ブルズを追われるも、新天地ニックスで絶大な支持を獲得。昔気質のブルーワーカー、チャールズ・オークリー【NBA名脇役列伝・後編】

ブルズを追われるも、新天地ニックスで絶大な支持を獲得。昔気質のブルーワーカー、チャールズ・オークリー【NBA名脇役列伝・後編】

突然のトレードでブルズを去ったオークリーだったが、新天地のニックスではファナル進出に貢献するなど、中心選手として活躍した。(C)Getty Images

1980年代のNBAでは、今よりもはるかに激しい肉弾戦が展開されていた。そんななかでも強さが際立っていたのが、チャールズ・オークリーだ。シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンやニューヨーク・ニックスのパトリック・ユーイングなど、スター選手の文字通り“用心棒”として活躍したビッグマンは、現在ではすっかり減少した、「オールドタイプのPF」の典型であった。

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 オークリーはジョーダンにとってチームで一番の親友でもあった。ジョーダンの自宅で一緒に卓球を楽しむこともしばしばで、オークリーは器用なラケット捌きで勝利を収め、負けず嫌いのスターを何度も悔しがらせたという。

 しかし、88年のオフに突如としてニックスへの移籍が決まる。

 ブルズはオークリーとポジションが被る2年目のホーレス・グラントに先発を任せられる目途が立ち、その一方で期待外れだったブラッド・セラーズに代わるセンターを探していた。一方のニックスは、先発センターを務められる実力を持つビル・カートライトを交換要員に、ユーイングの脇を固められるPFを求めていた。こうして両者のニーズが一致してトレードは成立するのだが、ジェリー・クラウスGMはオークリーを手放すのが惜しく、自らトレードを決めておきながら涙を流したという。
  ジョーダンも涙こそ流さなかったものの、怒り心頭に発する。「グラントやカートライトではオークの代わりは務まらない」と公言し、その後もこの2人に対してはきつく当たった。コート上では絶大な信頼を置く相棒、オフコートでも親しい友人を失ったのだから、気持ちはわからないでもなかった。そしてこれは当然、オークリーにとっても寝耳に水の知らせだった。

「その時、俺はマイケルと一緒に、ボクシングのスピンクス対タイソン戦の会場にいたんだ。ゴングが鳴る前に観客の1人から『オーク、君はトレードされたぞ』と聞かされたのさ」。

 それでも彼は首脳陣に文句を言うでもなく、プロフェッショナルらしい態度でニューヨークへ旅立ったのである。
  一切の妥協を許さない、タフなオークリーのプレースタイルは、ニューヨークでも圧倒的な支持を得る。オークリーが巨体を投げ出してルーズボールにダイブするたびに、マディソンスクエア・ガーデンの観衆は沸き立った。チームの中心であるユーイングに欠けていた力強さ、熱さを補う意味でもオークリーは理想的な選手で、チームメイトからも絶大な信頼を寄せられる。

「オークについては何も心配しなくていい。どんな状況でも常にハードにプレーして、勝つために必要なことをするんだ」(ハーブ・ウィリアムズ)。

 ただ、決してとっつきやすい性格ではなかったのも確かで、現役時代にニックスでチームメイトだったドック・リバース(現ロサンゼルス・クリッパーズHC)は、こんな風に振り返っている。

「いつも何かに対して文句を言っていたな。靴のサイズが合わないとか、食事のチキンがしょっぱ過ぎるとか……(笑)。まあ、それでも愛すべき男だったんだけどね」。

 91年にパット・ライリーがHCに就任してからは、彼の推進するアグレッシブなディフェンスの核として、さらに存在感を増していく。
  93−94シーズンにはオールディフェンシブ1stチームに選出され、ミネソタで行なわれたオールスターゲームにも出場。同年は初めてファイナルの舞台にも立ち、ヒューストン・ロケッツを相手に7試合中4試合でダブルダブルを記録する。特に第4戦では16得点、20リバウンドの大活躍で、勝利に大きく貢献した。

 残念ながら最終戦に敗れてチャンピオンにはなれなかったが「これまでマイケル率いるブルズに何度も敗れたことを思い出させられたけど、大して気にはしていない。もちろん勝ちたかったのは山々だが、もう終わったことだからな」と、オークリーは淡々と敗戦を振り返っている。

 その後もニックスの中心選手として活躍を続けたが、98年にマーカス・キャンビーとの交換でラプターズへトレード。ジェフ・ヴァンガンディHCからは「FAになったら必ず戻ってきてくれ」と懇願されていたが、結局ニューヨークには戻らず、ブルズ、ウィザーズを経て最後はロケッツで引退した。

 引退する前の数年間は気難しさに拍車が掛かり、首脳陣や若い選手たちに愚痴まじりの苦言を呈して煙たがられたが、引退後も一言居士ぶりを存分に発揮。同年代のライバルだったチャールズ・バークリーをこき下ろしたり、キャバリアーズのレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)がFAになった時は「ニューヨークになんて行くんじゃない。シカゴかマイアミがオススメだ」と発言したりして、ニューヨーカーたちの怒りを買った。

 オールドタイプのPFが姿を消しつつあるのと同様に、最近はコート外でもオークリーのような昔気質の選手はあまり見かけなくなった。インタビューでは優等生的な発言に終始し、本音を口にする者は滅多にいない。もし、オークリーのように外見も中身もギラギラしている選手が出てくれば、NBAはきっと今以上に面白くなるだろう。

文●出野哲也

※『ダンクシュート』2014年7月号掲載原稿に加筆・修正。

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