「ブルース・ボウエンには誰だってなれる」たゆまぬ努力で名声と悪名を轟かせた守備職人のキャリア【NBA名脇役列伝・後編】

「ブルース・ボウエンには誰だってなれる」たゆまぬ努力で名声と悪名を轟かせた守備職人のキャリア【NBA名脇役列伝・後編】

スパーズに移籍後、ボウエンの知名度は全国区に。それに伴い悪名も轟いた。(C)Getty Images

ブルース・ボウエンの名を誰もが知るようになるのは、2001年のオフにサンアントニオ・スパーズへ移籍してからだ。ただ、ロサンゼルス・レイカーズのコビー・ブライアントを抑えられるストッパーとして3年契約を提示したチーム首脳陣も、当時はどれほど価値のある選手を手に入れたのか、おそらく気がついていなかっただろう。

 スパーズでの1年目、彼が出場した試合の成績は47勝12敗。欠場した23試合は11勝12敗だった。アナリストのジョン・ホリンジャーは、彼が年間で118もの失点を防いだことを指摘し、その守備力をこのように表現した。

「ボウエンはまるでサランラップだ。彼にカバーできない物はない」

 だが、称賛の声ばかりではなかった。勝つためには手段を選ばぬボウエンのディフェンスに、コート内外から非難が降り注いだのである。特に問題視されたのが、相手選手がジャンプシュートを放った際、ボウエンが踏み出した足に着地して捻挫する事例が相次いだことだった。

 犠牲者のヴィンス・カーター(元トロント・ラプターズほか)、レイ・アレン(元シアトル・スーパーソニックス/現オクラホマシティ・サンダーほか)、スティーブ・フランシス(元ヒューストン・ロケッツほか)らが糾弾の声を上げ、当時ニューヨーク・ニックスのヘッドコーチで、現役時代はラフなプレーで知られたアイザイア・トーマスでさえ「今度あんな真似をしたら、ヤツの足をへし折ってやる」と息巻いたものだ。
  しかしそうした批判にも、ボウエンはまったく動じることがなかった。

「最初のうちは気にもなったよ。でも、俺はただ一所懸命やっていただけだったし、他人の言うことはコントロールできないとわかってからは、放っておくようになった。そんなのを気にして、自分のプレースタイルを変える必要はないんだ」

 相手のエース級とマッチアップする機会が多いから、自然とアクシデントが増えてしまった側面もある。実際、どれだけ抗議の声が上がっても、リーグから出場停止処分が下さることはなかった。いずれにせよ、“何をするかわからない選手”という評判は、かえってボウエンを心理面で優位に立たせた。その結果、彼は2003年まで3年連続でオール・ディフェンシブ2ndチームに、2004年からは5年連続で1stチームに選出されたのである。
  ボウエンにはもうひとつ、強力な武器があった。両コーナーにから放たれる正確な3ポイントシュートである。2002−03シーズンは229本中101本を沈め、成功率44.1%は堂々のリーグトップ。ただ面白いのは、フリースローはまったくの苦手で、この年の成功率が40.4%に過ぎなかったこと。最も簡単なシュートが満足に決まらないのに、最も難しいシュートは得意というあたりからも、ボウエンがいかにユニークな選手だったかがわかるはずだ。

 ボウエン在籍時に、スパーズは2003、05、07年と3度のリーグ制覇を成し遂げる。その原動力がティム・ダンカンやマヌ・ジノビリ、トニー・パーカーであったのは誰もが認めるところだが、彼らを陰で支えていたのがボウエンの堅実なディフェンスだったことも、また誰もが知っていた。

「最高の選手たちを毎晩ガードし続けるなんて、誰にもできることじゃない。しかも彼は才能じゃなく、意志の力とハードワークでそれを成し遂げたんだ」(グレッグ・ポポビッチHC)

 初優勝を別にすれば、最も印象に残っているのはデトロイト・ピストンズを倒した2005年だという。

「相手のコーチがラリー・ブラウンだったからね。俺がフィラデルフィア・セブンティシクサーズにいた頃、彼は自宅に招待してくれたり、感謝祭のディナーにも呼んでくれたりした。そんなコーチはほかにはいなかった。俺にとって祖父みたいな存在の人に勝てたのが、何よりも嬉しかった」
  現役引退後はESPNで解説の仕事を始め、毎回蝶ネクタイで登場して話題を呼んでいる。「ピエロみたいだって言われたりもするけれど、他人と同じことをしてもつまらないから」という理由が、いかにもボウエンらしい。

 2013年3月には、スパーズ時代の背番号12が永久欠番となった。通算の平均得点が6.1点に過ぎないバイプレーヤーが、ジョージ・ガービンやデイビッド・ロビンソンら偉大な選手たちと肩を並べたのだ。努力に優る天才なし――。それを証明してみせたボウエンは次のように語っている。

「どんな人間にも長所はある。それを生かすか殺すかは自分次第。俺にはトニーの速さも、マヌの創造性も、ティムの才能もなかったけれど、授けられた能力は出し尽くした。トニー、マヌ、ティムにはなれなくても、ブルース・ボウエンには誰だってなれるんだ」

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2013年1月号掲載原稿に加筆・修正

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