NBA引退後は母国クラブの経営者に。第2のキャリアへ踏み出したトニー・パーカーの野望とは

NBA引退後は母国クラブの経営者に。第2のキャリアへ踏み出したトニー・パーカーの野望とは

現役時代から母国のクラブに投資し、引退後すぐにオーナーに就任したパーカー。第2のキャリアにも大きな注目が集まる。(C)Getty Images

世界一の競技人口を誇るバスケットボール。その最高峰リーグであるNBAには世界中から優れたプレーヤーが集結し、特に2000年代以降は外国籍選手の数も飛躍的に増加した。では、NBAで活躍した欧州プレーヤーたちはその後、どのようなキャリアをたどっているのか。第一線を退いた彼らの今をシリーズで紹介しよう。

 2001年6月、NBAドラフトでサンアントニオ・スパーズから1巡目28位で指名された瞬間、トニー・パーカーの輝かしいキャリアは幕を開けた。当時19歳ながら1年目からスターターに定着すると、その後17シーズン、スパーズの主軸を担い、4度のチャンピオンシップを獲得。フランス人初のオールスター選手になったほか、2007年のファイナルではヨーロッパ人選手で初めてMVPに輝いた。

 そして昨シーズン、マイケル・ジョーダンがオーナーを務めるシャーロット・ホーネッツでプレーした後、18年間の現役生活に別れを告げた。キャリア通算1万9473得点(平均15.5点)、7036アシスト(平均 5.6本)という素晴らしい実績とともに、パーカーが身につけた背番号「9」は引退後すぐにスパーズの永久欠番にもなっている。フランス代表でも2013年のユーロバスケット(欧州選手権)で金メダルを獲得するなど、アメリカ、フランス両国で、数々の栄光を手にしてきた。
  しかし、そんな輝かしい思い出に浸っている暇もないほど、パーカーは現在、新たな舞台で邁進している。その筆頭が、フランスのプロクラブ、アスヴェル・バスケットの運営だ。

 フランス第2の都市リヨンにある1948年創立のアスヴェルは、パーカーがオーナーに就任してからの2回を含めて、これまで国内最多19回の優勝を誇る国内きっての強豪クラブだ。パーカーは現役中の2009年から投資を始め、2014年には過半数のシェアを買い取ってオーナーに就任。現役を退いた現在は、名実ともに組織のトップとして精力的にクラブを率いている。

 2017年3月には、降格ゾーンにいた同じリヨンの女子クラブも買収し、翌シーズンからアスヴェルの女子部門に統括すると、わずか2年で国内チャンピオンへと昇華させた。アスヴェルは昨シーズン、男子はリーグとカップのダブル優勝、女子もリーグ優勝と国内タイトルを独占。今季は、男女揃ってユーロリーグに参戦している。
  また昨年9月には、リヨンに自身が運営するアカデミーも開校した。メインはバスケットボールだが、eスポーツ部門も併設、今後は音楽部門など学部を増やす予定だという。「卒業後に全員が職につけること」を目標に掲げた、専門分野で若者の才能を伸ばす職業訓練校のような場にするのがパーカーが描く青写真だ。

 これらプロジェクトでは、この街の名門フットボールクラブ、オリンピック・リヨンと提携し、新しいアリーナの建設やアカデミーの運営といった部分で重要なパートナーシップを築いている。

 こうした活動を通して映し出されるのは、パーカーの人間力だ。アスヴェルの男子チームの会長補佐ガエタン・ミュラー、女子チームのマリー・ソフィー・オバマは、ともにパーカーが育成を受けた国立エリート養成所INSEP時代の選手仲間。アメリカ生活の間もパーカーは、かつての仲間たちと親密な交流を続けていた。そしてフランス代表やホーネッツでチームメイトだったニコラ・バトゥームも、主にリクルートや育成部門を管轄するディレクターとしてアスヴェルの運営に参画している。
  昨年5月には、マリー・ソフィー・オバマやバテゥームらと共同でグルノーブル近郊にあるスキー場の権利も手に入れた。選手時代はスキーといった危険を伴うスポーツは一切禁じられていたため、パーカー自身はスキーは未体験だったが、「これからはクリスマスをフランスで過ごせるから」と、妻や子どもたちが好きなスキーに興味をもったという。と同時に、年老いた前オーナーの下で経営が縮小傾向にあったスキー場に、新しいレストランや設備を導入して、地元の若者の雇用を増やしたり、活気を呼び戻したい、というのがパーカーの願いだ。

 5年前からはリヨンにも家を構えている。これまではもっぱら夏のオフシーズンを過ごす場所だったが、引退後はアスヴェルの試合にも可能な限り足を運ぶなど、フランスでの活動時間も増えている。

 しかし、家族の生活拠点はあくまでもサンアントニオだ。2014年に再婚した元ジャーナリストの妻、アクセル・フランシーヌも、昨年サンアントニオにヨーロピアンスタイルのスパを開業した。パリ育ちで、パーカーと出会った頃はニューヨークに駐在していた都会っ子の彼女にとって、テキサス暮らしは「順応の日々」だったという。それでも、今では人々の優しさやのんびりした街の雰囲気に馴染み、「フランスは、友達や家族に会ったり、バカンスを過ごしに帰ってくるところ。生活の拠点は完全にサンアントニオ」と話すほど、同地での生活が気に入っているようだ。そしてパーカーも、引退後は5歳と3歳の二人の息子と過ごす時間をより大切にしている。
  今年1月、パリで古巣のホーネッツ対ミルウォーキー・バックスの試合が行なわれた際、パーカーはコート上に招かれて久々に母国のファンの前でスポットライトを浴びた。現役時代と少しも変わらない、引き締まった体型が印象的だったが、「引退後のアスリートは体重が増えてしまいがち。緊張感から解放されるから当然ではあるが、僕はそれを良しとしていない」と、今でもサンアントニオの自宅敷地内に設けた専用コートでトレーニングを欠かさない。

 また先日、フランスでパーカーのキャリアを振り返るドキュメンタリー番組が放送された。そのなかで、今年1月にヘリコプター事故でこの世を去ったコビー・ブライアントがコメントを寄せていた。

「彼はクラブのオーナーとなり、バスケットボール界に投資している。それはチャンピオンのメンタリティそのものだ。多くのアスリートは、引退したあと何をしたらいいのか迷うものだ。しかし彼は見事にスパっと切り替えた。それはチャンピオンたる者が為せる業だ」
  現役時代、周りの選手を生かす司令塔として鳴らしたパーカーは、自身の引退後の活動について以下のように語っている。

「自分の強みは、『この人はこのポストに向いている』、『こんな役割が適任だ』ということを見抜いて、動かしていくことだと思っている。指導者というよりも、コーチを選んだり、マーケティングを展開したりといった、より全体的な運営をしていきたい」

 第2のキャリアにおいても、バスケットボールを基軸に、アメリカとフランスの架け橋としてトニー・パーカーはますます輝きを放っていくだろう。

文●小川由紀子

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