黄金期があった。最初はNBA創成期、2度目が1970年代前半、そして3度目が1980年代中盤から2000年にかけての約15シーズンである。

 そのなかで、3度目の黄金期を支えたスーパースターが、1985年にドラフト全体1位で入団したパトリック・ユーイングだ。

 当時のNBAは、ビッグセンターを中心にインサイドを制するチームが上位を占め、チャンピオンを狙う球団は大物ビッグマンの獲得に必死になっていた。ニックスはユーイングの入団後すぐに強豪の仲間入り、とはならなかったが、1988−89シーズンには52勝30敗の好成績を残し、アトランティック・ディビジョンの首位に立つ。第2シードでプレーオフに駒を進めるも、イースタン・カンファレンス準決勝でシカゴ・ブルズに2勝4敗で敗れてしまった。

 ユーイングは「この時から打倒ブルズがニックスの大きな目標となった。個人的には大学時代からマイケル(ジョーダン)とはライバルだったが、NBAでもそれは続くことになった」と話す。
  しかし、ニックスはユーイングの周りを固める実力者を集めるのに苦戦していた。そんな状況が続いた1991年、レイカーズを4度の優勝に導いたパット・ライリーをヘッドコーチ(HC)に迎えたことで、ニックスの快進撃が始まることになる。

「ライリーはすでにいるメンバーの資質を見極め、それぞれに最良の役割を与えた。そして『ディフェンスで戦うチームになる』と選手たちに伝えたんだ」

 そう話すのは、1990年にドラフト外からはい上がり、ニックスとの契約を勝ち取ったジョン・スタークス。彼は今でも“ニックスの魂”と呼ばれ、ニューヨーカーから絶大な人気を誇っている。

「俺は天才じゃない。だから練習して上手くなるしかなかったんだ。NBAのHCに声をかけられた時は、涙が出るほど嬉しかった」と、スタークスはニックスと契約できた時のことを懐かしそうに回顧する。
  オクラホマ州大を卒業しNBAを目指すも、ドラフトにかからず練習生としてウォリアーズ入り。得意の3ポイントとディフェンスで必死にアピールした結果、1年契約を勝ち取りベンチ要員として36試合に出場を果たしたが、故障に見舞われ解雇を宣告されてしまう。

 マイナーリーグのCBAでプレーすることになったスタークスに対し、友達は「CBAならお前は間違いなくスーパースターだ」と言って慰めてくれたそうだが、本人はまったく納得できなかった。

「俺には“一度でもNBAでプレーした”というプライドがあった。だから“CBAはNBAの通過点でしかない”と考えてプレーしていた」とスタークスは言う。

 この時のスタークスのプレーに目をつけたのがライリーだった。内面から出てくる情熱をそのまま体現する激しいスタイルこそ、ニックスのやりたいバスケットボールにピッタリとはまっていた。

「ニックスをディフェンスのチームにして勝ち上がるには、ハートを熱く、激しく、48分間フルに戦える選手だけを集めたかった。スタークスはその模範となる人間性を持ったプレーヤーだった」とライリーは回想する。
  当時、ジョーダンの台頭により、NBAではシューティングガード(SG)というポジションがクローズアップされ、勝敗を左右する重要な役割を担うようになってきた。センターの時代からSGの時代へと、移行期が訪れていた。

「ニックスに必要なSGは、クイックネスに富んだディフェンスができ、果敢にゴールにアタックし3ポイントも上手い。ジョーダンに対し簡単にシュートを打たせず、守備で疲労を与え続ける。まさにスタークスにはその素質があった」

 そう話したライリーは、スタークスを発掘し、開眼させたコーチだった。スタークスはチームにエナジーを与え、勝利への突破口を切り開いていく。走り出したら止まらないそのスタイルは、ニックスにはピッタリだったのだ。

 当時のブルズのHCだったフィル・ジャクソンも「駆け引きとかそんなものはなく、ずっとハードに手を出し続け、身体をぶつけることをやめない。ジョーダンを封じ込めようとする熱量を最も持っていたのがスタークスだった」と評価する。
  また、半世紀もニックスの熱狂的ファンを続ける映画監督、スパイク・リーのスタークス評はこうだ。

「スタークスは“ニックスらしい選手”の筆頭だ。ゲームの大事な場面でスタークスがスパークしたら、絶対に負けなかった。確かにユーイングやアラン・ヒューストンはニックスの看板選手だけれども、彼らの仕事はハイアベレージなプレーを継続してくれること。そこにスタークスが大暴走するニックスは怖いものなしだった。そして、あれだけマイケルを平常心でプレーさせないディフェンスをした選手は、過去にスタークス以外にいなかった」
  スタークスの評価されるべき点は、スタッツにも表われていた。1995ー96シーズンは81試合中71試合に先発出場するも、翌1996ー97シーズンは出場77試合のうち、1試合を除きベンチスタート。プレータイムも平均30.8分から26.5分に減ったが、平均得点は12.6点から13.8点にアップしており、効率よくゴールを奪っていたことがわかる。結果、同シーズンはシックスマン賞に輝いた。

「シックスマン賞がスタークスがもらった唯一のトロフィーだが、生粋のニックスファンの脳裏には、それ以上に彼のプレーシーンが焼きついている。それでいいんだ。それが“ニックスの魂”と呼ばれる所以だ」とリーは言う。

 悲願のチャンピオンリングこそ手にできなかったスタークスだが、ニックスでアメリカンドリームを掴んだ数少ない選手のひとりだった。無名で大都会ニューヨークにやってきて、成功を収めて名を残す。そういったストーリーがいかにもニューヨークらしく、ニックスファンの心に強く響いたのだろう。

文●北舘洋一郎

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