ブルズでジョーダンの相棒を務めたピッペンが2度目の3連覇を回顧「最低でもあと2回は優勝できただろうね」

ブルズでジョーダンの相棒を務めたピッペンが2度目の3連覇を回顧「最低でもあと2回は優勝できただろうね」

95年に結成されたジョーダン、ピッペン、ロッドマンの“三銃士”は見事に機能し、ブルズは翌年から3連覇を達成した。(C)Getty Images

マイケル・ジョーダンがシカゴ・ブルズで2度目の3連覇を達成した1997−98シーズンを追ったドキュメンタリー『The Last Dance』が、4月19日(日本時間20日)から『ESPN』で放映スタートとなる。ジョーダン、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマンの“三銃士”が揃って戦ったラストイヤーは、優勝メンバーたちにとっても特別だったという。長年、ジョーダンの相棒を務めたピッペンが『ESPN』の番組『The Jump』で当時を振り返った。

 8年間でNBA優勝6回――。ブルズは文字通り、1990年代に王朝を築いた。

 1991〜93年に前期3連覇を成し遂げたのち、エースのジョーダンが電撃引退。ピッペン主体のチームへと移行したなかで、MLBを目指していたジョーダンが94−95シーズン途中に最初の復帰を果たす。同シーズンは本来のキレが戻らずにオーランド・マジックと対戦したカンファレンス準決勝で敗れたものの、オフにトレードでリバウンド職人のロッドマンを獲得して“三銃士”を中心とした強力布陣が完成した。
  当時のシーズン最多となる72勝と圧倒的な強さを見せた95−96シーズンに、3年ぶり優勝を達成。翌シーズンも、ユタ・ジャズを破って連覇を成し遂げた。しかし、その後にフィル・ジャクソン・ヘッドコーチの退任話が浮上し、ジョーダンもジャクソン以外の指揮官の下ではプレーしないと発言。ラストイヤーの雰囲気が漂ったなかで戦った97−98シーズンは、ジョーダンがジャズとのファイナル第6戦で“ラストショット“と呼ばれる決勝シュートを沈めて3連覇を果たし優秀の美を飾った。

 デトロイト・ピストンズ時代のロッドマンと因縁のあったピッペンだが、引退後には一緒に番組に出演して「我々はチャンピオンシップチームに戻る必要があった。デニスはリーダーシップとハードワークをもたらしてくれた。コート上で素晴らしいプロフェッショナルだった」と称賛。逆にロッドマンは、ジョーダンらとコート以外ではほとんど話していなかったことを明かしている。

「マイケルはスコアラーで、スコッティはロビン(バットマンのサイドキック)、俺はすべての汚れ仕事を引き受けて喝を入れる役割だった。俺たちはお互いに補完し合っていた。俺は(ブルズに)欠けていたピースで、お互いに話し合ったことがない事実は面白いね。

 俺たちの会話はすべてコート上で、オフコートでは話さなかった。もし当時プレーしている映像を見返せば、俺たちがお互いに悪口を言っているようなことは決してない。むしろその日上手くプレーできなければ、お互いにキレていたよ」
  惜しまれつつも解体となったブルズ王朝。ピッペンは今回のドキュメンタリー放映に際し、97−98シーズンを感慨深げに振り返っている。

「すべてがピークに達したんだ。1990年代を素晴らしく駆け抜けた。90年代後半にデニス(ロッドマン)がやってきて、彼の存在は我々のスペシャルな部分になった。我々(ブルズ)は長い間最高のバスケットボールチームであり、誰も倒せなかったからね。その年(1997−98シーズン)が最後になると分かっていたから特別だったし、チャンピオンシップで締めくくりたかった」

 ピッペンの目には、“ラストダンス”になるというそれぞれの思いがチームをひとつにさせ、2度目の3連覇という最高の結果に結びついたという。
  もし当時のブルズが解体してないかったら――。ピッペンは別の番組で「(チームが解体していなければ)ブルズの王朝はどれぐらい長く続いたと思うか?」という問いに対して、このように見解を述べている。

「もう一回3連覇とは言わないまでも、最低でもあと2回は優勝できただろうね。誰かが我々のチームを倒す日が来るまで、チャレンジし続けたかった。もう1年やっていたら? (ロックアウトの1998−99シーズンなら)おそらく50-0(50戦全勝)だったよ」

 シーズン全勝を断言するほど、“ラストダンス”のブルズはピッペンら選手たちにとっても特別なものだったようだ。

構成●ダンクシュート編集部

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