1位候補が乱立した2006年ドラフト。印象に残るのは「神様ジョーダンの見る目の欠如」と「ケガに泣いた悲運のスコアラー」【NBAドラフト史】

1位候補が乱立した2006年ドラフト。印象に残るのは「神様ジョーダンの見る目の欠如」と「ケガに泣いた悲運のスコアラー」【NBAドラフト史】

2006年のドラフトは、何人もの1位指名候補が乱立する混沌とした状況だった。(C)Getty Images

いくら不作の年であっても、ドラフトロッタリーが開催される頃には、確固たるNo.1候補が存在するのが普通だ。しかし、2006年のドラフトは様相が異なっていた。1位候補4人という混沌とした状況。そのなかでドラ1の栄誉に授かったのは、イタリア出身のアンドレア・バルニャーニだった。

■本命不在で複数の選手が1位指名候補に挙げられる

 2001年から2005年までのNBAドラフト1位指名選手は、高校生が3人(クワミ・ブラウン/元ワシントン・ウィザーズほか、レブロン・ジェームズ/現ロサンゼルス・レイカーズ、ドワイト・ハワード/現レイカーズ)、外国人2人(ヤオ・ミン/元ヒューストン・ロケッツ、アンドリュー・ボーガット/元ミルウォーキー・バックスほか)という、ある種異例な事態が続いていた。

 そんな状況に危機感を抱いたリーグと選手会は、2005年7月、高校から直接NBAに挑戦する、いわゆる“プレップ・トゥ・プロ”の門を閉ざすという策に出る。
  迎えた2006年、かつてのように大学でみっちりと鍛え上げられた選手が1位に選ばれると思いきや、蓋を開けてみればアメリカの大学でプレー経験のない、しかも外国人選手が再びドラ1に。リーグの期待とは真逆の、まるでコントのオチのような結末に、ルール改正に躍起になったお偉方はさぞかしズッコケたのではなかろうか。

 2006年度のNBAドラフトロッタリーは、5月23日、ニュージャージー州セコーカスにあるNBA TVの施設で行なわれた。1位指名権獲得の最高確率(25.0%)を有していたのは、レギュラーシーズンを21勝61敗の最下位で終えたポートランド・トレイルブレイザーズ。以下ニューヨーク・ニックス、シャーロット・ボブキャッツ(現ホーネッツ)、アトランタ・ホークス、トロント・ラプターズと続いた。

 抽選の結果、1位指名権はお約束のごとく最高確率のチームには行かず、確率8.8%で5番目だったラプターズに転がり込む。1995年に創設されたラプターズは、翌1996年のドラフトロッタリーで見事1位指名権を引き当てたが、リーグの規定により1996〜98年の3年間は1位指名権を獲得できない取り決めになっていた。1996年のドラ1はアレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)。
  そんな10年前の悔しい経緯を知ってか知らぬか、ラプターズの代表としてロッタリーに参加したブライアン・コランジェロは、チーム初の1位指名権獲得に満面の笑みを浮かべながら、柄にもなく両手でガッツポーズを披露している。ロッタリーの3か月前に球団社長兼GMに就任したばかりの彼にとって、初めて手掛ける重要な仕事であり、思いがけずもたらされた幸運だった。

 この年のドラフトクラスには、前年と同じく確固たるNo.1候補が見当たらなかった。それでも、前年は本命にボーガット、僅差でマービン・ウィリアムズ(現バックス)が続くという二者択一の状況だったが、この年はかつてないほど混沌としていた。

 1位指名候補に挙げられていた選手は、アンドレア・バルニャーニ(イタリア・セリエA/ベネトン・トレヴィーゾ/20歳)、ラマーカス・オルドリッジ(テキサス大2年)、アダム・モリソン(ゴンザガ大3年)、ルディ・ゲイ(コネティカット大2年)といった面々。ドラフト間際になってバルニャーニにスポットライトが当たり始めたとはいえ、誰が1位で指名されてもおかしくない状態だった。

 その他の関心事として、1つの大学から何人の選手が指名されるかにも注目が集まった。前年のドラフトでは、NCAAトーナメントの覇者ノースカロライナ大からの指名選手数が話題となったが、この年の注目大学はコネティカット大。NCAAトーナメントではエリート8で敗退したものの、シーズンを通してデューク大とランキング1位を争った同大には、ゲイを筆頭に優秀な人材が顔を揃えていた。
 ■1位指名は本人も予想外だったイタリア人のバルニャーニに

 2006年6月28日、おなじみニューヨークのマディソンスクエア・ガーデン内にあるザ・シアターでNBAドラフトは開催された。直前に発表された主要メディアのトップ5予想は次の通り。

●NBA.com
1位 バルニャーニ
2位 タイラス・トーマス(ルイジアナ州大1年)
3位 オルドリッジ
4位 ゲイ
5位 モリソン

●SI.com(スポーツ・イラストレイテッド)
1位 オルドリッジ
2位 バルニャーニ
3位 トーマス
4位 ブランドン・ロイ(ワシントン大4年)
5位 シェルデン・ウィリアムズ(デューク大4年)

●ESPN
1位 バルニャーニ
2位 トーマス
3位 ゲイ
4位 オルドリッジ
5位 S・ウィリアムズ
  迎えたドラフト本番、デイビッド・スターンNBAコミッショナーから最初に読み上げられた名前は、イタリア人のビッグマン、バルニャーニだった。YouTubeにアップされているドラフト中継の動画を見ると、バルニャーニは喜びとともに、たいそう驚いている様子だ。本人にとって1位指名はまったく予想外だったようで、ドラフト後のインタビューで次のように語っている。

「まったく見当もつかなかった。ドラフトの前に誰も何も言ってくれなかったからね。1位から8位の間ぐらいだとは思っていたけど、それにしても1位指名には驚いたよ」

 バルニャーニはアメリカの高校や大学でプレー経験のない2人目のドラ1選手となり(1人目は2002年のヤオ)、初めてのヨーロッパ出身ドラ1でもあった。イタリアのプロチームで4年間プレーし、2005−06シーズンにはユーロリーグで平均10.9点、4.1リバウンド、FG成功率50.8%、3ポイント成功率43.4%を記録。22歳以下のベストプレーヤーに贈られるライジングスター賞を受賞している。

 “イル・マーゴ(ザ・マジシャン)”の異名を持つバルニャーニは、セブンフッター(213cm)ながらそれなりの俊敏性とボールハンドリングスキルを持ち、ペリメーターや3ポイントシュートも難なく決められることから“ダーク・ノビツキー二世”とも呼ばれた。未知数な部分も多々あったものの、ラプターズ首脳陣はその将来性に期待を込めて1位指名に踏み切ったのだった。
  ドラフト中継の動画をじっくり見てみると、バルニャーニの1位指名が発表されると同時に、一部の観客が「オーバー・レイテッド!(過大評価だ!)」というチャントを叫び始め、それが次第に広がり大きな合唱となっている。ニューヨークのファンは、よく言えば辛辣、悪く言えば口汚いことで有名だが、バルニャーニのその後を見る限り、彼らはNBAチームのフロント陣より見る目があったようだ。

■2006年組で最高の実力者だったロイは故障で早々と引退

2位以下の指名選手トップ10は次の通り。

2位 ブルズ/オルドリッジ
3位 ボブキャッツ/モリソン
4位 ブレイザーズ/トーマス
5位 ホークス/S・ウィリアムズ
6位 ミネソタ・ティンバーウルブズ/ロイ
7位 ボストン・セルティックス/ランディ・フォイ(ビラノバ大4年)
8位 ヒューストン・ロケッツ/ゲイ
9位 ゴールデンステイト・ウォリアーズ/パトリック・オブライアント(ブラッドリー大2年)
10位 シアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)/モハメド・セネ(ベルギーリーグ/ヴェルビエ・ペパンステ)
  前年は上位指名にデロン・ウィリアムズ(3位/元ユタ・ジャズほか)、クリス・ポール(4位/現サンダー)、レイモンド・フェルトン(5位/元ボブキャッツほか)らが名を連ねるという、稀に見るポイントガード(PG)の当たり年だったが、この年は一転して上位にPGは見当たらなかった。

 1人目が、なんと21位でフェニックス・サンズに指名されたラジョン・ロンド(ケンタッキー大2年)。続いてカイル・ラウリー(ビラノバ大2年)が24位でメンフィス・グリズリーズに指名されているものの、NBAで大成したPGはその2人しかいない。

 注目を集めていたコネティカット大からは、1巡目で4人が指名された。8位のゲイに続き、12位ヒルトン・アームストロング(4年、元ニューオリンズ・ホーネッツ/現ペリカンズほか)、22位マーカス・ウィリアムズ(3年、元ニュージャージー/現ブルックリン・ネッツほか)、23位ジョシュ・ブーン(3年/元ネッツ)。単年での1巡目指名4人は、1999年のデューク大、2005年のノースカロライナ大と並び、史上2位タイの記録である(1位は2010年のケンタッキー大の5人)。2巡目40位でデンハム・ブラウン(4年/NBAでプレーせず)も指名されており、トータル5人は2ラウンド制における最多タイ記録。
  この年のドラフトでは1巡目の指名が進行している間に、2位のオルドリッジと4位のトーマスのトレードをはじめ、上位7人中4人がトレードで動いている。この日トレードされたのは全部で17選手。2ラウンド制以降では2013年(23人)と2014年(19人)と並び、最多の部類に入るだろう。

 2006年のドラフト組で、個人的に印象深い選手が2人いる。3位でボブキャッツから指名されたモリソンと、6位でウルブズに指名され、直後にブレイザーズにトレードされたロイだ。

 モリソンは大学3年時に得点王を獲得し、“ネクスト・ラリー・バード”と形容された選手。2006年にボブキャッツの共同オーナーとなり、チームの全権を掌握したマイケル・ジョーダン肝いりでの指名だったが、守備力不足や2年目に負ったヒザの故障が祟り、わずか4年でキャリアを終えている。

 13歳の頃から1型糖尿病を患い、大学時代には試合中に血糖値を計り、自分でインスリンを注射しながらプレーしていたというエピソードも。だが何と言っても、あのNBA選手らしからぬ独特な髪型と風貌はインパクト大だった。
  2001年のドラ1、ブラウンに続き、見事にハズレくじを引いてみせた神様ジョーダン。“名選手名監督にあらず”ではないが、バスケットボールの神様に選手を見る目が豪快に欠如していることを、改めて実感させられた獲得劇だった。

 そして2006年組で最も強く印象に残っている選手は、6位でウルブズに指名され、直後にブレイザーズにトレードされたロイである。ヒザの故障で早々と引退を強いられ、実質4シーズンしかプレーしていないが、もしケガさえなければ、歴史に名を刻むレベルのスペシャルな選手になっていた可能性は高い。
  新人王を獲得し、オールスターにも3度選ばれているが、それらはあくまで序章に過ぎなかった。優れた身体能力もさることながら、バスケットボールIQがひときわ高く、ドリブル、パスを一級品とするなら、シュートは特級品。何より凄まじいまでの勝負強さと、恐ろしいほどの冷静さを兼ね備えていた。

 個人的に、「故障さえなければ、どれだけ凄い選手になっていたか……」と考えさせられる選手の代表格である。できることなら、その後迎える全盛期のプレーをひと目見たかった――、そう思っているNBAファンの数は決して少なくないだろう。後世に語り継がれるようなゲームウィニングショットを、あのロイならきっと何本も沈めていたに違いない。

文●大井成義

※『ダンクシュート』2018年1月号掲載原稿に加筆・修正。

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